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2021年11月 1日 (月)

新・私の本棚 新版 塚田 敬章 「魏志倭人伝から見える日本」 サイト記事批判 5/5

 塚田敬章 古代史レポート 弥生の興亡 1,第一章、邪馬台国か邪馬壱国か
私の見立て ★★★★☆ 必読好著 2020/03/05            2021/11/01

*引用
 岩波文庫「魏志倭人伝」所載の、「後漢書倭伝」(范曄撰。唐章懐太子賢注)原文影印には、次の文があります。(百衲本)
   大倭王居邪馬臺国 (案今名邪摩惟音之訛也)

*コメント 「邪馬臺国」「邪馬壹国」論
 以下、氏の展開される「邪馬臺国」「邪馬壹国」論は、後世人の好む「こじつけ」が見られず貴重ですが、やはり、確証の乏しい「作業仮説」と見られます。

*范曄「後漢書」批判
 史官でなかった笵曄の職業倫理は不明ですから、先行後漢書に見られない「東夷列伝」に、風評や民撰史料、野史を採用した可能性があります。
 稀代の「秀才」(後漢代は、光武帝劉秀に遠慮して、「茂才」と僻諱したもの)文筆家故に、資料の不備を、創作で補う誘惑に勝てなかったのかと見られます。とかく、范曄「後漢書」は、当時として新味のある流麗な筆致と評価されますが、反面、史料の史学的解釈には難があったと見えます。笵曄は、史官として訓練を受けていないため古典書素養が不足した可能性もあります。

 そのような弱点は、范曄後漢書に先行する袁宏「後漢紀」や魏志に補追された魚豢「魏略」西戎伝と比較校正すれば、ある程度明らかになります。

*後漢書誤写説
 いや、当業界で定番の「誤写」必然説に従えば、「だれも見たことのない」范曄「後漢書」に「邪馬壹国」と書いていなかったと断言はできないのです。
 范曄「後漢書」は、編者が大逆罪で斬首刑にあった後、完成/所蔵していた確定稿がどのように継承されたのか不詳です。衆知の如く、三国志は、陳寿没後、確定稿が皇帝に上申され、以後、帝室書庫に厳重に保管されて、改竄/差し替えは不可能ですが、潜伏時代の後漢書稿の保全状態は不明です。
 三国志に改竄、誤写疑惑を投げつけるなら范曄「後漢書」も同様でしょう。

*コメント~事実誤認と史料批判の手違い
 古田氏所説の批判に関する事実誤認は明確なので書き付けますが、古田武彦氏の著書は『「邪馬台国」はなかった』です。書名は、魏志に「邪馬台国」はなかったとの主旨で、范曄「後漢書」には言及していません。氏が自認されるように、うろ覚えで当否を論じて読者に伝えるのは罪なことです。

 また、氏も認めている確たる「東夷伝」に対して、相対的に不確かな范曄「後漢書」の片言を持ち込んで論じているのは、史料考証の段取りとして疑問です。

*圏外資料除外の弁
 以下、豊富な国内史料を導入して、幅広く論じられていますが、素人目にも信を置けると立証されていない「後世資料」は、論義を限定する目的で、当方の「倭人伝」考証の立場では「門前払い」ですので、ここでは論じません。

《原文…立卑弥呼宗女壹與年十三、為王。国中遂定。政等以檄告喩壹與。壹與遣倭大夫……送政等還。因詣臺献上…
《范曄後漢書… 其大倭王居邪馬臺国(案今名邪摩惟音之訛也) 楽浪郡徼去其国万二千里 去其西北界狗邪韓国七千余里
 以下、「圏外」議事省略。
 詳しくは、第二章批判を確認ください。

                                完

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