新・私の本棚 榊原 英夫「邪馬台国への径」 4/6 本文
「魏志東夷伝から邪馬台国を読み解こう」(海鳥社)2015年2月刊
私の見立て ★★★★★ 総論絶賛、細瑾指摘のみ 2021/10/08
*交通路の整備~銕(てつ)の路
関係史料で衆知の如く、半島東南部弁辰に鉄山があり、採掘鉄は、楽浪、帯方両郡に納入されたと明記されています。半島東南部から、重量物資が半島中部に納入されたことから、大量輸送に耐える官道整備が見てとれます。
言うまでもなく、両郡指示で、弁辰から郡への銕街道が整備されていて、對海、一大の市糴は、狗邪で陸揚げ後、銕街道で届けたと想定されます。官道には所定間隔で宿駅があり、寝床と共に、食糧水分補給、代え馬と共に、時に険路もこなす荷運び人夫が(有料で)用意されていたのです。
あるいは、流れの緩やかな南漢江中流(中游)は、川船移動でしょうか。文書使以外は、日程の範囲内で行程選択の自由があるのです。
街道宿所、関所は、市糴課税と運賃で運用したとみられます。後世日本であったように宿所が繁栄したかも知れませんが、自然な成り行きは特記していないのです。
*難路でなく、無理の路
陸路が整備されているのに、遠回りで運航が不安定で力不足の漕運に固執するのは、まことに不合理で不幸な誤解ですが根強く続いています。
海に路はありませんが、郡東南方の倭に赴くのに、何を思って西の海船に命を預けるのでしょうか。船が沈めば積荷は喪われ船客は溺死します。誰が、乾いて安定した陸路を棄てて、荒海に転げ回るのでしょうか。
*南北市糴の要地
半島内官道は、對海、一支の南北市糴の延長である民間輸送にも供用されていたので、信頼できる輸送経路が、早々に確立されていたのです。
因みに、漢江河口付近の扇状地が泥濘軟弱の不可侵状態で、半島中部中国側の海港は、その南、後に唐津(タンジン)と呼ばれたあたりと見えます。
對海、一大両国は、南北市糴が盛んで、市糴船の寄港から潤沢な収入があり、結構繁栄したのです。半島上陸後は洛東江沿いに北上して小白山地を竹嶺で越え唐津に出る行程が、もっとも繁盛したものと思われます。一方、両郡に向かう便は、南漢江を北上し、合流する北漢江遡上を利用したと見えます。
認識不足の例として、倭人領域に「禽鹿径」と評された官道(?)を見つけ、半島内通行不能と言い訳した例に困惑したものです。官道整備は当然で書かないのが常識で、特記の「禽鹿径」は異常事態です。なお、「けものみち」は、狭隘で路面が荒れた「間道」(関所破りの抜け道)の意が伝わりにくい「誤訳」です。
〇景初遣使の件~「誣告」疑惑
本件に関して、随分熱弁を振るっていますが、倭人伝現行刊本に、景初三年たるべきが景初二年に誤記と立証された論拠は一切ないと見受けます。
本件は、刑事裁判ではありませんが、それでも、赫々たる文献に現に書かれていることを否定する「異議」は、俎上に載せるまでに相当の物証が必要ではないでしょうか。有効な証拠がなければ門前払いです。
「推定無罪」ならぬ「推定有効」です。要するに「異議」を提議する前に、「物証」や「証人」を厳格に審査する必要があるのですが、これまで見かける限りでは、有効な根拠無しの言いがかり「誣告」が横行しているのです。
そもそも、本項目以外でも、悪意による曲解が頻出しています。氏が、そのような風潮に荷担しているのでなければ幸いです。
未完
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