新・私の本棚 17 まとめ 季刊 「邪馬台国」 第35号 「里程の謎」 再 1/1
2019/01/30 追記 2020/10/07 補充 2021/12/09
〇総評に代えて
以上の通り、一介の私人としての全力を振るって、全論文の書評を試みましたが、ここまでのブログ記事で、独自見解と示唆して公開している私見で、知らないうちに先人の見解を勝手に下敷きにしていたものは無いようで、ほっとしています。
編集部の総括を参考に読解を試みたのですが、ここに総力特集を提示したにも拘わらず、依然として混沌たる状況に見えて不満があります。
特に難があるのは、「里程の謎」と題して、「謎」の解法を募ったはずなのに、見当違いな論説を寄せている論者が、結構多いのである。特に問題なのは、「倭人伝」の文献解釈をはなから放棄して、つまり、難題に降参して、「思い付き」を展開している例が少なくないのです。
結果として、ここに衆知を集めたにも拘わらず、「謎」の解明か進まなかったということです。
〇方位感の確立について
一つには、倭人伝の里程方位は、魏使が日の出方位を真東と誤解したために方位記録を間違えたという、低級な愚説が廃却されていないことです。
古代人は、方位を非常に重視していて、国王居所は、当然、正確な方位感で建てられていたので、訪問者は、方位を聞く必要がなかったのです。そのような方位感の確認は、交流の大前提であり、訪問者が日の出方位で勝手に方位感を更新するなどあり得ないことです。
無駄覚悟で深追いすると、帯方郡民の魏使は、郡地の日の出が、季節によって真東から外れることは、承知していて、倭地に赴いても、季節による方位認識の誤解は、あり得ないのです。俗説は、随分、古代人の知性を見くびっているのに驚きます。
当時の方位認識は、太陽観測から得られていたのは明らかですが、その観測精度は、小振りな日時計程度から、夏至冬至を確定するための高度観測も可能な大規模施設まで種々考えられます。観測点での測定精度確立は、国王威信の根拠であるため優先的に施設整備し、広く誇示されていたのです。
ただし、里程の方位の目的は、道案内であり、方位精度は大まかで十分だったのです。
以上、ものの道理を尽くした個人的な最善の考察であり、軽薄な現代人感覚を強く打ち消すために、強い表現をとっていますが、別に、史料、遺跡、遺物を得ているわけではないので、漠たる思索との批判は甘受します。
〇誇張説の廃却
今となっては意義の無い「誇張説」は、廃却されるべきと考えます。
誇張の根拠である実態里長論は地名比定の余燼として「誇張」と切り離し、時代錯誤で非科学的な「陰謀」説は、史学論争から排除すべきでしょう。
〇魏晋朝短里説の廃却~「倭人伝道里」待望
本説は、編集部が総括したように、本質的に無効な主張であり意義の無い一説に過ぎないのです。そして、魏晋朝短里説を廃却しても、地域短里説は微動だにしないのです。
丁寧に言うと、郡から狗邪韓国まで七千里、全行程一万二千里との二点が比定されない限り、これらの「道里」は、四百五十㍍でなく、七十五㍍でしかないのです。
いや、それは、当時の漢魏帯方郡管内で、一里七十五㍍が制度として施行されていたと主張しているのではないのです。倭人伝の道里が、七十五㍍基準で書かれていると言うだけなのです。帯方郡地域短里説と区別するとすれば、「倭人伝道里」説と呼ぶべきものです。
無効な主張の細部に対して反論すると、本説は有効と見なされて、論争の収束に逆行するので、曖昧な反論はすべきでないのです。
〇まとめ
本号の絶大な努力に拘わらず、里程説の「謎」は、原初の混沌が、一向に晴れないことから、古代史論争の決着は、今後とも、永遠、遼遠と見るものです。
*行きすぎた分岐点 2023/06/11
初稿時点では、まだ、模索段階でしたが、遅ればせながら、大事な誤解を指摘しておきます。
「倭人伝」の道里行程記事は、正始魏使の現地報告をもとにしたものではなく、景初早々に楽浪/帯方両郡が、魏明帝の指揮下に入った時点での魏帝の認識であり、それは、遼東郡太守公孫氏が残した東夷身上書に基づいていたのであり、それが、魏朝公文書に残されたので、それが、陳寿の依拠した「史実」だったのです。ですから、そこには「誇張」はないのです。
「倭人伝」の解釈の最初に、この点を認識しないままに進んでいる論義は、一律、「行きすぎ」とも見なければならないのです。
書評完
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