新・私の本棚 5 船迫 弘 季刊 「邪馬台国」 第35号 「里程の謎」再 3/3
5 里程から見た邪馬台国 船迫弘
私の見立て ★☆☆☆☆ 疑問山積 2019/01/28 追記 2020/10/07 補充 2021/12/09 2023/06/11 2024/06/18
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲したことをお断りします。代わって、正体不明の進入者があり、自衛策がないので、引きつづき更新を積み重ねています。
〇水行陸行の世界観転換
長々と行程道里記事の「水行十日陸行一月」の位置付けを模索していますが、当方は、古田氏に倣って、倭人伝に不可欠な総所要日数と見ているので、放射状行程の起点議論は無関係です。
〇卓見の理解/誤解
論者が、高橋善太郎氏の新旧唐書地理志の用例批判を引用していて、二重引用の批判は好ましくないのですが、大要「中国史書の用例を元に「倭人伝」記事を解釈しようとしても、多くの”自己撞着”に直面して頓挫するので、”無理”である。よって、"状況判断"せざるを得ない。」との啓示を受けたと見えます。独特の用語で訓示いただいても、標準的な用語に「通訳」しないと、適確な理解はできないと思いますが、仕様がないので、お伺いするしかないのです。
その啓示の理路を素人なりに整理すると、『「倭人伝」を「正史語法」で読み解こうとしても、厳密に一致しない「倭伝語法」で書かれているため、正解は、「倭伝語法」を体得して解釈するしかない』との卓見に見えます。同時代随一の史官と評価されていた陳寿が、全身全霊を傾けて編纂し、同時代の知識人が高く評価し、当代皇帝が嘉納した畢生の著作が、二千字の倭人伝に多くの「自己撞着」を孕んでいるというのは、理解を超えた「超能力」の発言と見えます。同時代の知識人と同等ねないしは、それ以上の知識を有しているという壮大な自負心は、どこから舞い降りたのでしょうか。
冷静に見ると、この表現は、ご自身の無力、無知を天下に曝している自嘲と見えます。よく言う「おつり」を浴びている姿を曝しているのであり、まことに勿体ないところです。
高橋氏が、当方同様に、卓見の無法さを自覚し、感じ取って、”無理”を放棄し解釈の起点を、中国史書に移し、さらに、現場、現物である倭人伝の「倭伝語法」解釈に転換したかどうかは、当論説から読み取れません。
〇史料理解力への疑問
同時代論者の日本語の文章を適確に理解されているかどうか不明では、三世紀漢字史料の解釈が適確かどうか、一段と不明です。何しろ、「倭人伝」原文を引用した上での議論ではないので、正体不明の翻訳者の掌の上での議論であり、大変不安なのです。
〇合わない靴の山
案ずるに、合わない靴をいくら品定めしてもしょうがないので、先ずは、状況に適した視点、感覚で、「合う靴」を見つけるべきです。
論者は合う靴をはなから選択肢から外してそっぽを探し、手の届く範囲のものが、ことごとく「合わない」ことを証左としているので、一向に解答に近づけていないように、素人目に映るのです。
〇考古学頼み、神頼み
以下、「十一 邪馬台国への道」なる図版入り六㌻の大作で、国内後世資料と多彩な考古学成果をもとに女王国の所在地検証の考察を深めていますが、国内後世資料は、同時代同地域の記録が適確に継承された確証に乏しく、考古学遺物には年代が書いていないので、「倭人伝」解釈に於いては、共に参考資料の域を出ず、論考の決定打にならないのです。
先に挙げた「倭人伝」に対する暴言は、国内後世史料やそれに基づいた考古学遺物解釈を「金科玉条」としているところから発しているものと見えますので、まずは、「金科玉条」の検証が先決と見るのです。
一部の考古学界先哲は、「望む発掘成果が出るまで、対象地域は、何年かかろうと悉く掘り尽くす」と豪語しています。また、一部では、『所望の試験結果が得られない試験方法は、「基本データを造作してでも所望の検査結果が出るように誘導する」』と受け取れかねない態度で豪語しています。そのような超自然的な活動は、公的資金のふんだんの援護がなくては持続できず、公的資金は担当省庁の承認あっての予算支出であり、これを持続させるためには、学問の正義は脇に押しやって、壮大に自己顕示せざるを得ないと見えるのです。
それが、考古学界の神頼みとしたら、「神様」は使い走りの小僧同然であり、随分見くびられたものです。
氏の場違いなぼやきは、そのような極端な動きに繋がるものではないかと危惧するのです。そして、発掘物による所在地検証は、問われている、倭人伝里程の謎の解明と対極にあるものと見られるのです。勿体ないことです。
それにしても、氏の属すると思われる学派は、「倭人伝」に「邪馬台国」の文字がないのを度外視して、書かれていない「邪馬台国」の所在地を決め込むのは、筋違いと見えます。そのためには、『「倭人伝」は、肝心の国名が誤伝されるような不正確な伝承文献である』と言わざるを得ず、従って、方位や里数も、誤伝しているに違いないと言わざるを得ず、言わば、不退転の決意で、「倭人伝」、ひいては、編者である陳寿を罵倒している始末です。
氏が、どこまで、そのような「陰謀」に加担しているのか不明ですが、素人目には、何とも擁護しかねるのです。
〇まとめ
氏は、高度な推論力を有しているとしても、史料自体を把握できていないことから来る不安定感があり、足元の論理を固めてのち見聞を広げるべきで、「里程論」に挑むと大言壮語する前に「倭人伝」の堅実な理解が先決です。
「倭人伝」里程論議は、「倭人伝」に書かれている漢字文章の時代相応の解釈から出発するしかないのであり、誰もが初学者の謙虚な姿勢を持たなければならないのです。
*行きすぎた分岐点 2023/06/11
初稿時点では、まだ、模索段階でしたが、遅ればせながら、大事な誤解を指摘しておきます。
「倭人伝」の道里行程記事は、正始魏使の現地報告をもとにしたものではなく、景初早々に楽浪/帯方両郡が、魏明帝の指揮下に入った時点での魏帝の認識であり、それは、遼東郡太守公孫氏が残した東夷身上書に基づいていたのであり、それが、魏朝公文書に残されたので、それが、陳寿の依拠した「史実」だったのです。ですから、そこには「誇張」はないのです。
「倭人伝」の解釈の最初に、この点を認識しないままに進んでいる論義は、一律、「行きすぎ」とも見なければならないのです。
この項完
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