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2021年12月 9日 (木)

新・私の本棚 後藤義乗 季刊「邪馬台国」 第35号 「里程の謎」 再 9  1/1

 9 「「魏晋朝短里説」について 赤壁の戦いの用例の検討 後藤義乗
  私の見立て ★☆☆☆☆ 的外れの力作               2019/01/30 追記 2020/10/07 補充 2021/12/09

*序論
 本論文は、極めて限定されていて、古田武彦氏が、倭人伝里程の「短里」が当時魏朝の公式里制であったと提言した論拠に、陳寿「三国志」の記事を提示したのに対する反論であり、当方が無理と見る「魏晋朝短里説」対象であり、論破すべき敵は、実はあやふやな史料で、それ自体、棄却に足りるのですが、折角の労を尊重して確認したところ、それ故に反論も不明確と言わざるを得なかったのです

*「問題の所在」
 普通、「問題」とは、解答の用意された試験問題のようなものと思いますが、ここでは、古田氏の提言が否定さるべき根拠を言うようです。現代人の書いた文章を現代人が、普通に、すらすらと理解できないというのも、困ったものです。

 氏は、シェークスピアのハムレットばりに、「それは問題だ」と目を剥いているのですが、原文に書かれているのは、questionに過ぎないのです。要は、設問が解けないと言っているのであって、難点を上げている目のではないのです。
 あるいは、中高生の参考書、問題集を見て頂いたらわかるように、「問題」は、自身の知識と理解力を駆使して、読み解いて回答すべきものなのです。いつの頃からか、「問題」の二つの意味が混在して、行き違いを招いていますが、唐使に論考を掲載するほどの方は、そのような両義のある表現は避けるか、その場で補足して、混乱を避けるものと考えます。

*史料批判

 本論に還ると、ここで古田氏によって論拠とされたのは、陳寿「三国志」「魏志」の陳寿原文ではなく、東呉関係者が編纂した「呉書」に準拠の「呉志」本文でなく、「周瑜伝」への裴松之付注(裴注)の「江表伝」であって、陳寿は一切関与してない記事であり、裴松之も、校訂していないのですから、ここで説かれているように、古田氏が自説の論拠としたこと自体、まことに不適当です。

 まして、古田氏が、情熱をこめて、軍談中の「里」表示にこだわるのも面妖です。何しろ江水を軽舟で走っているのに、誰が彼我の感覚を測量したというのでしょうか。

*「赤壁の戦い」はなかった
~余談長文御免
 三国志は、曹魏、蜀漢、東呉の三国それぞれが、自国の国志を編纂していた原稿を、陳寿が集成したものであり、用語、視点ともに、必ずしも統一されていません。
 特に、いわゆる「赤壁の戦い」の取扱いは、三国志の各国志で異なり、「魏志」武帝紀には、赤壁の船戦で大敗したと書かれてないのです。

 時は、後漢末期とは言え、献帝の君臨していた建安年間ですから、曹操は、後漢丞相として「官軍」を率いて、長江(揚子江)中流の荊州に、後漢朝に対して不服従の刺史劉表討伐に向かい、劉表没後降伏した劉氏水軍を率いて下流南岸の孫権に接近し、穏やかに、曹操の陣に参上して、皇帝への忠誠を求めたところでした。言わば、投降降伏勧告であり、孫権が応じていれば、曹操は、一兵も損ずることなく、曹操麾下の兵力を傘下に収め、南北平定を成し遂げていたところです。
 因みに、降服した孫権は、いずれかの僻地に左遷され、歴史の闇に埋もれるところでしたが、配下の諸公は、所領を安堵され、地方領主として、安楽な余生を送ることができたはずです。
 ただ、当時、孫権に寄留していた劉備は、後漢の朝敵だったので、旧孫権将兵に討伐され、江南の地で、消滅していた可能性が高いのですから、孫権が降服しないように、説得したに違いありません。
 三国志は、魏に主点が置かれていますから、劉備陣営の画策は、大きく取り上げられていませんが、形勢から見て、そのような流れが想定されます。

 周知の通り、孫堅は応じず、その水軍との対峙していたところ、自軍内の悪質な病気蔓延のため帰郷した
との趣旨です。それまでの曹操の敗戦につきものだった、勇将の戦死は見られません。別に、関羽をはじめとする猛将の追撃を辛うじてかわして、命からがら、官道を逃走したわけではないのです。
 曹操は、後漢丞相として、勅命で荊州討伐とともに逆臣劉備を攻撃しただけで、勅命にない孫権との「戦い」はできなかったのです。

 違勅も大敗も、親族連座の誅殺に値する極めつきの大罪であり、呉が吹聴するような大敗が皇帝の元に報じられれば、曹操はもとより、曹丕、曹植、正夫人など、近親は残らず斬首でした。

*いくさ自慢のほら話~「江表伝」史料批判
 孫権側は、荊州水軍艦船を悪質な威嚇と見て断固攻撃し、大破して、大軍を撃退したと自慢ですが、めざましい陸戦はき無しであり、落ち武者狩りにも失敗したようなので、どの程度事実を反映したか不確かです。
 つまり、挙げられているのは、孫権麾下の水軍の手柄話であり、通例に漏れず、ほら話で論外なので、本論は、名刀で幻を斬る態です。
 因みに、陳寿は、当然、東呉滅亡時に提出され、西晋帝室書庫に保管されていた「呉書」を通読した上で、呉志に採用したのですが、「江表伝」に描かれているような芝居がかった軍談は、採用しなかったのです。裴松之は、劉宋皇帝周辺の意を拝して、あえて、「江表伝」を補追したのですが、恐らく、不本意だったものと考えますし、その成り行きは、陳寿の知ったことではなかったのです。

*まとめ
 折角の論文ですが、丁寧に説きほぐしてみると、古代史論、特に、陳寿「三国志」の魏志の陳寿原本にない記事であり、従って、「倭人伝里程論」に場違いと考えます。いえ、ここで批判しているのは、ほら話や「演義」由来の余談を持ち出した古田氏の無法な提言であり、後藤氏は、言わば、軽率な対応でとばっちりを食ったのかも知れないのです。

                              この項完

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