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2021年12月26日 (日)

倭人伝の散歩道 里数戸数論のまとめ~明解な読解きの試み 改 8/8

                                                               2017/10/29 補追 2021/12/26
*伊都国首都論批判~批判
 榎氏が創唱したと見える「放射道里説」に対する主たる批判は、中国史料で「放射道里」が書かれているのは、起点が王治所など地域中心の場合だけと頑強であるが、それは、「倭人伝」が、そのような厳格な基準に基づいて書かれたという前提に基づいたものであり、「倭人伝」の当該部分が、帯方郡の書記官によって、「倭人伝」独自筆法で書かれたとすれば、当てはまるとは限らない。そして、陳寿は、史官の本分に従い、魏代の公文書、つまり、皇帝公認の公式史料に忠実な史官倫理を「旧套墨守」したものと思われる。
 「倭人伝」解釈で、後世東夷の「思い込み」は、しばしば「曲解」につながるのである。

 因みに、「首都」は、恐らく、魏朝初代皇帝曹丕の造語であり、後漢末期の動乱の結果、後漢献帝の流浪により、帝詔が洛陽、長安、鄴、許都などから発せられて混乱しているのに対して、『後漢の天下を継承した以上、総ての「都」は有効であるが、天子の治所雒陽を「首都」とする』と宣告したことから来ている。

*全ての道の通じるところ~補充 2021/12/26
 いつの間にか、伊都国が実質的な首都かどうかとの議論となったが、海峡交易の要(かなめ)であった伊都国は、交易中心にして物資集散地であり、実務上、各国への里数が知られていたと考える。
 漢書では、地域の交通の要は、すべての人と物資が会する処であることから、「一都會」、「一に都(すべ)て会す」と評していたが、陳寿は、ここでは、そのような迷走は避けている。そもそも、中国語に於いて、「都」に「みやこ」の意味が付託されたのは、「王」が、交通の要に治所を定め、市(いち)を開設したためであり、本来は、すべてが集うという意味であり、多くの場合、今日に到るまでその意味が貫かれているのである。これは、日本語での「都」の意味と随分異なるので、史書の解釈で、「思い込み」に惑わされないように注意する必要がある。

 余談ながら、現代人が、これを漢書の新語「都會」と曲解しているが、何とも珍妙な時代錯誤である。漢書の編者班固は、史官の伝統を堅持していたから、そのような生煮えの新語は採用しないのであって。単に、文字の連なりに過ぎないのである。とかく、「都」は、後世人に誤解されやすいのである。

*倭人伝の主題
 ともかく、「従郡至倭」、つまり、公式史書の作法に従って、帯方郡起点で書かれている、内陸の帯方郡を発して一路南下して「女王之所」に至る行程と里数、日数記録「倭人伝」の主題である以上、伊都国から女王国直行であり、他国経由の道草行程は書かれてないと思うのである。
 念のため言うと、世上で「定説」とされている「魏使訪倭経路」説は、大胆な読み替えであり、また、「倭人伝」道里の書かれた時点と齟齬しているので、一言で言うと「大きな勘違い」である。多くの先賢が、この「定説」に合わせて、「倭人伝」道里記事を「曲解」しているのは、勿体ないことである。要は、陳寿の筆の運びに合わない見方は、いかに現代風の精緻な論理に裏付けられていても、陳寿の真意を見損ねていて、単なる「誤解」、「曲解」と言わざるを得ないのである。

*結末 明解な読解き
 岡田氏の言説に対する反論が大きく膨れあがったが、端的に言うと、この程度の考察を踏み台としない、性急な断定は、大抵の場合、軽率の誹りを免れないのである。威勢の良い発言で、異論を一蹴、排除するのは、大いに俗耳に訴え、大いに俗受けするので、止められないのであろうが、論理が主役であるべき学問の世界では、的外れ、心得違いというものである。

 当ブログ筆者は、太古の賢人「墨子」にならって、なろう事なら「尚賢」でありたいと思うのである。

                                                                      以上

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