新・私の本棚 謝 銘仁 季刊 「邪馬台国」 第35号 「里程の謎」 再 16 1/1
16 「魏志」「倭人伝」に表れた地理観 謝銘仁
私の見立て ★☆☆☆☆ 発見無し 2019/01/31 追記 2020/10/07 補充 2021/12/09
*序論
本論文で説かれるのは、「倭人」の地理観であり里程論ではありません。つまり、課題を見失った場違いなのです。
倭地が、漢書地理志で紹介された海南島、朱崖、儋耳と対比されていると見えることの背景を述べていても、だからといって格別に斬新でないように思います。別に謎でもない話題に、別に斬新でもない解を与えているのに、掲載する価値はあったのでしょうか。
いえ、謝銘仁氏に求められているのは、長年の論争のほんの一部でもいいから、闇に一条の光を当てる論文と思うのです。
*倭人伝史料批判
倭人伝の中で、倭地の風土、風俗を、海南島、朱崖、儋耳のものと対比しているのは、明らかに洛陽人の意見であり、最終的には、陳寿の見識と見なすべきだという事に異論はありません。但し、そのように概観した背景は、論ずる余地があると思います。
まずは、倭人伝里程記事を当時の里長で絵解きすると、倭地は海南島にも及ぶ南方に展開しているから、引き合いに出したという理解です。この解釈を言い立てるのは、畿内論者が多いようです。魏志行程を、何か何でも、わが地に引きつけようとしているようです。
あるいは、当時の中原人の地理認識で、漢書地理志によって海島として、ほぼ唯一知られていた海南島と、倭人伝で初めて対比例として紹介された東夷倭人の住む海島とが、「世界にただ二つ、海島という点で共通している」との視点から、ここに海南島の海島風俗を取り上げたという理解です。
当方の意見では、陳寿は、倭人伝の里程、方位が、正確、厳密なものでなく、むしろ、不確かなものであると認識していたのであり、倭地がどの程度の南方か確言できないと見て、漠然と比較したと見るものです。
当方は、陳寿の倭地地理観をそのように見て、その主旨から理解しているものであり、前者の理解に立つ論に対して、一考に値する、言下に棄却すべきでないと信ずる異説を立てるものです。
さいわい、氏は、文献解釈の大家であるので、このような異説を無下に廃却しないものと信じて、ここに提言します。
*結論
謝氏ほどの権威から、中国人ならではの語学解釈が聞けないのは残念です。また、氏ほど博学なかたが、裸国・黒歯国記事解釈で足元が乱れるのは残念です。
一旦、「また裸国・黒歯国ありて、さらにその東南にあり」と書いておいて、ただちに「裸国・黒歯国は、さらにその東南にあり」と言葉を変えるのは不可解です。そもそも、見るからに字数稼ぎ、不体裁で、この程度の不体裁は、編集部で校正してほしいものです。
「船行一年」を、そのような「航路」と論じていますが、そもそも、倭人伝時代に「航路」なる言葉は「ありえない」のに、根拠不明で両断するのも不可解です。
とは言え、「航路」、あえて解釈すると、「一種の街道」が確立されたほど往来があれば、一年の航行の間の停泊地が必須です。中国古代文に堪能なはずのかたですから、倭人伝にとどまらず三国志にも用例のない「航路」の意味、とくに「路」の意義は承知と思いますから、出し惜しみせずにご教示いただきたいのです。
手の内を見せないために、高校生に揶揄されるようなはめに落ちているのではないかと危惧します。
と言うことで、本誌の特集に、この程度の随想しか寄稿されなかったことに、大変失望しているのです。まさか、早々に、殿堂入りして「レジェント」扱いで、神棚に登って満足されたのかとも思えないのですが。
この項完
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