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2021年10月 8日 (金)

新・私の本棚 榊原英夫「邪馬台国への径」 6/6 本文

 「魏志東夷伝から邪馬台国を読み解こう」(海鳥社)2015年2月刊 
私の見立て ★★★★★ 総論絶賛、細瑾指摘のみ  2021/10/08

〇「長大」「周旋」用例検証
 適切な用例は、時代の近い史書である袁宏「後漢紀」献帝紀であり、後漢末建安年間に曹操に誅殺された孔融の早熟逸話が引用され、普通の会話として「この少年(孔融十歳)が、長大の際は(大人になったら)、さぞかし秀才となるだろう」とあります。(明徳出版社刊 訳 中林史朗 渡邉義浩

 ちなみに、当該逸話には「周旋」が両家を往き来する意味で使われています。従来の倭人伝解釈では、「周」「旋」の字義に囚われて、国家領域の周辺を巡る意味と解されているようですが、時代相応の用例では、「往来」に近い意味で「自然に」使用されています。
 目下懸案になっているのは、魏志編纂者の深意ですから、少なくとも、相応(相当)の重みを置いて解すべきではないでしょうか。

 いずれにしろ、本件は、倭人伝解釈に参考になるものです。素人考えに疑問があれば、三国志学で著名な渡邉義浩氏にお問い合わせ下さい。

 基本に還ると、用例は、文の深意を求めて、まずは、編纂者の手近から参照するものではないでしょうか。

〇時代錯誤の誘い
 それにしても、氏ほどの見識の方が、国際情勢とか国内政治情勢とか、時代錯誤の思い込みを、当時の倭人に押しつけるのは、まことに牽強付会です。
 後世概念は、鮮明な理論に裏付けられ、倭人伝問題を一刀両断できそうですが、陳寿は、同時代で、生に近い「問題」を提示し、その「問題」を解いて構成している概念を摂取して欲しいと希望しているので、それを丸ごと解体する「一刀両断」されたら出題意図が台無しなのです。出題者の意識に無い概念では、どんな名答と自認しても正解になるはずがないのです。

*曲解風潮にご注意
 どうしても倭人の社会に広域紛争を起こしたいとの執念が、一部論者に漂っていますが、氏が、その蔓延に巻き込まれていなければ幸いです。

〇「三国史記」~後世史書過大評価
 当史料が編纂されたのは、新羅の統一時代、高麗による再統一を経た、いわば、原資料散佚後の再構成で、特に、統一以前の新羅記事は、、「正史」と対峙する資格のない「ジャンク」であり棄却すべきです。要は、統一新羅と敵対した「倭人」、「倭奴」は、客観的に書かれていないのです。

 倭人伝時代、新羅は、「辰韓斯羅」に過ぎず、倭「国使」を受ける立場になく紀年記録する史官もいません。そのため、同記事の年代比定は不合理で、後世編者が後知恵で半ば捏造したものとして棄却すべきです。

 同時代史でも厳重な資料批判が必要なのに、七世紀を経て、散逸原資料を貼り合わせた史書記事は、でっち上げとみるべきです。それにしても、「正史」は中国史であり、東夷史書を「正史」と呼ぶのは不覚です。

 と言うあたりで、気力が尽きてきたので、添削指導めいた批判は置きます。

〇まとめ
 榊原氏の権威に素人が挑みかかっているとみられたら、それは本意ではありません。堅固な構成と見える本書に、世上の「俗説」が、不用意に採用されているので、あえて苦言したものです。
 特に、中国古代史書解釈に、場違いな後代東夷概念を持ち込む弊風は、御再考いただきたいと望むものです。

                                 完

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