« 新・私の本棚 新版 塚田 敬章 「魏志倭人伝から見える日本」 2 サイト記事批判 12/16 | トップページ | 新・私の本棚 新版 塚田 敬章 「魏志倭人伝から見える日本」 2 サイト記事批判 10/16 »

2021年11月 1日 (月)

新・私の本棚 新版 塚田 敬章 「魏志倭人伝から見える日本」 2 サイト記事批判 11/16

 塚田敬章 古代史レポート 弥生の興亡 1,第二章、魏志倭人伝の解読、分析
私の見立て ★★★★☆ 必読好著 2020/03/05  記2021/10/28

*自縄自縛
 「先に出した結論の都合に合わせ、強引に解釈をねじ曲げる姿勢」とは。その言葉をそっくりお返ししたいものです。誰でも、自分の思い込みに合うように解釈を撓めるものであり、それに気づくのは、自身の鏡像を冷静に見る知性の持ち主だけです。

 「放射行程説の自己流解釈の破綻」については、氏の自己診断をお聞かせいただきたいものです。
 素人目には、倭人伝記事は、魏使の実行程と見立てた上で、魏使は投馬国経由との決め込みが、明察の破綻の原因と見えます。
 当時、多数の教養人が閲読したのに、東夷の国の根幹の内部地理である伊都国-投馬国-女王国の三角関係が、洛陽人にとって、明らかに到達不能に近い遠隔三角形で、非常識で実現不能と見えるように書いているわけはないのです。

 すべて、この良識に基づく『結論』を、踏まえて、必要であれば乗り越えていただく必要があるのです。それは、「良識」に基づく推定を覆すものの重大極まる使命です。

*報告者交代説の意義
 因みに、氏は、これに先立って、伊都国から先の書き方が変わっているのに気づいて、「伊都国を境に報告者が交代しています。」と断言していますが、それしかないというのは、思い込みというものです。

 単純な推定は、伊都国~奴国以降は、細かく書いていないというのが、倭人伝道里記事の古来の解釈であり、この直線的な解釈は、一考の余地があると思います。確かに、そのような論義は、魏使が女王国に至っていないとの論義に繋がっていて、とかく軽視されますが、要は、奴国から投馬国までの国に行っていないように読めるというのに過ぎないのです。

 これを放射行程説なる論義と組み合わせると、実は、伊都国以降は直線行程であって、しかも、伊都国と女王国は、道里不要の至近距離であったので、行程道里を書き入れていないという「伊都・女王」至近関係説になるのです。予告したように、一つの外郭の中に、二つの「国邑」が同居していた可能性もあります。

*「時の氏神」
 私見では、倭人は、もともと、氏神、つまり、祖先を共有する、一つの集団であり、次第に住居が広がったため、国邑が散在したものと見ています。本来、各国間の諍いは、総氏神が仲裁するものであり、それが成立しなくなったとき、「物欲」を保たない女王が起用されたものと見るのです。
 一度、思い込みを脇にどけて一から考え直すことをお勧めします。

e、その他の国々と狗奴国
《原文…自女王国以北 其戸数道里可得略載 其余旁国遠絶 不可得詳
 次有斯馬国……次有奴国 此女王境界所盡

コメント 余傍の国
 21カ国は、当然、帯方郡に申告したもの、つまり、倭人の名乗りです。中国人に聞き取りができたかというのは別に置くとしても、三世紀の現地人の発音は、ほぼ一切後世に継承されていないので、今日、名残を探るのは至難の業です。「九州北部説」によれば、後世史料とは、地域差も甚だしいと見えるので、「十分割り引いて解釈する必要」があると考えます。

 そのように、塚田氏も承知の限定を付けるのも、最近の例として、古代語分野の権威者が深い史料解釈の末に、倭人伝時代の「倭人語」に対して「定則」を提唱されたものの、『時間的、地理的な隔絶があるので、かなり不確定な要因を遺している「仮説」である』と明言されているにも拘わらず、「定則」を「定説」と速断して、自説の補強に導入した例があるので、念には念を入れているものです。現代人同士で、文意誤解が出回っているというのも、困ったものですが、更なる拡大を防ぐためには、余計な釘を打たざるを得ないと感じた次第です。塚田氏にご不快の念を与えたとしたら、申し訳なく思います。

*言葉の壁、文化の壁
 「至難」や「困難」は、伝統的な日本語文では、事実上不可能に近い意味です。塚田氏は、十分承知されているのですが、読者には通じていない可能性があるので、本論では、またもや念のため言い足します。ちなみに英語のdifficultは「為せば成る」と解される可能性があり、国際文書の飜訳には、要注意です。
 いや、事のついでに言うと、近来、英単語の例外的な用法が、「気のきいた」カタカナ語として侵入し、大きな誤解を誘っているのも、国際的な誤解の例として指摘しておきます。
 ほんの一例ですが、「サプライズ」は、本来、不快な驚きであり、現代日本語語の「ドッキリ」に近いブラック表現です。うれしい驚きは、誤解されないように「プレゼントサプライズ」とするのですが、無教養な「現地人」の発言に飛びついて誤解を広めているのは、嘆かわしいものです。他にも、同様の誤用は、多々ありますが、ここでは、一例に留めます。

                                未完

« 新・私の本棚 新版 塚田 敬章 「魏志倭人伝から見える日本」 2 サイト記事批判 12/16 | トップページ | 新・私の本棚 新版 塚田 敬章 「魏志倭人伝から見える日本」 2 サイト記事批判 10/16 »

新・私の本棚」カテゴリの記事

倭人伝道里行程について」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 新・私の本棚 新版 塚田 敬章 「魏志倭人伝から見える日本」 2 サイト記事批判 12/16 | トップページ | 新・私の本棚 新版 塚田 敬章 「魏志倭人伝から見える日本」 2 サイト記事批判 10/16 »

お気に入ったらブログランキングに投票してください


いいと思ったら ブログ村に投票してください

2022年5月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

カテゴリー

無料ブログはココログ