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2021年12月26日 (日)

倭人伝の散歩道 里数戸数論のまとめ~明解な読解きの試み 改 1/8

                                                               2017/10/29 補追 2021/12/26
*序章「過大」宣言
 本件、史学大家である岡田英弘氏の論説が題材であるが、氏の所説は、倭人伝の里数や戸数が(悉く)過大との確信に立脚していると思われる。
 渡邉義浩氏「魏志倭人伝の謎を解く」(中公新書)2164
 引用の岡田英弘「倭国-東アジア世界の中で」(中略失礼)「過大な里数や戸数は、‥‥建前である。‥‥陳寿としては‥‥事実でないと知っていても‥‥本音を書くわけには行かなかった」への批判だから「原本を読め」と言われそうだが、渡邉氏の引用に疎漏はないと信じるから、慎んで孫引き批判する。
 当方にしてみると、一件の論説で大家二人を批判するのであるから、大変効率的である。ただし、従来の書評とは、風向きが違うので、「本棚」と別系列にしている。

*本音の怪
 こうして文の途中を割愛すると、岡田氏の書いた文章の大きなうねりがよく見える。
 ここで、麗々しく「建前」と「本音」書いているが、何も記録されていない魏晋朝の(架空の、あるいは虚構の)本来極秘の「本音」を、どのようにして陳寿が知り得て、その上で秘匿したか不思議である。

 また、陳寿が、魏朝の「本音」を知っていながら、史官の責務に反して書かなかった経緯を、岡田氏は、如何にして知り得たのであろうか。奇っ怪な話、二千年近い時を超えた怪談である。

*癒やしがたい夜郎自大
 それにしても、魏晋朝高官や史官たる陳寿のような錚錚たる人々が、吹けば飛ぶような一東夷の所伝に対し、身命を賭して里数戸数の粉飾に勤しむのかわからない。
 いわゆる「夜郎自大」症候群かと思わせる。「症候群」であるから、発症の事態は、人それぞれだが、蔓延の根底は、岡田氏の世界観なのだろうか。

*権威主義の懸念 明解な読解き
 渡邉氏ほどの方が、いかに支持した岡田氏の見解であろうと、このような不合理な論説を引用掲載するのは傷ましい。多分、岡田氏は、学会の泰斗であり、このような一種の暴言に批判がなかったのだろうが、阿諛追従でないかと懸念される。
 古代史学界の有り様は、権威追従の強弁が頌えられるようである。

 渡邉義浩氏は、別の場では、『倭人伝は「ウソ」の塊であり、従って、「邪馬台国」所在論は、悉く誤解に基づいていて、無駄である』と言う主旨の暴言をものしていて、一絡げに無知の愚を諭されている。
 思うに、『「ウソ」である倭人伝にとらわれた古代史論は、全て「ウソ」』という主張であるが、他ならぬ世間の信頼を集めているであろう古代史学者が、「古代史学者はみんな嘘つきだ」と言っているようで、何とも、傷ましい思いになるのである。

 このような風潮だから、自説の主張に際して丹念に論拠を言い立てる榎氏や古田氏の論考がなおざりにされて、悪い意味での守旧派、定説固持、そして、感情的な断言調論説がはびこるのだろうか。

 当方は、保身も追従も無関係な素人なので、ついつい「明解な読解き」に走るのである。 

                                              未完 

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