新・私の本棚 番外「古賀達也の洛中洛外日記」第2642~8話 1/2
『旧唐書』倭国伝「去京師一萬四千里」⑴~⑺ 2020/12/21~
私の見立て★★★★☆ 堅実な考証の貴重な公開 2021/12/29 2024/10/15
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲したことをお断りします。代わって、正体不明の進入者があり、自衛策がないので、引きつづき更新を積み重ねています。
〇はじめに
掲題の古賀氏ブログ記事は、連載の態をとっているものの単一記事と見られるので、ここでは、一括して批判します。
古賀氏は、古田史学会の重鎮として新説提言に対する審査役を務めているものと見受けます。そして、審査の際の考証内容を公開しているので、論議の信頼を高めています。
ここでは、題目が、当ブログで展開している「倭人伝道里行程記事」論議に関係しているので、以下の如く「丁寧」に批判するものです。
〇仮説不成立の提案
ここでは、舊唐書「倭国伝」の「去京師一萬四千里」の「京師」を山東半島東莱に誘致する新説に批判を下しているものです。
当ブログ筆者たる当方の見解では、新説の論者野田利郎氏は、史書解読の際の原則を踏み外しているのであり、その点を指摘して棄却すべきと考えます。つまり、「京師」は、本来、周代の「王都」に該当する「厳密」な用語であり、これを持論に合わせて「誤解」することは論外です。要するに、「都」に「王都」限定の意義が失われたために、あらたに「京師」なる特別な用語を定義したものですから、そのように解すべきです。
古田史学会では、「フィロロジー」をもって論ずれば、重大な権威があるのでしょうが、ここは、(中国)古代史書の用語解釈には、古来の語彙を適用すべきであるというのが、史学の当然、普遍の原理であり、論者は、この原則を克服する論証を歴て、新説を提示すべきでしょう。
古賀氏が、陳寿が想定していた三国志上申に際して、当時の中原読書人の語彙に反する用語を採用した場合、それだけで、全三国志が却下される危険があることを述べていますが、当方の年来の持論であり、茲に同意します。
*無意味な曲解擁護
古賀氏は、新説の論理的な棄却を怠り、提案者の擁護を試みていますが、「友達を無くさない」配慮は感心しないので、部外者として、憎まれ役を買って出ます。
その際、「唐代二都制」なる「風説」を誤解して、「東都」洛陽を「京師」と解釈できるように取り扱っていますが論外の曲解です。
要するに、唐代「東都」は、後漢代の「東京」であり、京師東方の[大都市](現代日本語を承知の上で使います)であり、「王都」(周代用語)の権威を有しないのです。「都」のように時代ごとの変遷が激しい言葉については、時代に応じた厳正な語義解釈が望まれます。もちろん、「都」を「すべて」と読む原義は、不朽、普遍なので、第一に尊重しなければなりません。
*点と線
古賀氏は、「高麗」への道里について概論していますが、あくまで、「高麗」は、高麗王の居城であり、国境を意味するものではありません。同様に、卞州、徐州も、州の境界でなく、[州都](現代日本語です)を言うのです。
言うならば、厳密に「点」として定義されているものに対して、根拠不明の国境線を持ち出すのは、論理の混濁を招いているものと考えます。
以上、「古田史学」の名にかけて、厳正な論文審査をお願いしたいものです。
以下、もっともですが、同意しがたい難点を述べます。
未完