新・私の本棚 12 中村 武久 季刊「邪馬台国」 第35号 「里程の謎」再 1/1
12 「水行」の速さと「陸行」の速さ 中村武久
私の見立て ☆☆☆☆☆ 論考途絶、結論暴走 2019/01/31 2019/02/08 追記 2020/10/07 補充 2021/12/09
*序論
『「唐六典」をはじめ(とする)諸文献によって考える』との触れ込みで、興味深いのは、「水行」を河川航行とみて推定を始めることです。
であれば、船速に河川流速が重畳され、流速の遅い江水、つまり長江(揚子江)の場合と流速の速い河水(黄河)のそれぞれで、遡行順行の差が異なるのも当然です。
「唐六典」 は、公的な漕運の一日行程と運賃の協定内容を定めたものであり、自ずと、苛酷でも怠惰でもない妥当な範囲に落ち着いていたはずです。 他の文献も、同様に、文献としての目的があって規定するなり、記録するなりしているのです。史料として参照する際には、数字の意味を解した上で論議すべきです。文献として、特に目的を持たないとしたら、そのような落書きを参照すべきでありません。
論者は、流速の影響を中和した船速で、静水に近いとみた海上水行は陸行五十里に近い速度としますが、驚いたことにそれが結論ではないのです。
*論考展開の無理
氏の論考は、取り敢えずの所、一見、確たる史料に準拠した適確な推定と見えますが、八世紀の「唐六典」の河川水行規定を、三世紀の海上運行の基準とするのは、元々、無謀な時代錯誤です。
詳細は具体的に論議するとしても、船舶の形状、重量、漕ぎ船と帆船の差、淡水と塩水の違いなど、諸々の絶大な差異が、一切考証・評価できていないので、無理無体な暴論と考えます。
まして、河川の場合は、並行する陸道の測量で道里を設定できますが、海上運行では、それが大変困難です(実際上不可能の意味です)。特に、「倭人伝」記事にある水行、即ち、軽快な渡し舟による「渡海」は、並行陸道がないので道里の測りようがなく、従って「唐六典」には、参照項目がないのです。
甲板と船室のある大型帆船で、航路の確定した河川を行くなら、無寄港、一定行程で連日運航できても、甲板も船室もない小型漕ぎ船は、晴天日の日中だけの運行であり、日を重ねると漕ぎ手の疲労が激しく、とても長丁場の定速運航はできないのは自明です。しばしば、寄港して休息する必要があります。河流の帆走で、人馬を労さない、つまり、労力(費用)の要らない河川航行とは、根本的に道理が違います。
また、航路不定ないしは不明では、難船を怖れる手探りの水面下確認で、更に低速となり、ますます「唐六典」の規定は適用できないのです。
更に重大なのは、「唐六典」は、明らかに「普通里」に基づくもので、倭人伝道里に対して時代錯誤となっています。
*河川水行と「海岸沿い水行」(??)の混同・錯誤
合わせて、河川と海面の航行の違いについて明快な考察がされていないと思われます。
そもそも、河川上の運送規定用語である「水行」は、海上運送には適用できないことを理解しなければなりません。「海」は「水」ではないのです。全て、「古代公式文書に海上を行く水行はない」とするところから始まるのです。ここまで、漢文解釈の規律から外れていたら、以後、「倭人伝」解釈は、迷走の一途を辿るのです。
具体的には、狗邪韓国―末羅国間の「狗末」行程は、海上ながら、河川水流並み、ないしはそれ以上の激流海流を側面から受け、題材の河川遡行順行とは異なります。そのため、陳寿は、道里行程記事の冒頭で、「倭人伝」行程は、中原の規定では律しきれないので、『海上運送だが、実態は渡し舟なので「水行」として扱う』と、「倭人伝」限定で提言しているのです。
氏の論議は、万事、架空の当て推量で、実態と遊離しているので、忽ち、論理が崩れます。
*どんでん返し
以上、善良な読者は、懸命に読解こうとしたのですが、氏は、最後近く、日程記事を里数に換算したとき、(結果が)短里との「保証はない」と突如逃げます。取り残された読者は、短里に換算すれば短里が出るだけ、と解するので、突然の敵前逃亡を奇っ怪と歎くだけです。別に、氏に、短里制を「保証」してくれと懇願したわけではないのです。むしろ、こうした浅薄で勘違いだらけの「保証」は、ない方がましです。
続いて、突然、正史「晋書」ならぬ、その存在すら不確実な佚文資料「晋紀」の漠たる表現を根拠に、冒頭提言に反して魏晋代一日行程を長里四十里として脱線し、勝手読みで伊都国~邪馬台国区間を陸行一月としておいて、実距離百㌖に一月は不合理とその場で転倒します。根拠不明。論理不明の衝動的見解は、読者の頭から泥水をぶっかけるような「サブライズ」であり、論考として無茶です。
このように、筋を通そうとしていたと見える論考を、いわばちゃぶ台返しして、いたずらに混沌を掻き立て、「倭人伝」記事の目的は所要日数であり、里数・方位は虚飾と放言します。このどんでん返しは、まじめな読者を愚弄するものです。なぜ、一発退場にできなかったのか、不審です。
これでは、まじめに、倭人伝の行程道里の意義を論じているものは、みんな、氏と同類のペテン師と見なされて、溜まりません。そうでなくても、歴史学の研究者は、みんな嘘つきだという趣旨の放言が出回っていて、迷惑しているのです。
*結論
氏の論考は、具体的な史料に基づいて開始しながら、中原大河から海面、さらには、実情不明の国内河川にと、適用対象が動揺して不確かであるために、論理が錯綜したことに自身が耐えられず、破綻と感じた着実な論考を無残に放棄して、独断に堕しているのは、読者として耐えがたい乱行です。
とても、学問の道とは思えません。
この項完
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