« 新・私の本棚 「唐六典」 水行陸行里数基準 史料批判と「倭人伝解釈」 更新 2/3 | トップページ | 新・私の本棚 番外 三浦 佑之 『「海の民」の日本神話~』  2/2 »

2021年12月27日 (月)

新・私の本棚 「唐六典」 水行陸行里数基準 史料批判と「倭人伝解釈」 更新 1/3

               初稿 2019/07/14 改訂 2020/10/19, 2021/12/27

▢「唐六典」談義
 従来、「唐六典」については、倭人伝に無関係とみて敬遠していましたが、今回記事を起こしたのは、当分野の真面目な論者が、この史料を的確に理解できずに振り回されて道を誤る例が多いと感じ、詳しく説明した方が良いと見たからです。

「唐六典」とは~Wikipediaによる (斜体は、当記事での追加)
 「唐六典」は、会典(かいてん)と呼ばれる政治書の一種で、(太古以来施行されてきた中国の)法令や典章を記録したものであり、「唐六典」は、最初の会典に当たり、唐代の中央と地方の制度の沿革を記録しています。玄宗の開元十年(722年)から編纂され、『周礼』の分類に従って、理典・教典・礼典・政典・刑典・事典の六部からなり、開元二十六年(738年)に三十巻が成立しました。

*規定確認
 「唐六典」の卷三・尚書戶部は、倭人伝時代(三世紀)から五世紀程後世であり、社会制度、経済事情、地域事情など、背景が大きく異なる唐律令の一環として諸貨物運送の一日の里数と運賃を規定しています。

*「普通里」ということ
 採用されているのは、当然、国家制度として、周代以来長年に亘って運用されている「普通里」(普[あまね]く通用する里)です。
 基本的に一里三百歩(ぶ)、一歩六尺であり、当ブログでは、概数として、切りのいい、一尺25㌢㍍、1歩150㌢㍍、即ち、1.5㍍、一里450㍍を想定していますが、あくまで、あくまで、「想定」であって、正確と言うものではありません。
 実務上、数百里に及ぶ測量は極めて困難(不可能)なので、今日の感覚では大雑把と思われます。また、基本の「尺」が変動しても里数は一定と見えます。土地台帳などに起用されていたので、更新しようがなかったからです。

*「水行」の意義
 ここで言う「水行」は、海岸を発する「渡海」を「倭人伝」に限定的に採用した「倭人伝」語法と異なり、古代・中世中国語の標準定義通り、「河川航行」であり翻訳に注意が必要です。当然、「倭人伝」に書かれている「道里」によって、全国制度が改定されたものではないのです。
 ここで規定されているのは、整備の進んだ大河の上り下り(溯/沿流)であり、「河」は河水、つまり、黄河、「江」は江水、つまり、長江(揚子江)です。「余水」は、それ以外の淮河などの「中小」河川でしょうが、日本の大半の河川の渓流めいた流れと異なり、水量はほぼ通年してタップリして一定で、喫水の深い川舟も航行できるのです。

*「水行」の前提
 大河には、諸処に川港があり、荷船は荷の積み下ろしをしながら、川を上下するのです。また、荒天時は、随時寄港して退避するのです。
 「水行」では、大手槽運業者の所有する大船が多数あり、地域ごとに水運業者の組合(幇 ぱん)が強力だったのです。かくして、日々の領域内の船舶の運行予定が十分徹底されていて、事故や紛争を防いでいたのです。
 そうして、川舟の一日の航行には、条件ごとに運送料が決まっていたのです。槽運業者は、船腹と船員を確保し、船荷の安全と日程を保証しましたが、船荷補償制度や遅延償金を請け負ったはずです。

*規定の起源
 「唐六典」の規定は、中原帝国の血流にあたるものであり、早ければ周代から運用されていた政府規定が、唐代に至りここに集約されたと見えます。少なくとも、王朝の変転を越えて、少なくとも、数世紀にわたって運用されていたはずです。
 五世紀遡った未開の倭領域のように、諸制度が不備で、運行に責任を持つ水運業者も適用法もない背景で、しかも、早瀬が多く増渇水の激しい「小川」の河川水運には、適用できないものと見られます。そもそも、倭の河川に水運なるものが成立していたとは思えませんから、運賃、里数の規定はなかったのです。韓国については、帯方郡管内では、南北漢江と嶺東の洛東江が候補ですが、水運が利用されていたとしても、郡として統御していたという文献は、見当たらないのです。

*「水行」規定は、「海運」と無関係
 この唐六典規定を、規定のない「海運」に当てはめるのは無謀です。数字には前提があり、無造作に流用すると大きな間違いを引き起こします。推定だけですが、安定した運行が可能な河川水運と、干満などにより、寄港地ごとに中断が予想される沿岸航行は、全く異質であり、まして、手漕ぎ船に頼らざるを得ないと見られる半島多島海では、水運業者は成立しがたかったと見えます。

*倭人伝「水行」記事の独自性
 「倭人伝」に書かれている狗邪韓~対海~一大~末羅の区間は、一千里と里数が明示されていて、三度の渡海は、乗り継ぎを含め予備日を設定して、十日と明記されているので、「水行」と書いても、唐六典に見られる河川水運の「水行」とは、別の独自の規定が通用していたことが明記されています。陳寿が、倭人伝道里行程記事策定にあたって、「唐六典」「水行」規定との関連を配慮していたことは確実であり、混同されないよう明記していたと思われます。

                                未完

« 新・私の本棚 「唐六典」 水行陸行里数基準 史料批判と「倭人伝解釈」 更新 2/3 | トップページ | 新・私の本棚 番外 三浦 佑之 『「海の民」の日本神話~』  2/2 »

倭人伝随想」カテゴリの記事

新・私の本棚」カテゴリの記事

倭人伝道里行程について」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 新・私の本棚 「唐六典」 水行陸行里数基準 史料批判と「倭人伝解釈」 更新 2/3 | トップページ | 新・私の本棚 番外 三浦 佑之 『「海の民」の日本神話~』  2/2 »

お気に入ったらブログランキングに投票してください


いいと思ったら ブログ村に投票してください

2022年5月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

カテゴリー

無料ブログはココログ