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2021年12月26日 (日)

倭人伝の散歩道 里数戸数論のまとめ~明解な読解きの試み 改 7/8

                                                               2017/10/29 補追 2021/12/26 2024/04/29

*加筆再掲の弁
 最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲していることをお断りします。

*岡田氏の限界
 以上の観点に立てば、「倭人伝」の戸数、里数は、決して過大でないが、それを是認すると氏の論議は立脚点を失うので、岡田氏は見向きもしないが、それは、個人的な却下理由になっても、広く通じる根拠にはならない。

*古田説批判
 「部分里数の合計は全里数と等しい」(等しくなければならない)との古田氏提言の定理は、概数計算では無効である。
 たとえば、古田氏は、部分里数合計が全里数万二千里に対して不足する里数を、倭人伝に一切根拠の無い、「島巡り」里数に求め、前記定理の論拠としているが、渡海一千里は数百里の端数を易々と呑み込んでいて、そこから島巡り里数を取り出すのは、無効かつ無用の帳尻合わせである。概数の概念を正しく理解していれば、このような小細工の帳尻合わせは必要ない。まして、記事冒頭の架空の「水行」行程の臆測道里を取り込むのも、無意味である。

 史官は、大局を読んでいたから、このような、はした部分の造作は、無関心なのである。
 このような姑息な小細工をしたため、古田氏の提言全体の信頼性に疑念を投げかけられたのは、何とも、不都合である。

*古田氏の限界
 古田氏が、東夷伝、「倭人伝」独特の用語に気づけば、以上の誤解を避けられたと思うが、それは、多分、氏の史料観に外れた視点と思う。
 いずれにしろ、人は、誰しもその人なりの限界があるのである。限界があるから、その人の論考の広範さが、証されるのである

*倭人伝道里事情
 景初年間以降、魏の直轄群となった帯方郡は、文書使の往来を通じて、倭地の状勢を理解していたので、渡海後の道里は不明、つまりおおざっぱであると承知していたのである。
 全体が万二千里とすれば、狗邪韓国まで七千里ほどと見て、大きな間違いはないと承知していたが、部分道里を合計計算されたくないので、郡の方針で伊都-倭の最終道里を書かなかったとも見える。郡の報告に何を書き、何を書かないかは、郡太守の裁量事項なので、最終区間の里数が書かれていないのは、郡太守の指示と見るものである。
 先ほど、渡海後の実測道里が不明と書いたが、末羅國から伊都国は測量可能であり、実際測量したと思われるが、あくまで推定であるし、いつ、誰が、どんな方法で測量したか不明である。この時代、目測や当て推量も、測量の一形態である。
 それは、貿易中心伊都国から海港への道里であり、実務上有益不可欠であるから、順当には、一里塚などの方法で里単位で測量し、街道整備したと思われる。

*追記~2023/06/27
 であるが、道里記事が起草され、全体道里が万二千里と記帳されたのは、「後漢建安年間」の公孫氏時代であり、その時点では、伊都国が「倭」であったと推定される。帯方郡創設時点に近くなって、女王を共立し、その居処として「邪馬壹国」が設けられたと「時代考証」すると、「後漢建安年間」には、「邪馬壹国」は存在せず、先に述べた「伊都-倭」道里は、存在しなかったことになる。その後、初年間に、魏明帝が、帯方郡太守を派遣して、直轄体制にしたときには、女王が君臨し、伊都国を従えた「邪馬壹国」が存在していたが、道里記事に書かれた文書通信所要日数規定は、変わらなかったと見える。

*放射道里説
 榎氏が創唱した伊都国基準放射道里説は、古田氏の強い批判を受けたが、古田氏の批判は、同説を排除できていないと見る。
 『「伊都国」が実質上の倭人王治であり、そこから各国に至る里数が知られていた』という提案には、重大な意義があると思う。

                                                              未完

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