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2021年12月22日 (水)

新・私の本棚 ブログ記事批判 sfuku52 「倭歌が解き明かす古代史」再 2/3

 「邪馬壹國こそなかった」 2014/08/02
私の見立て ★★☆☆☆ 早計、過誤、無理な思い込み山積  2021/03/17 補追 2021/12/22 2024/03/27

*謝承「後漢書」と范曄「後漢書」の関係
 魏志倭人伝になく、范曄後漢書にある特別の記事として挙げられるのが「東鯷人」記事である。

コメント:記事は部分に分かれていますが、東鯷人風聞に続いて、突然、夷州、澶州の登場です。蓬莱伝説まで動員した上で、最後に、会稽東冶が出て来ます。
 結局、伝聞、風評の寄せ集めの類いであり、そのような記事は、范曄が最も嫌悪したはずなのですが、なぜここで採用されたのでしょうか。地の果てだから、どうでも良いというものでも無いでしょうに。

 「三国志」に「東鯷」の文字が無いことは周知の所だが、それが「三国志」のイデオロギーに拠るものであることは、『翰苑』に残された「魏略逸文」から検証した。

コメント:三世紀当時、「イデオロギー」などという概念は無かったから、陳寿はじめとする関係者がそのような時代錯誤の「妄想」を抱いていたことはあり得ません。時代が変わっているので、現代人にとっても、古代にどんな「イデオロギー」が存在したのか、わかるはずがありません。併せて愚劣です。なぜ、誰でもわかる「普通の」言葉で言わないのでしょうか。

 原文にない東鯷「国」は、史料に書かれていないから、言うならば、氏の「妄想の産物」であり、呉の史官が編纂し、亡国の際に晋帝に献上された「呉書」を元に「呉国志」を編纂した陳寿が「三国志」に記録しなかったのも、当然です。存在しない国に「王」を見るのも妄想であり、いなかった王が「反魏倭王」として、呉と同盟して魏を挟撃するなど、とんでもない無理「推し」です。(三国志には、「呉書」、「呉志」など、紛らわしく交錯するので、時に「呉国志」、「魏国志」、「蜀国志」と書くことがあります)

 「呉主」孫権伝でわかるように、三国志には、「呉皇帝」どころか「呉王」も存在しません。一方、夷州、亶州は、堂々と書かれています。因みに、亶州は、海中とされていますが、夷州は、どうなのでしょうか。

 それにしても、史書に無い勝手な思い付きを振り回されては、迷惑です。

 陳寿の「呉国志」編纂の三世紀当時、これら記事は「現代」記事であり、資料は豊富に入手できたはずです。このような、意味不明の記事が残ったのは不可解で、当時不可解だった記事をものを知らない二千年後生の東夷の末裔が解読できるというのは、どういうことか、まことに不思議です。

 右の記事の並列から知られるのは、成立順序のみを問題として、陳寿の表記が仮に「邪馬壹國」であっても、その表記が「邪馬臺國」より先とする仮説がいかに詭弁を弄し牽強付会で固めたものであったかということであろう。

コメント:あたかも、確実な史料のように論じられていますが、諸史料の「テキストクリティーク」は、どうなっているのでしょうか。不確かな史料の不確かな憶測で、現にそこにある刊本紙面の文字を否定するのは無茶です。

 簡単な理屈ですが、論拠にあげる多様な史料がすべて信頼に足りるものである確率は皆無に近く、折角羅列しても、話半ばで論理が破綻するのは明らかです。論拠としてあげるべき史料は、「少数精鋭」が鉄則であり、一件論拠を増やすごとに、論考が、脚もとから瓦解していくものです。ご自愛いただきたいものです。

 陳寿「三国志」が、著者確定稿である「陳寿原本」が西晋皇帝に上程され、直ちに帝室書庫に収蔵されて、以後、厳重に管理されていたと、確実に推定できるのに対して、范曄「後漢書」は、范曄父子処刑による家系断絶の後、唐代に章懐太子が付注して、帝室書庫に収納されるまでの在野時代の写本継承が、まことに不確かです。陳寿「三国志」の官製写本すら、疑念を投げかけられるのであれば、范曄「後漢書」は、苛烈な試練に曝されるべきです。

 因みに、略同期の袁宏「後漢紀」は、記事には見当たりませんが、概ねテキストが健在であるのに対して、散佚して影も形もなくなった謝承「後漢書」を、佚文、つまり飛び散った破片から、全貌と細部を復元した気で論じるのはどうでしょうか。して見ると、幻の「レジェンド」でなく、現に確認できる袁宏「後漢紀」で、范曄「後漢書」を批判することは、当然でしょう。誰が呼んだか「三国志の権威」とされている渡邉義浩氏は、袁宏「後漢紀」の研究者として知られているので、相談されたらいかがでしょうか。「聞くは一時の恥」というものです。

 さらには、史書と違い厳格な引用参照をしていない/粗雑な所引でしか無い類書の一例である「翰苑」の粗雑な残簡記事を、原テキストそのもののように扱うのはどうでしょうか。

 「詭弁」、「牽強付会」とは、まるで、氏自身が、この論考を「自画自賛」しているようです。因みに、「自賛」とは、自作を褒める後世誤用でなく、評のない「画」の真髄を「賛」形式で評するとの原義に戻っているのです。

                               未完

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