« 新・私の本棚 伊藤 雅文 ブログ 「邪馬台国と日本書紀の界隈」 改 8/8 | トップページ | 新・私の本棚 伊藤 雅文 ブログ 「邪馬台国と日本書紀の界隈」 改 6/8 »

2021年12月25日 (土)

新・私の本棚 伊藤 雅文 ブログ 「邪馬台国と日本書紀の界隈」 改 7/8

新説!? 暴論!? 狗邪韓国に行ったのは誰?  2020/08/08
新説!?の続き! 「度」と「渡」の違いが示すものとは?  2020/08/23
 私の見立て ★★☆☆☆ 誤解と認識不足の積層 2020/08/26    付記 2020/08/29 補追 2021/12/25

〇前置き
 伊藤雅文氏の二回に亘る記事は、素人の「日誌」(ログ)でなく商用書著者の論考と思うので、誠意をもって辛口批判します。先行する「現代訳」なる連載記事で頻出する難点に消耗したので、一点に絞ります。氏の考察の基本的な欠点が見えると思うので、以下同様と理解いただきたいものです。

 批判の前提は、考察と見て取れるにもかかわらず、正史解釈が粗雑(杜撰)であり、また、三世紀に即した、あるいは、適した考証がされていなくて、現代に流布する風聞、俗説による思いつきの憶測で、考察と言えないのです。

 氏のいきかたは、ぱっと見、現代風の合理性を備えて俗耳に訴えることから、新書で刊行されていて、目下、大勢を占める俗説に随時追従しているようですが、それが的確かどうか疑問であり、以下、批判するのです。

〇踏み台とされた労作
 なお、氏が基調とした訳文は、原文に密着した最善の好訳であり、書き下し文に等しいものです。用字、用語の置き換えは最低限であるから、巻き込まれて脱線する危険は少ないのです。文献解釈は、かくあるべきです。倭人伝を論ずるなら、後は、自力で説きほぐすものであり、責任の分水嶺です。

〇一文解釈集中批判
[原文]從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里。
[訳]郡より倭に至るには、海岸に循(したが)って水行し、韓国を歴(へ)て、乍(あるい)は南し乍(あるい)は東し、その北岸狗邪韓国に到る七千余里。(石原道博編訳『新訂 魏志倭人伝ほか三冊』岩波文庫)

 ここで、氏は、突如、基調を踏み台に浮揚して架空の創作に耽ります。

 帯方郡から倭に至るには、海岸にそって水行し、南進・東行しながら韓国を経ていく(*)。すると、7000余里で倭の北岸にある狗邪韓国(くやかんこく)に到達する。
(*)帯方郡から狗邪韓国への行程については、朝鮮半島の西岸・南岸を海岸にそって航行したとする説と、半島内の水路・陸路を行ったとする説があります。私にはどちらが正しいか断言できませんが、この行程についてはあくまでも「倭人条」の中の韓国記事であり、副次的なものです。[以下略]

 『狗邪韓国までの韓地内行程は「観念的」』とする発想は、慧眼というか、妥当ですが、「従郡至倭」で書き出された道里が魏使の往還記に基づくとの誤謬が邪魔して後が続きません。

〇道里記事の始点
 この間の道里は、「倭人伝」の冒頭に必要な道里、所要日数の申告、開示であって、倭使参上以前に皇帝に上申され、公文書に書かれていたので、後日の改竄、改訂は不可能だったのです。そして、陳壽は、史官の責務として、既存の公式史料を正確に収録する責務を負っていたので、編纂時点の考証や新情報によって改訂することは許されなかったのです。陳壽にできたのは、記事の是正が読み取れる追加記事の書き込みだったのです。

 原文で、「到」は、明確に「其の北岸」つまり、陸上の境地であり船着き場の桟橋などではなく、その場は、狗邪韓「国」とされています。つまり、少なくとも「歴韓国」の一国の国名は明記されているのですから、空文、冗語ではないのです。

 念押しすると、同区間は三世紀読者にとって既知、自明の「街道」道里です。それに反して、海岸に沿いに船で行く異説は、無視も何も古典に存在しない無法な用語概念ですから、よほど念入りに事前解説を加えない限り、編者(陳寿)は非常識な用語の咎で更迭され職を失いかねないのです。史官は、「読者」によって、随時試されていたのです。

 従って、古典書に典拠のない、読者の教養に輻輳する用語は、読者の誤解を誘い、恥をかかせるものとして厳重に忌避されるので、勝手な造語やにわか作りの新語の導入は、固く、固く戒められたのです。こうした理屈が理解されてないのは、何ともお粗末です。

〇解釈でなく改竄
 「従郡」を「帯方郡から」と単純に読むとか、「七千」里を「7000」里に化けさせる「定番誤釈」,「曲解」は別に置くとして、海岸に「循(そ)って」の原文漢字を「そって」とかな表記に「改竄」したのは、なんとも杜撰で不穏です。これでは、石原氏の労作は「バイブル」どころか踏みつけです。

 石原氏は、訳者の誇りにかけても、「循(そ)って」を「沿(そ)って」と意訳しないのです。海岸基準の移動は、字面を無視して「沿(そ)って」なのか、字面に忠実に「循(そ)って」(盾して行き沖に出る)なのか、いずれかですが、「そって」のかな書きは意味不明で、二重に無責任です。さらに念押しすると、「沿岸航行」は、古典書読者に未知の用語であり当然不可解です。同時代人に不可解なことを、勝手に取り込んではなりません。

 一読してわかるように、「海岸」は、海を前にした崖に似た陸地ですから、これに沿う経路は海岸の陸地を言うのであり、海に入るものではありません。つまり、中原読書人の知る語彙では、「海岸に沿って」進むのは、陸行しか無いのです。従って、続けて「水行」と書いているのは、本来、不可解であり無意味です。そこは陸地なので河川行は不可能です。そもそも、郡の東南方にあると書いたばかりの「倭人」のお家に向かうのに、内陸の帯方郡郡治を出て、なぜ、予告のない西に進んで海岸に着くのか、不可解であり、そのようなことは、一切、明記も示唆もされていないのです。飛んだ冷水の不意打ち「サプライズ」です。

 そのように、「循海岸水行」は、三世紀の読者には、自然に解釈できないので、この「問題」の解を巡って、考察に苦労することになるのです。

 このような初歩的考証が理解できないなら「新説」など唱えないことです。

                                未完

« 新・私の本棚 伊藤 雅文 ブログ 「邪馬台国と日本書紀の界隈」 改 8/8 | トップページ | 新・私の本棚 伊藤 雅文 ブログ 「邪馬台国と日本書紀の界隈」 改 6/8 »

倭人伝随想」カテゴリの記事

新・私の本棚」カテゴリの記事

倭人伝道里行程について」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 新・私の本棚 伊藤 雅文 ブログ 「邪馬台国と日本書紀の界隈」 改 8/8 | トップページ | 新・私の本棚 伊藤 雅文 ブログ 「邪馬台国と日本書紀の界隈」 改 6/8 »

お気に入ったらブログランキングに投票してください


いいと思ったら ブログ村に投票してください

2022年5月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

カテゴリー

無料ブログはココログ