新・私の本棚 藤原 俊治 季刊 「邪馬台国」 第35号 「里程の謎」再 8 1/2
8 「魏志」「倭人伝」の里程単位 藤原俊治
私の見立て ★★★★☆ 熟読すべき労作 2019/01/30 追記 2020/10/07 補充 2021/12/09
*序論
本論は、60ページ近い労作ですが、専門学術誌「計量史研究」の連載記事(1979,80)に加筆訂正を加えたものです。
初出時の批判、応答を承けて熟成している点が感じ取れます。学術誌掲載ということで、関連史料とそれに関する先賢所説総覧が充実し、百五十件を越える付注も貴重です。
また、冒頭に、過去の邪馬台国論争における諸論輻輳を鎮めるべく核心を提示し、それに即した論考としていて、読者として安心して後を慕うことができます。総合的な論考とは、かくありたいものです。
氏は、煩雑を厭わず邪馬「台」国論争と書いて、この国名が依然審議中であることを、初心の読者に無用の刷り込みを避けたのは、まことに賢明です。
当方としては、氏の論文作法に異論は無く、採用史料もところを得ているので、大部の割には短評に止めることができたのです。
*論点の明示
Ⅰ 里(歩)程論争をめぐって
「はじめに」と総序があり、以下、「従郡至倭」万二千里程の議論です。
*倭人伝里程由来
「長里説」「短里説」、そして、「地域短里」「魏晋朝短里」は、「里程の謎」に注目している本誌読者諸兄に周知と見て、説明を略します。
当部分で、当方が参考としたのは、秦漢魏里制は、秦始皇帝の布令に基づくもので、具体的には、戦国諸国を滅ぼして天下を統一した秦が、六尺を一歩(ぶ)とし、(結果として)三百歩を一里とするという単位系徹底宣言であったという主張です。
時に言うように、秦が普通の周制を廃したものと限らず、「同文同軌」の一環として、秦度量衡により諸国度量衡を全廃、統一したものです。
つまり、秦支配下の諸地は悉く秦制を敷いたのです。法治主義により、全国に官吏を派遣して苛政を押しつけ徹底させた秦ですから、間違いないところです。
*「魏晋朝短里」説の非道
当説は、古田武彦氏が、安本美典氏提唱の倭人伝短里を採用する際に、そのような「里」は、三国志編者陳寿の編纂方針によるものとの理解から、「魏志の里制が短里」と確信したことから生まれ、論証課題として、三国志の里制記事検証という壮図が生じたものと見えます。
古田氏は、当初、魏朝創業の文帝曹丕が、秦漢旧弊を廃する目的で里制改訂したと推定したのですが、特に史料に根拠はなく、また、三国志全本文の各用例の検証は、労苦を厭わぬ壮挙と賞賛を惜しまないものの、素人目には不調に終わったと見えます。東呉孫氏政権は、後漢を尊崇していたし、蜀漢の劉氏政権は、両漢の正統な継承者を名乗っていたので、それぞれ、後漢制度を廃して、曹魏の制度に替えることはあり得ないのです。
文帝曹丕も、後漢献帝からの禅譲を奉じていて、つまり、漢制の堅持を至上の使命と見ていたものであり、戦時の国内に大混乱必至の里制変更を施行するとは、到底考えられないと見えます。ただし、後継明帝が、先帝の「漢制堅持」の遺訓を覆して、景初改暦、祭礼変更と共に「里制改訂」を布令した(と見える)などの反論mありますが、切りがつかないので、以下別義とします。
冷静に見れば、三国志も、晋書も、この大事件に一切言及していません。つまり、論拠となる文献資料が、皆無なのです。
私見では、本説は、とうに使命を終え、廃却するべき時が来たと感じるものです。言わば、現役を離れ、殿堂入りする花道が求められているように感じますが、当事者ではないので、何とも申し上げられません。
未完
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