新・私の本棚 伊藤 雅文 ブログ 「邪馬台国と日本書紀の界隈」 改 5/8
邪馬台国までの「水行陸行帯方郡起点説(仮)」を考える 2020/06/29
私の見立て ★★☆☆☆ 誤解と認識不足の露呈 未熟か 2020/08/29 補追 2021/12/25
〇はじめに~批判しようのない落輪調
先だって、氏の最近のブログ記事二件について批判しましたが、合わせて、これら記事の先行記事の批判が必要と見て遡行し記事をまとめました。と言っても、当時批判記事を書いたものの、「記事」の批判としてまとまりの付けようがないので放置していたのですが、結局、月遅れ記事にしました。
端的に言うと氏の記事は、正体不明の「説」を、文字引用して批判するのでなく、いわば、氏の見立てた「説」の「ポンチ絵」を「斬られ役」にして斬りまくっているので、読者に見えるのは氏独自の「ポンチ絵」が、紙吹雪となって風に散る様であって、誰のどの論文に何を異議申し立てしているのか、わからないのです。いわば、路面を走らずに、いきなり落輪して、しきりにエンジンを吹かすものの、ごうごうたる空転で、批判論議になっていないのです。
ただし、氏は短絡的でないので、謹んで理路の瑕瑾を批判しているのです。
〇斬られ役の弁
「斬られ役」と称したのは、本来の論拠が戯画化されているからです。舞台劇の「斬られ役」は、振り付けに従い、易々と主役に切られます。
氏が個人的な愛憎からか「好意」を再度表しているので躊躇しますが、仕方ないので余言を連ねます。「イメージ」なるポンチ絵の原文不明に加えて、伊都基点放射説を無視した不出来な展開に批判を加えます。
◆図表3「水行陸行帯方郡起点説(仮)」の行程図(別解釈案) 引用省略
一見、これなら整合性がとれているのではと思ってしまいそうです。
しかし、よく見ると齟齬が生じているのがわかります。不彌国から投馬国、投馬国から邪馬台国への距離が書かれていないのです。そうすると、肝心の位置関係がわからないということになります。100里なのか1000里なのかで邪馬台国の位置は大きく変わります。これでは邪馬台国までの行程を報告したことにはなりません。
〇不都合な表現 世にあふれる時代錯誤
余談の前振りを入れると、読者に0の数で百里と千里を判別させるような不合理で時代錯誤の算用数字多桁表示は悪習と理解いただいて、文献解釈の大原則に従い、時代相応に「百」「千」と書く事をお勧めします。
また、「倭人伝」が記載不備で拙劣と罵倒されていますが、お説のように必須事項に欠けた報告書だったとしたら、それが正史に収録されたのはどういうことか不審です。氏が、ご自身の迷走に自暴自棄で、相手を間違えて自嘲したのが誤記されたのでしょうか。
〇「絵」のない絵解き 無理な読み解き
倭人伝には、読者次第で解釈が分かれる「概念図」(ビクチャー)は無いので、氏のお手盛りの子供じみたポンチ絵(イメージ)を、正史はかくあるべしと見立てた論理的な文章に戻し明快にします。(当ブログは、この読みを支持していません)
不彌国から南に行くと投馬国に着く。
(郡から投馬国まで)水行二十日である。
投馬国から南に行くと女王の居処に着く。
(郡に従し倭に至るに)水行十日及び陸行三十日である。
寡聞にして、倭人伝道里に、このような前例を見ないのです。日本語は明快でも意味は支離滅裂です。路上の「落とし物」を盛り付けて供するなど、関わり合いになるのは時間の無駄です。もっとも、「倭人伝」現代語訳は、みんな似たようなもので、各人の手前味噌ですから、口に合わないと文句を言ってもしょうがないのです。
未完
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