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2021年12月26日 (日)

倭人伝の散歩道 里数戸数論のまとめ~明解な読解きの試み 改 6/8

                                                               2017/10/29 補追 2021/12/26
*未開の国の未開のデータ
 戸籍がない国の戸数の出所は、大抵、国主の「やまかん」であり、戸籍データの裏付け、根拠はないから、当然、概数、それも、荒っぽい概数である。
 その証拠に、表示数字は、一から九まで揃ってなくて離散している。
 
七と八の共存例は見つからず、一または二,五,七または八と進んで桁上がりし、一万の次は一万二千、一万五千と飛ぶようである。小林行雄氏の言う「おおざっぱ」である。
 元に戻って、帯方郡ないしは楽浪郡は、正確な戸数の得られない実情がわかっているから、遼東郡太守公孫氏に、おおざっぱな戸数を計上したのであろう。

*先人の足跡
 晋書倭人伝では、女王国戸数七万餘戸が倭国三十余国の戸数総計であると明記されている。これが、倭人伝戸数の順当な読み方である。
 『邪馬台国の全解決』(六興出版)孫栄健著で発表され、榎一雄氏が紹介、批判している。
 「邪馬台国に関する孫栄健氏の新説について」初出 季刊邪馬台国。榎一雄全集第八巻収録。
 榎氏の批判は、孫氏のその他の諸提言もろとも、大変手厳しく、ほぼ全面棄却となったようである。

 榎氏は、『「晋書倭人伝」は、全体として「魏志倭人伝」の不出来な要約であり、戸数論議も依拠すべきでない』と批判しているが、悪例で全体を処断する論法は、榎氏自身が、かねてから囚われるべきでない論法と戒めていて、その現れで、戸数表記自体は、さほど批判されていない。
 つまり、女王国、即ち倭国三十国、総戸数七万戸説自体は、榎氏によって否定はされていないとみる。

*戸数論の定説への影響
 現時点で、以上の戸数解釈は、定説を損なうので採用されないものと思う。遺憾である。
 因みに、当方は、当該論説を知らずに「郡国志」論から独自に思いついたことを申し上げておく。

*里数計算再び
 文書通信を最重視した魏武曹操を例として、道里、即ち、街道里数、所要日数は帝国経営の基本であり、街道と宿駅の維持は責務である
 さすれば、里数計算では、部分総計が即全体となるが、倭国は未測量で、街道未整備の荒地であるから、杓子定規に援用できない。いずれにしろ、倭人は、域外の夷蕃であるから、魏制に従っていなくとも不思議は無いのである。
 因みに、三国鼎立時代、蜀漢、東呉、それぞれの戸籍と土地台帳は、曹魏の圏外だったので、それぞれ、蜀志、呉志に収録されていても、魏志には、収録できなかったのである。それが、三国志の成り立ちである。

                                                    未完

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