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2021年11月 1日 (月)

新・私の本棚 新版 塚田 敬章 「魏志倭人伝から見える日本」 2 サイト記事批判 2/16

 塚田敬章 古代史レポート 弥生の興亡 1,第二章、魏志倭人伝の解読、分析
私の見立て ★★★★☆ 必読好著 2020/03/05  記2021/10/28

魏志倭人伝から見える日本2 第二章魏志倭人伝の解読、分析
 1 各国の位置に関する考察
  a 朝鮮半島から対馬、壱岐へ    b 北九州の各国、奴国と金印  c 投馬国から邪馬壱国へ
  d 北九州各国の放射式記述説批判  e その他の国々と狗奴国
 2 倭人の風俗、文化に関する考察
  a 陳寿が倭を越の東に置いたわけ  b 倭人の南方的風俗と文化

第二章、魏志倭人伝の解読、分析 [全文 ほぼ四万字]
1 各国の位置に関する考察
  a 朝鮮半島から対馬、壱岐へ
《原文…倭人在帯方東南大海之中 依山島為国邑 …… 今使訳所通三十国

コメント:倭人在~「鮎鮭」の寓意
 まずは、倭人伝冒頭文の滑らかな解釈ですが、「魏志倭人伝の解読、分析」という前提から同意できないところが多々あります。
 「うっかり自分の持っている常識に従うと、同じ文字が、日本語とは全く異なる意味を持つ場合があって、とんでもない誤訳に至る可能性もあります。」とは、自明の真理であり、俗説を否定する基調です。氏の例示された「鮎鮭」の寓意は、おしなべて言えることです。
 ここでも、「国邑」、「山島」の解釈が「甘い」と見えます。氏は、このように割り切るまでに、どのような参考資料を咀嚼したのでしょうか。素人考えでは、現代「日本語」は、当時の洛陽人の言語と全く異なっているので、確証がない限り、意味が異なる可能性があると見るべきです。
 「文意を見失わぬよう、一つ一つの文字に神経を配って解読を進めなければなりません。」とは、さらなる卓見ですが、それでも、読者に「神経」がなければ何も変わらないのです。大抵の論者は「鮎鮭」問題など意識せず、「自然に」、「すらすら」と解釈できると錯覚して論義しているのです。

コメント:倭人伝に「日本」はなかった
 自明のことですが、当時、「日本」は存在しません。当然、洛陽教養人の知るところでなく、倭人伝は「日本」と全く無関係です。無造作に押しつけている帯方郡最寄りの日本は日本列島を思い起こさせますが、倭人伝誤解の始まりです。この点、折に触れ蒸し返しますが、ご容赦いただきたい。

 些細なことですが、帯方郡は、氏の理解のように楽浪郡領域の南部を分割した地域ではなく、楽浪郡の手の及んでいない「荒地」、郡に服属していなかった蕃夷領域を統治すべく新たな「郡」を設けたのです。「郡」は、郡太守が住まう聚落、郡治であって、支配地域の広がりを言うものではないのです。

コメント:大平原談義
 自明のことですが、倭人伝の視点、感覚は、中原人のものです。「我々」の視点とは対立しているのです。この認識が大事です。
 因みに、なぜか、ここで、「北方系中国人」などと、時代、対象不明の意味不明の言葉が登場するのは、誤解の始まりで不用意です。論ずべきは、三世紀、洛陽にたむろしていた中原教養人の理解なのです。

 因みに、氏の言う「大平原」は、どの地域なのか不明です。モンゴル草原のことでしょうか。

                                未完

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