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2021年10月29日 (金)

新・私の本棚 棟上寅七 『槍玉その68「かくも明快な魏志倭人伝」』 1/3

木佐敬久 著 冨山房 2016年刊 「新しい歴史教科書(古代史)研究会」
「棟上寅七の古代史本批評 ブログ」2021.5.06からの転載 
 私の見立て ★★★★☆ 必読の名批評    2021/10/29

〇番外書評の弁
 本記事は、古代史関係書籍の批評を多数公開されている棟上寅七氏の最新書評について所感を述べたものです。題材は、倭人伝の行路に関して木佐敬久氏の『かくも明快な魏志倭人伝』の「古代史本批評」です。
 但し、文中で、生野真好氏の著書に言及しているので込み入っています。

 当記事は、棟上寅七氏の威を借りて、倭人伝冒頭の道里行程記事に関する施策を試みていますが、古来、「騎虎(寅)の勢い」では、寅の背から落ちると、たちまち、虎の餌食になってしまうので、身震いしながら書いたものです。

*ご託宣
 『私にとっての読後感は「かくも不明快な倭人伝解釈」でした。』とあり、主として、倭人伝冒頭の「従郡至倭」行程の道里、特に、半島行程について、木佐氏の船舶移動説を(完全)否定したものであり、ブログ筆者たる小生も同意見です。

 小生であれば「従郡至倭」に続く「循海岸水行」なる語法の「海岸に沿って水行する」への読替えが、正史語法として不法として「一発退場」とするのですが、氏は丁寧に面倒をみています。
 つまり、原文解釈を曲げて「沿岸でなくかなり沖を航海した」ことはやり過ごして、狗邪韓国に寄ってから対海国へ行くのに、長い船旅の後、「はじめて海を渡る」という表現はありえないと痛打しています。

 それに、「韓国を歴るに」についての古田師の説明(沖合通過では不歴の非礼となる)を無視している点にも切り込んでいます。

 棟上氏は、近代の大型客船でもこの半島西岸の多島海で沈没事故を起こすので、当時の海域を夜間停泊せずに無装備で航海する危険性を舶の専門家に聞くべきだとしています。かたや、木佐氏は、当時の帆船を復元して実験航海したいなどと戯言をものしていますが、単に、無謀を否定するのでなく、専門家の意見を聞くべきだとの教育的指導は、さすがの卓見です。

*論争の経歴
 棟上氏は、半島西海岸南下説を唱えた生野真好氏と論争した経験を述べています。二重引用になりますが、行数が十分あるので、曲解はないものと思い、ここに再録します。御両所に無断で恐縮ですが、建設的な批判を心がけているので、ご容赦いただきたいものです。

*生野氏著書引用
 『生野真好氏は次のように書きます。
【当時の魏の海船のことはよくわからないが、呉には600~700人乗りの四帆の大型帆船があったことが、呉の万震撰『南州異物志』にある。また、『三国志』「呉志江表伝」に孫権が「長安」と号した3000人乗りの大船を、とある。ただし、これはすぐに沈没した。
 また、呉の謝宏は、高句麗に使者として派遣されたが、その答礼品として馬数百匹を贈られた。しかし、「船小にして、馬80匹を載せて還る」とある。何艘で行ったかはわからないが、1艘とするなら馬が80頭も乗るのであるから相当大きな船であったことになる。しかもそれすら「小さな船」と言っているのは興味深い。

                                未完

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