私の意見 「倭人伝」~最初の五百五十字、最初の修行 1/6
先を急がずに、最初に読んでいただきたい「おはなし」 2021/11/18
○はじめに
当記事は、当ブログで展開している「倭人伝」解釈において、その冒頭を占めている道里行程記事に対して、原文から逐条解釈を試みるものである。世にあふれている「邪馬台国比定」論議に参加しようというのではない。
但し、世上で誤解の山が堆い(うずたかい)のに対して、その誤解の部分を是正して、せめてはっきりした思い違いは直していただきたい望んでいるのである。少なくとも、「思い込み」が、倭人伝に根拠を持たない事に気づいていただければ幸いである。
一方、史学界の常識として、史料解釈の範囲を限定する議論は好ましくないのは承知しているが、個人の努力で検討するには、対象範囲を限定するのはやむを得ない事であり、いつの日にか、本検討がまとまった折には、さらに、検討範囲を広め、倭人伝二千字の考査に至りたいものだと思っている。
ともあれ、範囲を絞ってその範囲で全力を尽くす行き方と、そこから生まれる幾つかの提言は、ご一考の価値あるものと自負しているのである。そうでなければ、この形で発表しないのである。
○先行論考の確認
手短に言うと、従来の倭人伝考察は、国内古代史の見地での史料批判から開始していて、すでに刷り込まれた歴史観、世界観に基づく「思い込み」が横行しているため、中国史料の考察として不適切な部分が多い(ほぼ全て)と見られる。
*「国内古代史視点」の「失念」
従来視点に対する具体的な異議と異論については、膨大な論議につながり、しかも、大勢に対して孤軍奮闘する形勢で、議論が成り立ちがたいから、ここでは、むしろ史学の常道に立ち返って史料原文から出発する史料考察を試みたのである。
国内で、倭人伝解釈を中国視点で説くものは少ない(ほとんどない)と思う。「倭人伝は、当時最高級の古代中国人が、最善を尽くして、古代中国人の理解できるように書き上げたものである」と考えて、読解に挑まなければその真意に至らないと思うのだが、中々、実行されているのを見かけないのである。
この立場には、世上異議が多いのは自明であるが、視点、論点の妥当性を論議すると、肝心の話が先に進まないので、当ブログの「ポリシー」、論議無用とさせていただく。また、この場で「国内古代史視点」は「失念」させていただく。くり返しになるが、世間には、国内史の視点で、倭人伝を責め苛む論義は山積しているので、ここに取り込むつもりは無いのである。
*原史料の確認
圏外史料「持ち込み」禁止、「思い込み」謝絶の方針を理解いただきたい。(世間には、そうした史料、思い込みで論義できる場所は山ほどあるので、ここは、例外とさせていただきたい)
*本論の出発点
本論の考察対象たる「倭人伝」は、陳寿編纂史書に、後世の裴松之が注釈を加えた「三国志」の「魏志」第三十巻の末尾に当たる「倭人伝」の冒頭五百五十字余りであり、現在、史料として信頼されている南宋初、紹凞年間編纂「紹凞本」に、ほぼ準拠している。同様に有力な紹興年間編纂「紹興本」は、対海/一大国国名などに差異があるが、書誌学論議の場でないから同一視して、以下の「テキスト」に基づき議論するので、ここに「ない」字句の「持ち込み」は、くれぐれもご勘弁いただきたい。
テキストは「中國哲學書電子化計劃」から引用したが、「三国志」は各「正史」と比較すると、二千年近い期間、大変良好に保存され、史料間の異同が希である。三国志の史料としての特徴を、よろしく認識いただきたいものである。
ここで余談であるが、世上、「正史三国志」と書かれることが多いのは、別に、「正確な」歴史書と自負しているわけではなく、世上溢れている「三国志」書籍が、大抵は、「三国志演義」を土台にした浪漫溢れる時代劇小説であるのに対して、中国で、伝統的に「正史」と呼ばれている「史書」であることを明言しているものであり、『「三国志演義」に類する血湧き肉躍る「読み物」を買ったはずなのに、面白くもない記録書を掴まされた。けしからん」と、返品、返金を持ち込まれるのを怖れて、内容表示しているものなのである。
言うまでもないが、中国基準では、「正史」は、中国史に限るので、他の東夷諸国の国史が正史を名乗るのは、僭称、誇大表示なのである。
「三国志」テキストには、時代柄、国内出版物で常用されない文字があり、当記事の他の部分と用字か一致しない事もあるが、現在、UniCode体系が各種情報端末に「普通」なので、史料の範囲では表示に問題はなく誤解は生じないものと考える。
*「句読点なし、改行のみ追加」
原資料に一歩近づくために、句読点のない原テキストに改行を加えたが、論拠を明快にする目的であって原文は改竄してはいない。かくして、倭人伝の1/4、五百五十二字をきりのよい五百五十字と表記したが、概数は自明なので「約」、「余」は割愛した。以下、同様の割愛をご了解いただきたい。
なお、当記事では、冒頭の「倭人傳」に従い、後続部分を含め(魏志)「倭人伝」と言うことにしている。当記事筆者の無教養は、ご辛抱いただきたい。
ちなみに、各項は、過去の記事の「無批判な引き写し」でなく、概ね、新たな文脈で書き起こしている。主旨は変わったものも有れば変わっていないものも有るが、大目に見て頂きたい。
参考文献は、身辺に山積しているが、参照先は膨大なので、ここでは割愛御免である。署名、著者だけあげても、参考部が不明では、お役に立たないと思うのである。もし、書籍化することがあれば、その点で、出版社編集者のご指導の下、整備したいと考えている。
未完
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