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2021年12月23日 (木)

私の本棚 3 岡本 健一 「邪馬台国論争」 改頁版  7/8

 講談社選書メチエ 1995年7月刊
私の見立て★☆☆☆☆ 見当違いの強弁が空転 2014/05/17 補追 2021/12/23

*合わない勘定
 更に深刻なのは、一日21キロなら五日で150キロ」とおっしゃいますが、これでは算数の勘定が合わないので、筆者の感覚はどうなっているのだろうかと不審に駆られます。ここでも、痛々しいのです。

 もっと肝心なのは、それがどうした、と言う素朴な反問に対して、答えに窮するのです。「倭」は、最大でも末羅国から徒歩五日程度、つまり、手近に在るというのは、文書交信できなかった古代の世界観で言えば当然です。
 この間に一ヵ月かかるようでは、国が成り立たないのです。自滅発言です。

*引用の不備
 因みに、直木、山尾両氏は、古代史学界でも、群を抜く知性、学識の持ち主であり、そのような暴言は吐いていないはずです。おそらく、はっきりした前提があってのことであり、両氏の著書に示された潤沢な論考のごくごく一部、自分好みの数字だけ取り出すような勝手な引用は、そもそも不適切でしょう。御両所の名声に、勝手に泥を塗っているのではないかと危惧します。

*不手際の是正待望
 案ずるに、筆者は、上位職種で、周囲に相談相手もご意見番もいないように思われます。数字に弱い人は強い人の助言を仰げば良いのであり、自分がよくわからない事項をわからないままにして、読者に錯乱状態をさらけ出す書物を出版してしまうのは、高名な著者の晩節を汚すものでしょう。
 こうしてみると、著者が、独力でできる最善最強の策は、不得意な算数論理に深入りせず、「短里が施行された証拠は一切なく、そのような架空の短里説に依拠した比定もまた架空である」と単刀直入に指摘する高度な戦略であったように思われます。

*講談ネタの乱入
 他の不適切な論証の例で言えば、130ページで、筆者は、卑弥呼の第一回の遣使を景初二年でない根拠の一つとして、「明智光秀の毛利への使者が秀吉の陣に迷い込んだ故事と同様の間違いを起こしかねない」と揶揄していますが、挙げている故事は講談ネタであって、史実でなければ学術用語でもなく、かかる論争の際の言葉遣いとして不適切としか言いようがないと思います。

 手短に言うと、秀吉は、西方の毛利高松城を包囲布陣していたので、京都方面から西進すると、まず秀吉陣にぶつかることは、子供でもわかることです。知将光秀が、毛利に密使を派遣する時、秀吉陣の迂回を厳命するはずです。講談ネタが広がったとすると、それは、秀吉が、自分の間者の通報を合理化した宣伝工作となります。

*両郡調略の知略
 魏が遼東公孫氏を攻略するために、半島中南部や倭国にどのような宣撫工作を行ったかは、正史に明記されていないのですが、兵法常識として、遼東に派兵したときに、半島中南部や倭国からの公孫氏支援軍に攻撃されると、上陸軍が窮地に陥ることは明白であり、物の道理からして、事前に、両郡を勅命によって血を見ることなく皇帝傘下とし、両郡管轄下の東夷に対して、相当念入りに宣撫工作したことは明らかであると思います。
 このあたりは、当然自明なので、正史は省略しているのでしょう。明記されていなくても、自明と示唆されているのは、明記に等しいのです。

                               未完

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