« 新・私の本棚 伊藤 雅文 ブログ 「邪馬台国と日本書紀の界隈」 改 3/8 | トップページ | 新・私の本棚 伊藤 雅文 ブログ 「邪馬台国と日本書紀の界隈」 改 1/8 »

2021年12月25日 (土)

新・私の本棚 伊藤 雅文 ブログ 「邪馬台国と日本書紀の界隈」 改 2/8

「「魏志倭人伝」解読の重要ワード..」 M・ITO (伊藤 雅文)
 2020/04/16 追記2020/04/19 追記 2021/12/25

3 「周旋」論
 氏の解説は、常道に従った古典書用例参照が雑駁と見えても、全体として、まことに堅実です。国内史書が起点の先賢は、先入観で「周旋」を誤解しましたが、漢字辞典を参照すれば、「周旋」の「周」は、「ぐるっと周回」だけでなく、「周(あまね)く」の意味、「旋」も「ぐるっと回転」だけでなく、「経路の終端から戻る」との意味があると知ったはずです。(白川静/藤堂明保両氏の辞典による)
 余り参照されていないようですが、東晋代に編纂された袁宏「後漢紀」の献帝建安年間の記事(孔融小伝)でも、「周旋」は「二者の間を往来する」意味で使われています。
 文頭の「參問」倭地は、狗邪~倭都「歴訪」、「周旋」は、終点終端まで進む「巡訪」と重複気味ながら、文脈により陳寿の真意に辿り着いたはずです。
 因みに、成語「周旋」は、対立当事者、大抵は二者の間を往来して斡旋するのであり、あたりをぐるぐる巡るのではないのです。

*測量不能な図形
 俗解した「領域周回」が、不正解と見えるのは、千里はあろうという領域外周の野山や河川、海浜を「測量して巡る」のは、途方もなく不可能であり、その経路長を測量無しに推定するのも、同様に不可能です。まして、狗邪~末羅の渡海/水行行程は、海峡越えであることから、測量は、重ね重ね不可能です。
 有力算書「九章算術」の「方田」例題には、円形の土地の外周計算方法が書かれていますが、当然、その土地がほぼ円形であり、その土地の径(直径)が知られている場合だけ実行可能です。つまり、外周を実測しなくても、直径の測量で、全周長を推定できるわけです。要は、円形領域の外周周回長は直径の三倍強、という幾何学原理の利用に過ぎません。

 懸案に戻ると、異郷の異国の領域外形は知るすべがないし、海上洲島領域の南北は、道里行程記事から推定できても、東西はどうにも測りようがなく、結局、元に戻って国間道里しかわからないのです。この点は、列挙されている各国のどこが西端でどこが東端か書かれていないのでも明らかです。現代人は、手元の地図に、各国をばらまいて、広がりを当て込んでいますが、倭人伝の視点では、末羅国に始まる「洲島」の広がりは知るすべがなく、伊都国以南が、また一つの大海なのか陸続きなのかも、その時点では、不明だったのです。

 因みに、「九章算術」は、史官を含め、教養人の必須課題であり、陳寿も、当然、こうした原理は知悉していたのです。

*周旋の意義
 「周旋」は、狗邪~倭都直行道里のみが妥当であり、氏が現代仕様の地図上に図示した円弧は、時代錯誤の虚構です。
 郡~倭都全道里が東南方向に万二千里、郡~狗邪部分道里が同じく東南方向 に七千里は明解ですが、狗邪~倭都経路記事は、傍路と輻輳して見えるので、この間の倭地道里を、ことさら五千里と明記したのですが、進行方向は、概して同じく東南方向です。
 どうしても図示したいのなら、読者に誤解を与えないように配慮して、「円弧」範囲を絞るべきでしょう。

 思うに、単純に道里を書き足すと、わかりきったことを書くとは見くびられたものだとの「読者」のお怒りが怖いので、表現を捻ったのでしょう。

〇道里論の失着
 こうしてみると第一項「道里」の見当違いの解釈は、先入観に災いされたのか、説得力を自失していて、まことにもったいないのです。

*用語の錯誤
 見当違いと言えば、見出しで、古代史論を期待している読者を惑わす、場違いなカタカナ語「ワード」です。
 高名なマイクロソフト「ワード」のことではないでしょうし、かといって、次に想起されるコンピューターデータの単位でもないでしょう。いずれにしろ、古代世界に「カタカナ語」はありません。

 唐突に異世界新語を持ち込まれても、善良な読者には不可解至極で、意味が定まらないのです。これでは、いきなり、無用の反発を買うだけです。曰わく、まともな日本語文が書けないのに、生かじりのカタカナ語を持ってくるな、というものです。

 このような飛び入り言葉を、用語考証という厳密な場に持ち出すのは、まことにもったいないのです。普通は、直後に定義を付して不可解の誹りを免れるのです。但し、当記事の中で意義のある場合だけの言い逃れです。
 因みに、CPU命令のWordはCPUビット数なので今日の64 Bit CPUで1ワードは64ビットです。いや、益体もない余談です。

*カタカナ語排斥論再燃
 古代史用語が不可解なのは読者、自分自身の不勉強故と我慢できても、現代人が現代人に対して不可解な用語を振り回すのは不可解そのものです。先賢がおっしゃるように、古代史に関する論議で、古代人が理解しようのない概念や言葉は避けるべきと信じる次第です。

【追記開始】(2020/04/19, 12/25)新書二冊の職業筆者に相応しい「キーワード」(カタカナ言葉の先住民で、一応気に留めてもらえるかも知れないもの)と見出しを付け直したら、粗雑と見くびられることはありません。粗雑は、決して、褒め言葉ではありません。念のため。「ワード」は、単なるはやり言葉で、何年生き続けるか不明なので、本題のような長期戦には、全く不向きなのです。
【追記終了】
                                以上

« 新・私の本棚 伊藤 雅文 ブログ 「邪馬台国と日本書紀の界隈」 改 3/8 | トップページ | 新・私の本棚 伊藤 雅文 ブログ 「邪馬台国と日本書紀の界隈」 改 1/8 »

倭人伝随想」カテゴリの記事

新・私の本棚」カテゴリの記事

倭人伝道里行程について」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 新・私の本棚 伊藤 雅文 ブログ 「邪馬台国と日本書紀の界隈」 改 3/8 | トップページ | 新・私の本棚 伊藤 雅文 ブログ 「邪馬台国と日本書紀の界隈」 改 1/8 »

お気に入ったらブログランキングに投票してください


いいと思ったら ブログ村に投票してください

2022年5月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

カテゴリー

無料ブログはココログ