私の意見 日本書紀推古紀 大唐使節来訪記事 問題と解答の試み 改 6/6 資料編
資料編 参考のみ 誤記等御免 2020/02/28 再掲2021/02/09, 12/22 2022/05/30
〇隋書 俀國伝 (出典:維基文庫。但し、倭を俀に復元訂正。随時改行追加)
俀國,在百濟、新羅東南,水陸三千里,於大海之中依山島而居。魏時,譯通中國。三十餘國,皆自稱王。
夷人不知里數,但計以日。其國境東西五月行,南北三月行,各至於海。其地勢東高西下。
都於邪靡堆,則魏志所謂邪馬臺者也。
古云去樂浪郡境及帶方郡並一萬二千里,在會稽之東,與儋耳相近。
漢光武時,遣使入朝,自稱大夫。
安帝時,又遣使朝貢,謂之俀奴國。
桓、靈之間,其國大亂,遞相攻伐,歷年無主。
有女子名卑彌呼,能以鬼道惑眾,於是國人共立為王。有男弟,佐卑彌理國。
其王有侍婢千人,罕有見其面者,唯有男子二人給王飲食,通傳言語。其王有宮室樓觀,城柵皆持兵守衞,為法甚嚴。
自魏至于齊、梁,代與中國相通。
開皇二十年,俀王姓阿每,字多利思比孤,號阿輩雞彌,遣使詣闕。上令所司訪其風俗。使者言俀王以天為兄,以日為弟,天未明時出聽政,跏趺坐,日出便停理務,云委我弟。
高祖曰:「此太無義理。」於是訓令改之。
*中略*
至隋,其王始制冠,以錦綵為之,以金銀鏤花為飾。婦人束髮於後,亦衣裙襦,裳皆有襈。攕竹為梳,編草為薦,雜皮為表,緣以文皮。有弓、矢、刀、矟、弩、䂎、斧,漆皮為甲,骨為矢鏑。雖有兵,無征戰。其王朝會,必陳設儀仗,奏其國樂。戶可十萬。
*中略*
大業三年,其王多利思比孤遣使朝貢。使者曰:「聞海西菩薩天子重興佛法,故遣朝拜,兼沙門數十人來學佛法。」其國書曰「日出處天子致書日沒處天子無恙」云云。
帝覽之不悅,謂鴻臚卿曰:「蠻夷書有無禮者,勿復以聞。」
明年,上遣文林郎裴清使於俀国。度百濟,行至竹島,南望耽羅國,經都斯麻國,迥在大海中。又東至一支國,又至竹斯國,
又東至秦王國,其人同於華夏,以為夷洲,疑不能明也。又經十餘國,達於海岸。自竹斯國以東,皆附庸於俀。
俀王遣小德阿輩臺,從數百人,設儀仗,鳴鼓角來迎。後十日,又遣大禮哥多毗,從二百餘騎郊勞。既至彼都,
其王與清相見,大悅,曰:「我聞海西有大隋,禮義之國,故遣朝貢。我夷人,僻在海隅,不聞禮義,是以稽留境內,不即相見。今故清道飾館,以待大使,冀聞大國惟新之化。」
清答曰:「皇帝德並二儀,澤流四海,以王慕化,故遣行人來此宣諭。」
既而引清就館。
其後清遣人謂其王曰:「朝命既達,請即戒塗。」
於是設宴享以遣清,復令使者隨清來貢方物。此後遂絕。
隋書史料完
〇補足~私見 2021/02/12
「海西」とは、漢書/後漢書西域伝に書かれた西方の大海カスピ海の西岸「海西」であり、普通に考えると西戎「條支」(アルメニア王国)の天子と嘲ったことになります。東シナ海の向こう岸という解釈は、中国古典を知らない解釈であり、無謀というものです。
「日沒處」とは、西王母の住まう西の果てであり、仏教思想で言うと「彼岸」の人ということになります。
中国正史の語法から、そのように読めるはずなのですが、大抵、後世東夷の蛮人、つまり、現代日本人の物知らず丸出しの解釈が蔓延していて、正史に相応しい解釈は、余り、見たことがないので、ここに付記しました。
以上
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