私の本棚 3 岡本 健一 「邪馬台国論争」 改頁版 6/8
講談社選書メチエ 1995年7月刊
私の見立て★☆☆☆☆ 見当違いの強弁が空転 2014/05/17 補追 2021/12/23
*コメント
「れば」は、仮定に基づく所感であり、学術の論には無用の言葉遣いです。「先の前提」の当否は、懸案となっていて、この後も論破されていないのです。つまり、単なる冗語です。また、信用をなくしています。
「わずか」は、「」を飛び越えて「2.6倍」にかかるのでしょうが、これが「わずか」に見えると言うことは、よほど巨大な距離を先入観として持っていることになります。ともあれ、子供じみた乱文です。また、書かれている里数は、出典不明、根拠不明の数字の遊びであり、何の根拠にもなりません。またまた…また、信用をなくしています。
それが、「孫悟空の如意棒」という、学術用語でなく「かかる論争の際の言葉遣いとして不適切としか言いようがない」比喩で不意打ちする動機になったのでしょう。著者の脳内は、奔放なイメージが乱舞しているのでしょうが、それを無分別にばらまくのは、大変迷惑です。
言うまでもなく、「如意棒」は空想譚上の遊び道具であり、誰も実体を見ていないので引き合いに出すこと自体、ご当人の知性を疑わせるものです。
脚もとをまさぐって手応えのあったものを、確かめもせずに相手に投げつけるのでは、投げるものがなくなったら「糞」を投げつける類人猿なみと見られても仕方ないでしょう。ご自愛いただきたいものです。
*反射的な言説動揺
著者は、自説に基づく先入観を基準としているから、事態が紛糾して言い分に窮すると、感情が刺激されて劇的な(不法な)暴言を吐くようであり、著者と先入観を共有していない読者にしてみると、著者は、100㌔㍍(現代中国語で言う100公里)の距離を、自説に整合するように500㌔㍍以上に無理矢理引き延ばしていると見るものと思います。なにしろ、論議している千三百「里」を勝手に百㌔㍍と見立てて、論敵の取り付きようのない足場にしているので、論議にならないのです。
論議の大半は、そうした思い入れのすれ違いから来るものです
。
論争の際は、先入観に起因する感情的な意見/表現を抑えて、中立的な見解に言い換えないと、罵倒競争、子供の口げんかになってしまいます。こども返りとは、痛々しいものです。ここでも、痛々しいのです。
しかも、直木孝次郎(「国家の発生」旧岩波講座『日本歴史』1 1962』や山尾幸久(「魏志倭人伝の史料批判」1967)が指摘するとおり、1500里を比例値(最大150キロ)とする場合、一日行程50里(漢魏里で21キロ前後)で計算すると、せいぜい五日もあれば十分だ。
*コメント
「一日行程50里」(普通里で25㌔㍍)の前提は、道路整備と宿所の整備ですが、倭人傳は、倭地街道の整備は語っていないのです。
途中に補給拠点(宿駅)がない場合、大量の食料と水を抱えて進むことになり毎夜野宿になります。それだけの重荷を抱えて、野宿明けを、歩調を落とすことなく、淡々と歩いていけるものかどうか。
未完
« 私の本棚 3 岡本 健一 「邪馬台国論争」 改頁版 7/8 | トップページ | 私の本棚 3 岡本 健一 「邪馬台国論争」 改頁版 5/8 »
「私の本棚」カテゴリの記事
- 私の本棚 9 追補 鳥越 憲三郎 「中国正史 倭人・倭国伝全釈」2/2(2023.01.13)
- 私の本棚 9 追補 鳥越 憲三郎 「中国正史 倭人・倭国伝全釈」1/2(2023.01.13)
- 私の本棚 9 鳥越 憲三郎「中国正史 倭人・倭国伝全釈」増改5/5(2023.01.05)
- 私の本棚 9 鳥越 憲三郎「中国正史 倭人・倭国伝全釈」増改4/5(2023.01.05)
- 私の本棚 9 鳥越 憲三郎「中国正史 倭人・倭国伝全釈」増改3/5(2023.01.05)
「倭人伝道里行程について」カテゴリの記事
- 新・私の本棚 番外 makoto kodama 『「ToYourDay?」さんへの反論終了』(2023.02.26)
- 新・私の本棚 号外 ブログ記事 makoto kodama『「ToYourDay」氏の批評に反論(其の一)』 3/3(2023.02.25)
- 新・私の本棚 号外 ブログ記事 makoto kodama『「ToYourDay」氏の批評に反論(其の一)』 2/3(2023.02.25)
- 新・私の本棚 号外 ブログ記事 makoto kodama『「ToYourDay」氏の批評に反論(其の一)』 1/3(2023.02.25)
- 新・私の本棚 番外 makoto kodama 「ToYourDay」さんへの返信(その三)(2023.02.23)
« 私の本棚 3 岡本 健一 「邪馬台国論争」 改頁版 7/8 | トップページ | 私の本棚 3 岡本 健一 「邪馬台国論争」 改頁版 5/8 »
コメント