新・私の本棚 7 小坂 良彦 季刊 「邪馬台国」 第35号 「里程の謎」新考 1/2
7 三国志の「里」について 「従」と「方」の読み方
私の見立て ★★★☆☆ 疑問山積 2019/01/30 追 2020/10/07 再 2021/01/13 補 2021/12/09 2023/06/11 2024/02/23
○全面改定の弁
初稿では、本論考に関する批判は、議論の隅つつきにとどまっていましたが、以来、「九章算術」などの学習を経て、氏の見解を掘り下げて批判することになったので、ここに全面改定して公開します。
*序論
タイトルの「読み方」は、漢字の発音問題ではないようです。
氏は、「倭人伝」里百㍍弱の短里「定説」化は不当であると異を唱えましたが、多大な論考の労に拘わらず、当方として同意できないままに終わりました。とはいえ、豊穣であった里程論が、十分展開されていないのは残念です。
▢「従」の部~「従郡至倭」談義
まず、氏は、「従」の字の解釈にこだわっています。「読み方」と云うから誤解するのであり、「」素直に画柊刊を身につけていただいた方が云いようですが、べつに、氏を指導する義務はないので、云いっぱなしです。
氏の提唱する作業仮説は、『「従郡至倭」直後の狗邪韓国までの里程、つまり「従郡至狗」の七千里の起点は、「従」と書く以上、定説の帯方郡でなく帝都洛陽であり、七千里は短里ではない』というものです。
単なる思い付きで無く、部分的には筋の通った見方にも見えますが、諸史料中に論者を支持する用例が存在しても、「倭人伝」里程がそう書かれる理由が提示されてないので、世上の諸説を覆す説得力は見いだせないのです。
「倭人伝」で「従郡至狗」七千里の終点狗邪韓国は、帯方郡管理下の行程通過点でした。また、帯方郡は、後漢献帝建安年間に、遼東郡公孫太守によって創設されたというものの、笵曄「後漢書」にも、併収されている司馬彪「郡国志」、「地理志」に郡として記載されていなくて、もちろん、公式道里は書かれていません。景初以前は、遼東郡太守公孫氏の傘下であって、皇帝にその存在を知らされていなかったので、いきなり東京洛陽、曹魏の「首都」雒陽からの道里は見えないのです。
加えて、「倭人伝」里が、漢制以来の「普通里」(概算四百五十㍍、あるいは、丸めて五百㍍)では、狗邪~対海|一大~末羅間、「狗対一末」の三度の渡海各千里の説明がつかないのです。
もっとも、短里説は論議を重ねていて、安易に棄却できないのです。
また、氏の提言で、曹魏代の雒陽から帯方郡までの経路は不明瞭です。首都雒陽からの里程が不安定では信頼が置けないのです。
公孫氏健在時、帯方郡は遼東郡傘下なので、行程は洛陽~遼東~帯方だったでしょうが、公孫氏滅亡後は、遼東郡経由か、山東半島莱州から渡海するか、不確かなのです。私見では、街道は遼東郡から南下していたと見るのです。
少なくとも、正史「倭人伝」に公式道里として記録する以上、後漢書「郡国志」などに記録されている、遼東郡までの公式道里(秦置
雒陽東北三千六百里)、あるいは、楽浪郡までの公式道里(武帝置 雒陽東北五千里)が前提であることは言うまでもないと思います。
自明、当然なので書いていませんが、普通に考えると「従郡至倭」の起点は、遼東郡発の官道が、帯方郡治に達した地点から始まるのであり、それに続いたと言うことは、半島内陸の帯方郡治から、官道が真一文字に東南方に続いていて、これを行程に重ねて辿ると、「倭」、つまり、「倭人」の王城に至るというのが、以下の道里行程記事の前提と見るのです。
*概念里程の基点
但し、氏の説から感じとれるように、雒陽から「郡を経て倭に至る」万二千里が、「倭人」の概念的な遠隔観・架空里を定義するものであれば、行程は無関係と思うのですが、同意しきれないと見ます。「倭人伝」に、「倭」に到達できる航程と所要期間が書かれていなければ、それは、皇帝に上申する以前に却下されるからです。
ただし、先に触れたように、街道道里の基点が、当時東方管理拠点であった遼東郡であれば、難点の大半は解決します。所詮、蕃王は、遼東太守の臣下だったのです。因みに、西域諸国の行程道里は、西域都護治所が起点となっています。
ということで、まだ検討課題が残っています。
*「従」の幾何学的用法
因みに当ブログ筆者は、「九章算術」で課題図形の奥行きを「従」で示すことから、ここは、郡の南境から東南方向に直行する行程を示すと見ています。
氏と異なる視点から、「自郡」でなく「従郡」と書いた意味を求めたのです。僅か、一文字の解釈でも、論議の奥は深いのです。
*小論
ということで、「従」の「読み方」に関する氏の論考に。深甚の敬意は表しますが、同意はいたしかねます。
未完
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