新・私の本棚 5 船迫 弘 季刊 「邪馬台国」 第35号 「里程の謎」 再 2/3
5 里程から見た邪馬台国 船迫弘
私の見立て ★☆☆☆☆ 疑問山積 2019/01/28 追記 2020/10/07 補充 2021/12/09 2024/06/17
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲したことをお断りします。代わって、正体不明の進入者があり、自衛策がないので、引きつづき更新を積み重ねています。
〇野性の呼び声
続いて、「倭人伝」の「水行陸行」基準を論じますが、現代事例の「野性号」を史料批判無しに持ち出しているのは、まことに不出来です。
確かに、同プロジェクトは、貴重な「実験」として大いに参考にすべきですが、「倭人伝」に提示された行程道里は、同時代の公的記録が基準であり、一方、当実験には、海図、コンパスがあり、難航時は支援部隊が助力しました。
一度限りの試行は、寄港状態、採用航路を厳重に時代考証した上で、読者に誤解させないように、その「限界」を明記した上で利用しなければなりません。
*不可能の証明
冷淡な言い方をお許しいただくとして、同プロジェクトは、手漕ぎ船で狗邪韓国-対海国-一大国-末羅国という極め付きの難所を、積荷無しでも、北上しきれなかったという問題と、狗邪韓国から漢江河口付近まで、半島海岸沿いの黄海を、連日漕ぎ抜くことは出来なかったという問題が重なっていて、とても、実施可能な行程とは見えないのです。そのような行程を常用するとすれば、途中で挫折するのは許されないのであり、一度でも、一日の行程を漕ぎ切れない事態があれば、航路として成立しないという事をもっと重く見るべきでしょう。
関係者一同、絶大な尽力で実施した「実験」に対して、否定的な意見を述べるのは、大変残念なのですが、ぼちぼち、率直な意見が許される時期になったのではないかと感じる次第です。
〇官道としての資格審査
当方は、大局観として「危なっかしい船便は官道たり得ない、断固陸を行く」との意見を固持します。大局観というと私見のように聞こえそうですが、要するに、官道としての機能は、乗馬の文書使が駆け抜けるのを根底の前提にしているので、乗馬して駆け抜けられない船での移動はあり得ないのです。
三世紀時点までの史書を参照すると、中原で、「水行」、つまり、河川を上下する船での移動は、存在を否定できないようですが、総て、河川行であり、そのような場合も、あくまで、公式道里は並行して陸上を行く官道に決まっているのです。さらに言うと、中原には、海を行く官道はないのです。
「河川行」は、荒天や増水の際には、いずれかの川岸に立ち寄ることができるので、難船を避けられるのですが、浅瀬や岩礁の存在する海岸沖合の沿岸航路では、所定の寄港地以外で陸に接近するのは自滅行為であり、いわば、海上での荒天は、避けようのない遭難事態になるのです。おそらく誤解されている方が多いのでしょうが、帆船の操舵は、困難なものであり、手漕ぎ船で漕ぎ抜けられるような入港航路も、帆船は、立ち往生するのです。解決策は、漕ぎ手を乗せる、槽運/帆走兼用であり、大変大規模なものになるのです。三世紀、半島東南部の難所に、そのような大型の帆船が通用していたとは見えないのです。
本論に還ると、このような危なっかしい輸送/交通手段は、三世紀当時、国家制度として採用されないのです。無作法を承知で言わせて頂くと、この海上行程が極めて危険で通行困難(実際上不可能)であることは、ほぼ常識であり、それは、実験するまでもなく、思考実験、当世風「シミュレーション」だけで明らかなのですが、冒険が試行されて、その結果が、十分な批判を経ずに、手漕ぎ船航路が実用に適していたことの証左と誤解されているのは、まことに不幸な成り行きです。
冒険は、どんな時代錯誤の支援を受けてでも、困難を超えて一度完漕すれば「成功」ですが、国家の制度として運用するには、とにかく、安全で確実でなければならず、不時の事態が発生しないような万全の備えが必要なのです。船が沖合で難船すれば、当時の沿岸の体制では救助は不可能であり、まさしく、海のモズクならぬもくずと消えるのです。
*「ハードル」談義~余談
陸上競技の「ハードル」は、学校の体育の時間で習ったことを大きく外れた巷間の風聞/迷信と異なって、競技者を「阻止」するものではなく、難なく飛び越えられる高さで、しかも一定していて配置されています。何なら、ハードルを残らず突き倒しても、何の罰則もないのですが、それでは速度が落ちるので、ハードル勝者となるには、全数を飛び越えるのです。周知のように、何も無い走路の所要時間と、大差ない快速の競争なのです。「ハードル」は、「試錬」ですが、「壁」とか「難関」と言うべきものではないのです。
この理解しやすい比喩に対して、古代の海上航行は、数千里の航路の一箇所でも船が沈めば万事休すです。競技者が挫折して水死する前提の競技など、絶対にあり得ないのです。
〇新羅遣唐使の道里
後世新羅遣唐使が、「半島東南の王城慶州(キョンジュ)を発して北行して官道を一貫陸行し、小白山地を、二世紀に官道として確立された竹嶺(チュンニョン)の険で越えて西に転じ、海港唐津(タンジン)から山東半島に渡海した」ことも、この意見の裏付けと言えます。
新羅が、高句麗と百済の係争地であった、漢城付近の要地を、精鋭の急襲で確保し、以後両国の回復を許さなかったのも、小白山地を越える官道が軍道としての用に耐える確実な交通、輸送経路であったことを語っています。
〇理性的な解法
また、倭人伝の言う「水行」が、沿岸行、渡海、河川行のどの主旨で書かれたか、「倭人伝」二千字では不明瞭との主張が出回っていますが、当方は、そもそも、正史の行程道里に、「水行」はないのが常識であり、「水行」は、三度の渡海、つまり千里渡海の一日行程の三回のみと見るので、末羅国上陸で「陸行」に移行したあと、「水行はなかった」(投馬国は傍路)と割り切って細かい理屈づけは不要なのです。
見解の相違ですが論者に同意できないと言うだけで排除しているのではありません。また、国家制度に拘束されない市糴の槽船が、ある程度の危険を承知で徐行した可能性を否定しているものでもありません。例えば、日帰り近隣の海市まで、地勢ならぬ海勢を熟知した村人の操る荷船が往き来するのは、むしろ、健全な姿であり、そのような往来を連ねれば、遠隔地まで、市糴の鎖が通じていたものと見えます。
ここでは、当時、帯方郡の制度として、郡から漢江に沿って小白山地に至り、峠越えで洛東江流域に下りて、以下、慶州付近に繋がる官道が制定されていたと主張しているのです。
一般人といえども、生命の危険はそう犯さないものです。海域の天候、干満、潮流、浅瀬や岩礁の所在など、知り尽くした上で進んだはずですが、よそ者は、そのようなことを知るはずがないので、容易に多島海の寄港地に近づけないのです。
〇隋使/唐使の絶海行程踏破
後世、隋煬帝の使者文林郎裴世清は、明らかに、山東半島からの海船で、筑紫に来訪していますが、関係部署に保存されていたはずの魏使行程を踏襲したのではなく、記録のない未踏の海域を開拓したような書きぶりです。是非参考にしていただきたいものです。
要するに、隋使は「倭人伝」行程記事が、黄海航路を確立した記録でなく、あくまで、郡から倭に至る公式行程、公式道里、公式日程の記録であることを理解していたので、記録に残っていない未開拓の行程を、恐る恐る進んだものと見えます。もちろん、わざわざ、入出港が困難な狗邪韓国の海岸に乗り付けるような無謀な真似をしていないのですが、このあたり、説明が面倒なので、参照しないようなのは、誠に、勿体ないことです。
因みに、後の唐使高表仁は、新州刺史ということで、海船回航に通じた高官だったのですが、半島西岸沖の帆船航行で難航し、数か月を要して突破したように書かれています。
未完
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