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2021年11月 1日 (月)

新・私の本棚 新版 塚田 敬章 「魏志倭人伝から見える日本」 2 サイト記事批判 14/16

 塚田敬章 古代史レポート 弥生の興亡 1,第二章、魏志倭人伝の解読、分析
私の見立て ★★★★☆ 必読好著 2020/03/05  記2021/10/28

コメント:無意味にごみ資料斟酌
 氏は、意味不明「固定観念」で想像を巡らしていますが同感できません。
 顕著な例として、原史料に明記されている「東治」を「東冶」に改竄するのは、文献考証として不用意で論外です。まして、原文記事を改竄して「思い込み」に沿えさすのは、百撓不折とは言え、重ねて論外です。
 この部分の地理考証は、素人目には、無意味な茶番です。

コメント:地理感覚迷走
 氏は、随分誤解していますが、当時の「中国」は現代のベトナムまで伸びていたので、中国東南海岸部は、会稽郡の南部を遙かに超えています。また、会稽郡の東冶県を含む南部は分郡して会稽郡から分離しました。
 ここで言う「会稽」は、郡領域全体を指すものではなく、郡治を言うものです。古代中国の常識を無視してはなりません。

*使節団方向感喪失の怪
 また、当時の魏使が、揃って、容易に確認できる現地「方位」を誤解したとは、大した創作です。まず、魏使というものの、実態は、帯方郡官人であり、中には、狗邪韓国から参加した、通詞、案内人も含まれていたはずですから、四季を通じた太陽移動の変化など承知していて、子供みたいに誤解はしないのです。
 いや、現地の太陽の移動から、方位を知ることは、小学校理科程度の常識なので、「子供みたい」とは、子供を侮っていることになります。

 書かれているような誤解をするのは、小学校時代の知識を忘れ、野天で過ごしたことのない、現代文明人でしょう。

 ついでながら、当記事では、伊都国以降の余傍の国は、除外していますので、議論する必要はないのです。

*「食卓」の振る舞い
 当時の中国では、食卓はあったものの、まだ、手づかみが多かったと思うので、別に、手づかみを野蛮と言っているのではないのです。むしろ、籩豆は、中国古代の礼にかなっているもののようです。「文化」は、中国の礼にしたがっていることを言うので、無文の国は圏外です。

コメント:邪馬壹国を九州に置く

 曲がりくねった言い回しで、氏は、何を言ったのでしょうか。
 参照している「混一彊理図」は文化財として美術的な意義はあっても史料価値のないバチものであり、遙か後世の産物なので、倭人伝考証に無用の「ごみ」(ジャンク)であり、さっさと却下すべきです。
 とうに博物館入りの「レジェンド」(骨董品)と思うのですが、なぜ、実戦に担ぎ出されるのか、気の毒に思います。

*風評混入
 ついでに評された流着異国人が、どのような地理認識をしていたか、地名認識の検証も何もされていないので、風評以下の確かさすら怪しいのです。また、南方と見える「出羽」が、実際はどこにあったのか、全く不明です

 氏は「史料批判」、「証人審査」を一切せず、言いなりに、いいように受け取っているのでしょうか。食品見本の偽物食品にかぶりつくような蛮勇は、真似したくてもできません。不審です。

                                未完

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