新・私の本棚 川村 明「九州王朝説批判」抜き書き/ページ付け 2/9
~七世紀の倭都は筑紫ではなかった サイト記事批判
2016/03/20 2018/05/05 2019/03/01 04/20 2020/06/24 2021/09/12改稿
私の見立て ★★★☆☆ 賢察に潜む見過ごしの伝統
*竹斯俀国説~竹斯放射行程説
まず、隋使は、最終目的地として竹斯國に安着、滞在したと見えるのです。倭人伝の伊都国に相当するものと見受けます。
つまり、俀国王治(王の居所、ないしは居城)は、竹斯国そのものか、近傍と示唆されています。倭人伝では、伊都国を扇の要とした中心の放射行程解釈が有力ですが、それに追随していると見えます。俀国伝に言う「達於海岸」とは、街道行程で陸地を進んで海岸に至り、その向こうは海という程度でしょう。
因みに、倭人伝の文書としての深意が、郡から倭に向かう端的な行程に、余傍の国に関する追記が付されているとみれば、「放射行程説」は、諸国を対等に取り上げていると文意を取り違いしているとみられるのです。このあたり、かなり深く文意を読み解かないと、文法解釈、先例踏襲に囚われて、深意を見失うことが多いようです。
元に戻って、俀国伝の行程の意味をゆっくり考えると、隋使滞在地の東に秦王国があって、同様に東に向かって進めば、十余国を経て海岸に着く(達於海岸)とみられるのです。
海岸の向こうは海だから国はないのです。そうした、東方の諸国十余国(十余国に秦王国を一国足しても同じく十余国)が、皆竹斯國に附庸しているというのは、倭人伝に順当に追記していることになり「明快」です。
*隋使竹斯滞在説の掘り下げ
つまり、隋使は、到着以来竹斯国に滞在したのであって、一路東に旅したわけではないと見られるのです。
仮に、遠路東に向かったのであれば、「循海岸水行」、海岸の港から沖に出たと書くでしょう。あるいは、「浮海」、海をゆるゆる漂ったと書くものでしょう。中原人にとって、陸路を行かない移動は想定外なので、もし、未知の国で、そのような前例のない移動をせざるを得ないとしたら、克明に書き遺すものでしょう。
復習すると、隋書俀国伝は、正史の東夷伝として、三世紀に書かれた倭人伝に依拠しているからこそ、後世正史としては、重複して書く必要はなく、かくも簡略な記事で済むのです。
言い換えると、倭人伝にも中原官制にもない、異例極まりない命がけの東方船舶航行が数十日に亘り続いたなら、省略が許されなかったでしょうし、初めてその境地を書いたという誇りが文面に表れたでしょう。
以上は、ただ史料の字面を追うだけで済まない、かなり高度な文章読解になりますが、落ち着いて考えれば、以上のような堅実な読みに至るはずです。要は、史料に書かれていない、明示も示唆もされていないことは、史料には書かれていないのです。
かくして、しばらく「客館」に滞在いただいた上で、迎えを送って隋使を歓待したものでしょう。全て、竹斯国とその周辺の出来事と見ると、記事が簡潔なことに符合します。
未完
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