倭人伝の散歩道 里数戸数論のまとめ~明解な読解きの試み 改 4/8
2017/10/29 補追 2021/12/26 2024/04/29
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲していることをお断りします。
*総戸数説
これは、女王国の戸数七万戸が、三十余国の集合である倭国全国の戸数の内数であるという推定から出ているが、これは、あくまで、倭人伝戸数記事解釈の「一案」であり、氏の議論は、全てこの「一案」に立脚すると見るのである。
因みに、晋書「倭人伝」によれば、七万戸は「倭人」の総戸数であり、奴国二万戸、投馬国五万戸は、内数となる。全体に通じる「余」は、程度にあたる概数表現であるので、全国戸数の積算は、七万戸に収束すると見て良いということである。詳しくは、長くなるので、後記する。
*「倭国伝」の試み
「倭人伝」のかなりの部分は、帯方郡使の書記役が記録したと見られるが、定説は、帯方郡から女王国への行程総里数は必須として記録されても、同様に重大な総所要日数は書かれていないと見ているようである。同様に、全三十国の総戸数は書かれていないと見ているようである。読者が計算担当に見える。
これに対して、本論は、「倭人伝」は「倭国伝」を目指して書かれたと見ているので、総日数と総戸数の記録が無いのは体裁不備と見る。
そうでなくても、「倭人伝」が、読者たる皇帝を初めとする知識人に、煩雑な加算計算を強いたと見るのは、何かの勘違いであろう。漢数字の加算は、そう簡単ではないのである。
私見であるが、「倭人伝」は「伝」の要件を意識して書かれたと見るものである。これが、本論の一つの提案である。
*戸数論再訪 明解な読解き
女王国七万餘戸は各国戸数の合算を下回るので倭国総戸数と見ることができないというのは、概数合算算術の理解不足が一因と思われる。
*帯方流「餘」の解釈
倭人伝で、里数、戸数ほぼ全ての「餘」が端数の切り捨てと見るのは「読み違い」であり、四捨五入的概数「略」(ほぼ)と読むべきではないかと見ている。
「略二万戸」と「略五万戸」を足せば「略七万戸」であるが、それは、六万戸程度から八万戸程度の範囲内のどこかであって、七万戸を上回るとは限らない。数学記号で言うと、≒であって=ではない。
*概数計算の妙味(ほめ言葉)
次に、大国の万戸台の戸数に千戸台の中小国の個別戸数を足す計算であるが、概数計算では、桁の異なる概数の漢数字を、多桁の算用数字に「翻訳」した足算計算は勘定が合わないことか少なくない。
未完
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