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2021年12月26日 (日)

倭人伝の散歩道 里数戸数論のまとめ~明解な読解きの試み 改 3/8

                                                               2017/10/29
*局地里制の先人
 古田武彦氏を始め多くの論者が主張している「短里説」だが、論拠は三国志内里制表記であり、倭人伝が「独自基準」の局地里制を宣言、採用していることを根拠とした説は記憶にないので、先例をあげることができない。

*図形表示技法の提案
 あえて言うならば、安本美典氏が、地図上で、帯方郡起点で狗邪韓国まで七千里ととしたとき、狗邪韓国起点で五千里の円を描いて大体の範囲を示していたのが想起される。
 補追:この「想起」は不正確であったので、お詫びして補追、訂正する。
 安本氏は、藤井滋氏の提唱を引用して、帯方郡基点で万里となる末羅国を起点として、二千里の範囲にあるという指摘であった。(2021/12/26)

*倭人伝里数考察 明解な読解き
 一方、里数に対する後世史家の見解だが、衆知の如く、倭人伝の里数に修正を加えて書いた倭人伝修正版というのはついぞ見かけない。いや、近現代国内での論説は別としての意味である。
 それは、中国側により現地踏査が行われたであろう後も変わっていないように見受けられる。 隋、唐、北宋などは、倭人伝里数の現地検証は可能であったと思われる。
 特に、隋唐時代に、数度の使節来訪があり、随行書記官により、現地調査での里数検証の機会はあったと思うが、魏志里数記事が修正された、あるいは、付注されたと言うことは聞かない。
 つまり、倭人伝の里数表示は、帯方郡から狗邪韓国の間が基準として示されているから、資料として正確であると見たと思われるのである。
 そのような考察を怠って、「過大」の一言で切り捨てるのは乱暴に過ぎるのである。
 補追:この「考証」は、不正確であったので、お詫びして補追、訂正する。 (2021/12/26)
 中国正史で、先行史書の訂正は、極めて希である。訂正しても、正史として、歴代王朝に公認された史書を訂正するのは、禁止事項であったのである。許容されているのは、裴松之の付注で見られるような「補注」であり、本文と区別の付く形で追加するものである。中国では、写本継承は、極めて厳格に精査されたので、補注が原文に紛れ込む異常事態は、稀少である。

*戸数について
 岡田氏が、倭人伝の戸数を過大とみた理由は、里数ほど明確でないので、以下当て推量を試みる。
 女王国(壹臺論回避策)の戸数が七万戸と書かれていて、先行する諸国戸数を合計するとすでに七万戸であるから、三十国の総戸数は(書き漏らしているが)十四万戸を越え、当時の情勢から見て過大という論理と思われる。
 以下、これが、必ずしも確実な議論でないことを、追々説明する。

                                              未完

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