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2022年1月

2022年1月21日 (金)

新・私の本棚 小畑 三秋 『前方後円墳は卑弥呼の都「纒向」で誕生した』

小畑 三秋 『前方後円墳は卑弥呼の都「纒向」で誕生した
産経新聞 The Sankei News 「倭の国誕生」2022/1/20 07:00
私の見立て ★☆☆☆☆ 不勉強な提灯担ぎ 2022/01/20 2022/11/23

〇はじめに
 当記事は、「産経新聞」ニューズサイトの有料会員向け記事である。

*報道記事としての評価
 当記事は、一流全国紙文化面の署名記事としては、乱調で感心しない。
 先週の見出しは、『卑弥呼の都、纒向に突如出現』であるから、今回の『前方後円墳は卑弥呼の都「纒向」で誕生した』は、纏向に卑弥呼の「都」を造成し、続いて墳丘墓造成となるが、それで合っているのだろうか。
 卑弥呼の没年は、二百五十年前後、三世紀紀央となる。没後造成の「箸墓」墳丘墓に先立って、百㍍程度の先行二墳丘墓という設定のようである。

*ある日突然

 先週は、外部で発達した文化が、突然流入開花したという発表だったのだが、今週は、神がかりか、纏向地区で、100㍍近い規模の墳丘墓が突然開花したとしている。種まきも田植えもなし、いきなり穫り入れという主張である。
 未曾有の墳丘墓は、人海戦術だけではできない。新しい知識や技術を身につけ、大量の道具、今日で言うシャベル、ツルハシがなければ、大量の土砂を採取、輸送し、現場に積み上げられないし、荷車や騾馬が欲しいと言うだろう。生身の人間に駄馬や弩牛の役をさせては、潰してしまうのである。
 小規模な土饅頭なら、近所の住民が造成できるが、度外れた大規模では、河内方面から呼集することになる。それほど大事件があったという裏付け史料は残っているのだろうか。日本書紀には、公式史書でありながら、紀年の120年ずらしという史料改竄の大技が知られていて、信用があるのか、ないのか、素人目には、区別の付かない「二重像」が見えているように思う。記者は、そうして素朴な素人考えとは無関係なのだろうか。当記事のタイトルに示したように、後世には、記者の署名が残るのである。

*終わりの無い話
 中高生向けの説明になるが、「人材」などの資材は、陵墓諸元の規準となる半径の三乗に比例するので、在来の径10㍍の規模を、簡単に10倍して径100㍍にすると、所要量はすべて1000倍となる。労力で言うと、十人で十日の百人・日が、十万人・日となるが、例えば、千人分の宿舎と食料の百日間確保は、それ自体途方もない大事業である。
 いや、ここでは、十万人・日で済むと言っているのでは無い。径の十倍が、人・物では千倍になるということを「絵」(picture)にして見ただけである。
 人数だけ捉えても、それまで気軽に済んでいたのが、大勢の泊まり込みの「選手村」(飯場)を用意して、日々飯を食わさねばならない。留守宅も心配である。加えて、「人材」は消耗品であり酷使できない。農業生産の基幹なので、工事で農民を大量に拘束して、農業生産が低下すれば、現場への食糧供給もできない。基本的に、農閑期を利用するしかないが、纏向界隈は、飛鳥やその南ほどではないにしても、山向こうの河内と比較すると、寒冷地に属するのである。
 代替わりの度に、これ程の大動員、大事業を催すのでは、山中に閑居した纏向界隈では収まらない。

*得られない「調和」のある進歩
 普通、墳丘造営などの事業が、代替わりで、徐々に規模拡大するのなら、各組織も、徐々に収縮し、新参者を訓練して、規模を拡大し、適応できるが、短期間で爆発的な成長は、とても、適応して済む問題ではない
 貨幣がなくても大事業は「ただ」では済まない。千倍の食糧運びは千倍の労力が必要であるし、千倍増税に住民は耐えられない。結局、後代負担になる。
 かくも「超臨界」の大規模プロジェクトは、纏向地域だけでは対応できない。超広域の超大事業の同時代史料は残っているだろうか。
 この程度のことは、考古学者でなくても思いつくはずだが、記者は質問も発していない。もったいない話である。

*所長のぼやき~本当に大丈夫ですか
 纒向学研究センターの寺沢薫所長が「纒向以外に考えられない」と告白したように地位相応の見識と考察力がないなら、この任に堪える人を選ぶべきだろう。不覚の真情吐露で、産経新聞に晒し者になっていては、いたたまれないであろう。

                                以上

2022年1月14日 (金)

新・私の本棚 小畑 三秋 「卑弥呼の都、纒向に突如出現」

産経新聞 The Sankei News 「倭の国誕生」「卑弥呼の都、纒向に突如出現」     2022/1/13 07:00
私の見立て ★☆☆☆☆ 提灯担ぎ                          2022/01/13 2022/11/23

〇はじめに
 当記事は、「産経新聞」ニューズサイトの有料会員向け記事である。以下の引用は、許容範囲と見ている。

*報道記事としての評価
 当記事は、一流全国紙文化面の署名記事としては乱調で感心しない。
「邪馬台国(やまたいこく)に至る。女王の都するところなり」。中国の歴史書、魏志(ぎし)倭人伝は邪馬台国に卑弥呼(ひみこ)がいたとはっきり記す。

 大変な虚報である。中でも、魏志「倭人伝」は、中国史書であり中国語で書かれている。「事実と異なる」報道である。「はっきり」記しているとは、虚報の上塗りとの誹りを免れない。また、記者の自筆を纏向研発表と誤解させるようで感心しない。「フェイクニュース」は、ご勘弁いただきたい。

*纏向研の幻像創造
 寺沢薫所長の発言は、以下の通りと見える。
同遺跡は、卑弥呼の時代と重なる3世紀初めに突然出現した。「過疎地にいきなり大都市が建設されたイメージ」と寺沢さん。卑弥呼について魏志倭人伝は「各地の王が共立した」と記すことから、大和(奈良)をしのぐ一大勢力だった北部九州や吉備勢力が主導して擁立し、纒向に都を置いたとの説をとる。

*君子豹変
 過去の発表で、纏向は、盆地地形で外部世界から隔離され、従って、文物の流入が少なく、また、温和な集団と聞いたが、一方、随分早くから筑紫に至る広域を支配していたとの両面作戦をとっていたように思う。近来、考え直して、女王渡来幻像(イメージ)作戦に「突如」戦略転換したのだろうか。

 「突然」「突如」と言うが、これほどの大事業は、多数の関係者が、構想から建設の大量動員の年月を経て、女王入場まで、大勢が長期に携わって初めて実現できるのである。大変ゆるやかな大事業だったはずである。なぜ、ドッキリの「サブライズ」を催したのだろうか。

 以上は、最有力研究機関の研究者の「総意」で進めていることだろうから、素人がとやかく言うことではないが、「君子豹変」は正当化できるのだろうか。

*倭人伝解釈の変調
 因みに、倭人伝』には、「各地の王が共立した」と中国語で「はっきり」書かれているわけではない。各国王は、限られた一部だけだったはずである。「倭人伝」で、伊都国には、代々王がいたと書かれているが、他の「諸国」が王国であって、王位継承していたとは書いていない。
 念のため言うと、「倭人伝」記事で明記されていない「大倭」ならぬ「大和」の「一大勢力」を書いていないし、ました、「二大」か「三大」か「三十一大」かは知らないが、北部九州や吉備の勢力について、何も書いていないのである。
 総じて、「所長」は、何を見て喋っているのだろうか。是非、後学のために、秘蔵、門外不出と言わずに「秘伝書」を公開頂きたいものである。
 また、担当記者には、権力に迎合しない「報道の真髄」を示して頂きたいものである。

*「所長、大丈夫ですか」
 それにしても、根拠の乏しい強調は、大抵、理論の破綻を覆い隠す常套手段である。所長は、大丈夫だろうか。いや、「大丈夫」というのは、所長のフィジカル、体躯が、三国志の関羽将軍なみにドデカいとか、言っているのではない。単なる冗句である。「過疎地」、「大都市」などと、時代離れした、現代日本語の冗句を飛ばすから、悪乗りしたのである。
 纏向研は、「大家族」なので、武運長久とご自愛を祈るしかない。

                                以上

2022年1月13日 (木)

新・私の本棚 田中 秀道 「邪馬台国は存在しなかった」 改 1/3

                勉誠出版 2019年1月刊
 *私の見立て ★☆☆☆☆ 無理解の錯誤が門前払い     2019/12/12 追記 2022/01/13

〇結論
 本書は、本来、不細工なタイトルのせいで読む気はなかったのだが、買わず飛び込む、ならぬ、読まず飛び交うでは、当方の本分に反し、しゃれにならないので、仕方なく買い込んで、一読者として不満を言わしていただくのである。

 自薦文ではないが、氏としては、他分野で赫々たる定評を得ているから、当古代史分野に於いても、旧来の迷妄を正す使命を帯びていると、勝手に降臨したようであるが、随分勘違いしているのである。御再考いただきたい。

 柳の下にドジョウは二匹いないという諺をご存じないのだろうか。別分野で赫々たる名声を得たのは、状況に恵まれた上に好機を得、おそらく、率直な支持者を得たからではないのだろうか。漁場に恵まれれば、凡人でも釣果を得るのである。以下、折角だから頑張って批判させていただく。

*盗泉の水、李下の冠、瓜田の沓
 まず重大な指摘は、本書は、タイトルをパクっていると言うことである。
 著作権商標権などの知財権議論はともかく、本書のタイトルは、古田武彦氏の『「邪馬台国」はなかった』を猿まねしたものであり、一般読者の混同・誤解を期待しているので、商用書籍として恥知らずな盗用だと見る。

*出版社の怠慢
 出版社は、当然、コンプライアンス意識と倫理観を持っているはずだから、このような盗用疑惑の雪(すす)げない不都合なタイトルの書籍を上梓したことは、その道義心を疑わせるものである。「渇しても盗泉の水は飲まず」の気骨は無いのだろうか。

 かくして、本書の社会的生命は地に墜ちたが、其の内容の端緒に触れることにする。

〇内容批判~枕(端緒)のお粗末さ
 本書の冒頭、枕で、氏の所論が説かれているが、氏の古代史見識は、大変お粗末なものと言わざるを得ない。それは、大変粗雑な第一章章題に露呈している。これでは、誰も耳を貸さないだろう。

 曰、『学者はなぜ「邪馬台国」と「卑弥呼」の蔑称を好むのか」
 著者は、自身を学者と自負してか、自身の無理解、無知を、世にあふれる「学者」全員に当てはめるのは無理と思わないのか。自罰は自罰に止めるべきである

 以下の指摘でわかるように、俗に言う独りよがりである。個人的に快感があってもそれを世間に曝すのは自罰行為である。

*無知の傲慢
 以下、周知の史実について、氏は、的確な用語を使用できていない。つまり、歴史認識の不備であり、そのような見識の不備、つまり「欠識」に基づいて書かれた当書籍は、読者に誤解を植え付ける「ジャンク」(ごみ)である。

 例えば、氏は、史書全般を断罪して「伝聞をもとにすべて構成」と書いているが、史官は、常に原資料に基づいて自身の著作を編纂する。史学が「過去に起きた事実を後刻推定する科学」である以上、直接見聞する一次情報で無く、証言、報告や伝聞による間接的な二次情報、ないしは、それ以降の更なる間接的情報に基づくものでしかないことは、もちろん、当然、明白である。氏は、それすら知らずに、反論できない当事者や先人を易々と誹謗して、堂々と快感を覚えているようである。ここでは、口のきけない先人に代わって、素人が、訥々と異議を唱えるしかできないのである。

 史官は、時間や空間を跳躍して、現場に立ち戻る能力は無いから、すべからく、得られた文字情報の正確さを信じて、いや、最善の努力を持って精細に検証して、最終的に、科学的最善を尽くすのである。いや、子供だましの戯言のお付き合いには徒労感がある。もっとも、このようにして、素人に言われて、自身の不明がわかるなら、当然の自省段階で、言われる前にわかるはずである。
 この記事は、燃えさかる山火事に、柄杓(『卑』の原義)一杯の水を注いでいるのかも知れないが、注ぐ前より、幾許かの改善になっていれば幸いである。

                                未完

新・私の本棚 田中 秀道 「邪馬台国は存在しなかった」 改 2/3

                勉誠出版 2019年1月刊
 *私の見立て ★☆☆☆☆ 無理解の錯誤が門前払い     2019/12/12 追記 2022/01/13

*「伝聞」の意義喪失
 「伝聞」が、否定的に扱われるのは、裁判時の証言の検証時であり、「又聞き証言は一切証拠とならない」という際の「伝聞」とは、意義が異なるのであり、それを、だらだらと振りかざすのは無神経である。「罪無き者が石を投げよ」である。
 まだ、陳寿の場合は、三国志編纂時に一次証言者が生存していた可能性があるが、それにしても、長年を経た証言が有効かどうか疑問と言わざるを得ないから、どう考えても無理無体な発言である。
 きれいな決めゼリフを吐きつけたいのなら、まずは、一度、洗面台の鏡に向かって、目前の人影と自問自答されたらいかがだろうか。快感があるようであれば、それは、自罰体質の表れである。

*欠識の確認
 そして、先ほど上げた氏の「欠識」、つまり知識欠如であるが、論議の裏付けとして語られる時代様相談義に使用される言葉は、要所要所で同時代用語、ないしは、同時代を表現する後世用語と乖離していて、氏の史書理解が、体質的に不当なものと思わせるのである。とは言え、体質は「やまい」でないので、お医者様でも草津の湯でも治療できない。やんぬるかな。つけるクスリがないのである。

 歴史科学の様相として、時代固有の事情を表現する言葉を的確に使用できないと言うことは、時代様相の理解が枯渇、欠如しているのであり、時代様相の的確な認識ができないものが、記事内容を批判するのは不適切の極みである。

 ほんの一例であるが、対馬に関する記事で、海産物を食べて暮らすのは島国の「常識」と高々と断じるが、当記事が、中原人読者対象の記事であることをバッサリ失念しているのは、何とも杜撰で滑稽である。念のため言い足すと、海産物が売るほど豊穣であって、穀類を買い込むに足りるほどであったとしても、別に意外ではない。対馬が、本当に饑餓続きであったという証拠は見られないのである。ここで言いたいのは、氏の言う「常識」は、中原人には、全く想像の他であったと認識頂きたかっただけである。そう、ちと言いすぎたと後悔して、付記したのである。



*史的用語の不手際
 「二六三年、陳寿が仕えていた蜀が魏に併合されました」と脳天気におっしゃるが、蜀は魏に攻め滅ぼされ、蜀帝ならぬ「後主」劉禅は誅伐覚悟の肌脱ぎ降伏儀式をもって、ひたすら平伏したのであり、和やかに併合などされていない。この言い方は欺瞞である。

 また、蜀の宰相であった諸葛亮は、『「魏」の政敵』とされているが、一宰相が一国の「敵」、つまり、対等の存在とは笑止であり、まして、その状態を「政敵」とは何とも奇っ怪である。事は、政治的な抗争では無いのである。

 また、陳寿にとっては、(故国の偉人忠武侯を、本来実名呼び捨てなどしないのだが、著作集タイトルとしてはそう書くしかないのである)「諸葛亮著作集」を編んだのは、忠武侯が、魏では、邪悪、野蛮な賊将、つまり、へぼな武人と見なされていたのに対して、その本質は「武」でなく不世出の「文」の人であることを示したものであり、氏の解釈は、陳寿を、史官として貶(おとしめる)めるのに集中して、人物評の大局を見失っている。魏晋朝の諸葛亮観を、軽薄な現代人たる自身のものと混同しているのであろう。まあ、知らなければ、何でも言いたい放題という事なのだろう。

 それにしても、「だいたいのところ賞賛」とは、陳寿も見くびられたものである。陳寿は、諸葛亮著作編纂によって、偉人を「文」人と「顕彰」こそすれ、「賞賛」などと忠武侯を見下ろした評語は書けないのである。
 陳寿が、三流の御用物書きなみとは、重ねて、随分見くびられたものであるが、何しろ、当人は、どんなに無法な非難を浴びせられても一切反論できないので、後世に一私人が、僭越の極みながら、代わって反駁しているのであるから、当方の趣旨を誤解しないでいただきたいものである。

*見識の欠如
 そのように、氏は、(中国)史書の初歩的な読解が、まるでできていないので、「中国の歴史書」なる膨大な批判対象について、事実の分析という視点が一切無いと快刀乱麻で断言する根拠も権威も、一切もっていない。ここは、誰でも、氏の不見識を、絶対の確信を持って断言できるのである。

 根拠の無い断言、大言壮語は、中国だけかと思ったが、日本にも、一部伝染しているものと見える。なんとか、蔓延防止したいものである。それにしても、学者先生が、素人に不心得を指摘されるのは恥ではないかと思う。もっと、しっかりして「書評に耐える階梯」に達して欲しいものである。半人前の史論は、もう沢山なのである。

 著者も、当分野の初学者として、「過ちをあらたむるに憚ることなかれ」とか「聞くは一時の恥」とか、諺の教えに謙虚に学んでほしいものである。

                                未完

新・私の本棚 田中 秀道 「邪馬台国は存在しなかった」  改 3/3

                勉誠出版 2019年1月刊
 *私の見立て ★☆☆☆☆ 無理解の錯誤が門前払い     2019/12/12

*終わりなき放言
 なぜか、陳寿は、「三国志」の編纂の官命を受けたことになっているが、勢い込んだ割りに、的外れになっている。晋朝が、よりにもよって「三国志」編纂の勅命を発する命じるはずがない。氏自身も言うように、官撰史書は当代正当性を裏付けるものである以上、反逆の賊、呉、蜀を、天子たる魏と同列に描くよう指示するはずはない。せいぜい、魏国志であろう。

 まして、当時、既に、官修の前代史書が三件、内二件は、魏史として、昂然と成立していた氏の主張なら、改めて、屋上屋の魏国志の編纂を命ずるはずがない。

 氏自身の言うように、「呉書」は、呉の史官が、私的に、つまり、晋朝の官命を受けること無く編纂した呉史書を、呉の亡国の際、降伏時に献呈したものであり、また、「魏略」は、魏の官人たる魚豢が、官命に基づかず私撰したものであって、氏自身私家版と断じている。その程度の分別が行き止まりとは、情けないと思えるのである。

*歴史認識の混乱
 つまり、氏の歴史認識は、ほんの数行前に自分で書いたことも判読できないほど、つまり、著作家として、収拾の付かないほどボロボロに混濁している。

 多分、伝聞、受け売り史料の貼り合わせで混乱したのか、このような支離滅裂な証言は、証人採用されるはずがない。「勉誠出版」社編集担当は、玉稿を閲読しないのだろうか。

*自覚なき迷走
 ということで、続いて、『「魏志倭人伝」の記述の不正確さ』なる段落があるが、自分で書いた文章の当否を判読できないのに、他人の著作を的確に判断できるはずがない。何か、重大な勘違いをしているようである。
 物理的には、本書は書棚にあるが、当方の判定では、本書は、このあたりでゴミ箱入り、紙くずリサイクル仕分けである。

*提示部の壊滅~本編自棄
 読者を招き入れるべく渾身の労が投じられたはずの書籍扉が、これほど念入りに汚物に汚れていたら、読者がその先を開くはずがない。著者は、何か独善の境地に自己陶酔しているのではないか。誰か、そこは温泉湯船でなく、たんぼのこいだめだと教えてあげないか。「枕」がボロボロなのをそう見るのは、皮肉に過ぎるだろうか。

 当方であれば、著書の確定稿ができたら、論理のほころびに、遠慮無く、論理的にダメ出ししてくれる査読者を懸命に探すのであるが、著者は第三者査読体制をどう構築したのだろうか。一般読者の財布の紐を緩めさせたかったら、誠意を持って完成度を高めた上で上梓するものではないのか。

*客除けの壁
 氏は、世上著書批判が少ないと嘆くが、これほど混乱した書籍に対して、真面目に書評を行うのは、当方のようなよほどの暇人である。

 いや、もし、読者が、のんきな方で以上のような齟齬に気づかないのであれば、上っ面だけで紹介記事は書けても、自分の目で、本書の各ページの各行を丁寧に追いかけていけば、躓きまくって地面を転げ回ることだろう。それは、当人が不注意なせいであり、著者を責めるものではない。

 著者は、自著の不評を近代政治思潮のせいだと気取っているが、どんな世界、どんな時代でも、不出来な著作は世間の相手にされない。いわば、自身で、客除けの壁を念入りに設(しつら)えておいて、客が来ない、けしからんと憮然としているのは、自縄自縛の戯画にもならない。(当ブログの閑散は、自嘲の対象にもしないようにしている)

 と言うことで、以下の内容については触れないこととする。いや、端緒が糺されない限り、気合いを入れて読むことはないのである。それが、著者の選んだ路であるから当方がその当否を云々しているものではない。

*最後に
 以上、例によって、端から論評に値しない書籍を物好きにも論評したが、氏の周囲には、氏の論調に共鳴する方ばかりで、ここに書いたような素人目にも当然の批判を受けなかったのだろうか。

 本当の支持者なら、このように批判される言い回しは取り除くよう、馘首覚悟で殿に諫言するだろうから、それがないということであれば、氏の閉塞した環境が思いやられて、まことに勿体ないと思う。

 本書は、氏の「五丈原」なのだろうか。重ねて、勿体ないと思う。

                                以上

2022年1月12日 (水)

今日の躓き石 誤解が渦巻く「アナウンサー」否定論 (毎日新聞夕刊コラム)

                       2022/01/12

 本日の題材は、毎日新聞大阪夕刊「放送」面の囲記事であるから、今回は、毎日新聞の姿勢を問うものではない。関係者は、安心して読み飛ばして欲しいものである。

 『「アナウンサー」もうやめない?』と題しているが、一読して感じるように「アナウンサー全体に対して引退を強要している」のではなく、「ナレーター近藤サトのテレビぎらい」とコラム自体に題しているから、筆者が個人的に敵意を感じている旧世界「テレビ」に対して、「言葉狩り」の手法を借りて悪態をついているのだが、それにしても、まことにできの悪い提案である。記事が書かれているのは、どう見ても「正しい」日本語を目指したものであり、真意が伝わらず誤解されるのは、単に、文体の区別が付かない、書き方が下手なというだけである。そうでなければ、筆者の真意が伝わらないから、「アナウンサー」に正しい日本語を確保して貰わなければ、今後とも自己主張ができないのに気づいていないようである。

 切り出しの「もともと正しい日本語はありません」は、筆者の無知を曝しているだけで、知識として、どんな日本語が話されたか知らないし、言葉は、時代、文化によって変わっていくという事を無視した独断なのである。すかさず、「卑弥呼の話した言葉」を持ち出しているが、卑弥呼の時代には、広く通じる「日本語」はなかった、いや、「日本」すらなかったから、読者に何ももたらさない虚辞である。
 少なくとも、「卑弥呼の話した言葉」が、一切記録されていない以上、簡単にも何も、現代人が、いかに現代技術を動員しても、理解もなにもできないのは間違いないのであるが、だからどうだというのだろうか。「切り出し」と書いたが、どうも「滑り出し」のようである。これが、筆者の意図を伝える最善の手口とは思えない。

 当然、当時として、正しい、誰でも誤解無く理解できる言葉を話そうとしたのは間違いないところであり、そのような良識なくして、何を読者に伝えたいのかわからない。乱れた日本語を、堂々と言うものだと呆れるだけである。

 と、大ぼけで滑り出したのに、「言葉は変遷するもの」と聞いた風なことをおっしゃって、読者がついてくると思ったのだろうか。「この人は、言葉が乱れているから、頭の中も乱れている」と思われるだけではないのだろうか。確かに、「美」は、言葉を感じ取った人の内部に発生する感情であるが、それは、言葉を発した人の内部にあった感情が、うまく伝わったものである。筆者の感じ方は、独善を推奨するだけであり、それこそ、長年アナウンサーが言葉の護り人として闘ってきたものである。
 筆者は、幾千万の先人が、長年に亘って形成、継承した資産を踏みにじって、何を、人の世にもたらそうというのだろうか。

 その後、筆者は、勝手な「アナウンサー」論、個人的な理想を振りかざすが、誤解乱発の書きぶりが祟って、またも、滑った感じである。

 筆者は、「アナウンサー」が、時代の変化に取り残された(亡ぼさるべき)化石と言いたいようだが、自身で、書き連ねているように、「アナウンサー」は 広大な分野を包含する言葉として、広い世間に理解されているのだから、ことさら、個人的な恨み辛み(があるとしかおもえない)で、勝手に制約を決め付けて全面的に否定することはないのではないだろうか。

 当ブログでは、しばしば、公共放送の報道アナウンサーが、適当な新語に飛びつくのに警鐘を鳴らしているが、それは、その役割、言葉の護り人としての至上の価値を再確認しているのであって、その他大勢の「アナウンサー」を叱責しようとしているのではない。自ら、「アナウンサー」でないと公言している筆者に対して、何も言いたいことはない。ただ、無知と認識不足を正しているだけである。ついでに、一般読者に、現状認識の謬りを指摘し、改悛を求めるにも、話を聞いて同意してもらえる語り口があるのではないか、「もっと勉強しなさい」と言いたいだけである。

 但し、いくら偉そうに言い立てても、別に何の権力も影響もないから、筆者が耳を貸さず、見識を改めなくても、何もない、ただの市井の人であり、筆者とは、一切無縁の衆生である。

 とどめのように、あいまいな言葉の呪縛と称しているが、あいまいな言葉には、呪文の効力などない。何か勘違いであろう。また、何か言葉狩りをして、「アナウンサー」を廃語にしても、背景となっている概念が生きている限り、根絶やしにはできないのである。自然界では、草を刈る人が亡んで土に帰っても、雑草は滅びないのである。

以上

 

2022年1月 7日 (金)

今日の躓き石 NHK 「時論公論」で唖然とする「リベンジ消費」蔓延活動

                           2022/01/07

 本日の題材は、NHKが、「時論公論」なる看板番組で堂々とぶち上げた「リベンジ消費」である。一日に二度お目にかかるとは、世も末である。しかも、今回は、口頭の言い飛ばしでなく、堂々と画面に書き出しているから、単なる舌が滑ったでは済まない。
 NHKには、番組の品位を審査する部門はないのだろうか。

 これは、NHKが堂々と「リベンジ消費」 の蔓延、普及に乗り出したと言う事であり、 とうに絶滅したはずの汚い言葉が、NHKの手で広く普及されていくという事かと、歎くのである。

 このように、善良な消費者の意志を誹謗/愚弄/侮辱する暴言にNHKが、無批判に追従しただけでも、嘆かわしいと思ったのだが、こんな番組を目にするとは思わなかった。長生きはしたくないものである。

 一視聴者としては、どうか、NHKが、自身の使命に目覚めて、「悪性語」の蔓延防止、根絶に取り組んで欲しいと思うのである。よりによって、このような罰当たりな言葉を使わなくても、「時論公論」の報道番組としての使命は果たせると思うのである。どうか、どうか、目を覚まして欲しいものである。

以上

今日の躓き石 NHK ニュースほっと関西「リベンジ消費」の汚染拡散

                           2022/01/07

 本日の題材は、午後7時前のNHK ニュースほっと関西が、ぼろっと漏らした「リベンジ消費」である。

 とうに絶滅したはずの汚い言葉が、生き残っているのは、NHKとは思えない「放送事故」である。

 もちろん、このような極めつきの悪性語を駆使してまで、消費者を誹謗/侮辱する暴言を堂々と打ち出した某大手銀行系シンクタンクの広報担当が悪いのだが、NHKが、無批判に追従したために、一時は、蔓延するのではないか危惧したものである。
 たちまち姿を消したのは、NHKの統制力と感心したものであるが、当ブログには、悪い言葉が聞けなかったことを顕彰する体制がないので、ご勘弁いただきたいものである。

 どうか、NHKの面目にかけて、「悪性語」の蔓延防止、根絶に取り組んで欲しいものである。

 忙しいので、くどい説明は省略である。

以上

 

 

2022年1月 6日 (木)

新・私の本棚 小畑 三秋 「卑弥呼は北部九州や吉備主導で擁立した」 1/2

産経新聞 The Sankei News 「倭の国」「卑弥呼は北部九州や吉備主導で擁立した」 1/6 07:00
私の見立て ★☆☆☆☆ 安直な提灯担ぎ  (★★★★☆ 堅実な時代考証)        2022/01/06 2022/11/23

〇はじめに
 お断りしておくが、当記事は、「産経新聞」ニューズサイトの有料会員向け記事であり、当ブログ筆者は有料会員でないので、記事末尾は見えていない。但し、新聞記事の伝統に従い、当記事の要点は、冒頭に明示されている思うので、的外れな批判にはなっていないものと信じて、当記事を書き上げた。

*二段評価の説明
 当記事は、持ち込み記事の提灯持ちであり、一流全国紙文化面の署名記事として感心しない。タイトルが文法乱調で混乱しては勿体ない。
 持ち込み記事部分は、考古学の本分として、堅実な時代考証に賛辞を送る。

*適切な著作権処理
 今回の図版は、纏向研寺沢所長著作の持ち込みのようだ。個別の資料写真は、出典が明示されていて、公共研究機関の広報資料としては、まことに堅実である。また、趣旨不明の「卑弥呼」像と図版全体には署名がないが、当然、寺沢所長提供と見るが、明示されていないのは、産経新聞の疎漏である。

*画餅の不備
 一見して、纏向は、「現代の西日本地図」に示された各地勢力から見て「極東辺境」である。しかも、西方勢力から長延の行程の果てとして到達困難な山中の奈良盆地の「壺中天」である。その東端のどん詰まり」、「袋の鼠」の纏向勢力が、どうやって、これら交通至便な有力勢力を屈従させたのか、まことに不可解である。
 いや、この感想は、随分以前に「纏向」と訊いた瞬間に想定されたのだが、かくの如く図示されると、画餅の意義が見えないのである。

*あり得ない広域支配
 当時の交通事情、そして、当時は、騎馬文書使による文書通信が存在しなかったことから、纏向と諸勢力の報告連絡は、遅々たる徒歩交通の伝令の口頭連絡であり、従って、遺物が残っていないのかも知れないが、年々歳々の貢納物は、延々と徒歩搬送であり、極めつきは、互いに闘うと言っても、武装した兵士が、延々と徒歩行軍するときては、往復の行軍中の厖大な食糧の輸送・補給を含めて、消耗が激しく、遠隔地に渡海遠征など、はなっからできないのである。このあたり、肝心の足元が裸足のさまで、到底成り立たない夢想と見られても、仕方ないのである。

*一極集中の破局
 また、氏は、「各勢力貢納物が纏向に集中した」と言うようだが、九州からの貢納物は、ほぼ必然的に吉備勢力圏を通過するが、まさか、素通りできないのである。途中で割り前を取られたら、とても、纏向まで物資は届くまいと見るのである。
 ということで、纏向一極集中の無理を、九州、中国、四国の支持あっての纏向としたかったようであるが、どうも、無理のようである。

*密やかな四国「山のみち」提唱
 図は、四国山地の中央構造線沿いの「山の路」を、弥生時代の大分海港から鳴門に至る交易路としていると見える。我が孤説の支持と思うが、大変うれしいものの、何か根拠があるのだろうか。あれば、是非提示いただきたいものである。四国に古代国家を見る諸兄姉には、大変心強い支持となるのである。
 この経路は、瀬戸内海の交通を難く妨げていた関門海峡から鳴門海峡までの数多い海の難所が無関係となり、また、但馬勢力を飛ばすので、手ひどい収奪は避けられる。但し、この経路に潤沢な交通があれば、ものの理屈として、途上に地方勢力が形成され、結局、とても纏向まで物資は届くまいと見るのである。交易の鎖は、ひ弱いように見えても、その区間を強く支配しているので、手強いのである。

 心地良い絵が描けたら、どのようにして、日々運用し持続するか考えてみることである。それが、伝統的な考古学の本分と思う。

                                未完

新・私の本棚 小畑 三秋 「卑弥呼は北部九州や吉備主導で擁立した」 2/2

産経新聞 The Sankei News 「倭の国」「卑弥呼は北部九州や吉備主導で擁立した」 1/6 07:00
私の見立て ★☆☆☆☆ 提灯担ぎ  (★★★★☆ 堅実な時代考証)          2022/01/06 2022/11/23

*「倭国大乱」の幕引き
 ちなみに、寺沢氏は、考古学の実直な側面を踏まえて2世紀後半~末に大規模な戦乱の痕跡はみられない」と冷静である。
 もともと、魏志「倭人伝」は、九州北部に限定された地域事情を伝えている』のであり、海を遙か遠くに渡った東方については述べていない」(「一切」とは言っていないのに、ご注意いただきたい)その点に早期に気づいていれば、纏向派が、この時代まで早呑み込みの「恥をかき続ける」ことはなかったのである。ここまでくれば、あと一息である。せめて、史料解釈の首尾を取り違えたため存在しない史実を虚報し続けてきた、広域大乱」の創造と継承は、この辺で幕引きいただきたいものである。

*東夷管理の見違い
 因みに、寺沢氏は、一時繁栄を極めていた九州北部勢力の退勢を、中国後漢の東方管理の衰退によると決め込んでいるが、これは、勘違いであろう。後漢洛陽での政争で東夷支配の箍(たが)が外れたが、もともと、東夷支配は皇帝直轄ではなく、遼東郡など地方守護の専権事項だったのである。たとえば、後漢末期の遼東公孫氏は、遼東半島から山東半島に勢力を派遣して、勢力拡大していたが、帯方郡に任せていた南方の濊、漢両勢力の統治はともかく、「荒地」のさらに南の「倭」は、後漢皇帝に報告していないから、「後漢の東方管理」で、「倭人」は、存在していなかったのである。(後漢皇帝に報告されていなかった「倭」が、なぜ、笵曄「後漢書」の東夷列伝に書かれているのか、不可思議そのものである)

*公孫氏「遼東」支配の興隆
 かくして、皇帝支配の箍が緩んだ遼東に興隆した公孫氏は、むしろ、自立に近い形で支配の手を広げたのである。端的に言うと、地域交易経路の要(かなめ)にあって、地域交易の利を一身に集めようとしたのである。

*「一都會」の幻覚~余談
 そのような境地は、漢書では、「一に都(すべて)を會す」として、一種「成句」となっていたが、紙面に「一都會」の三字が連なっていても、「都會」なる言葉が誕生していたわけではない。時代錯誤には注意いただきたい。
 陳寿は、班固「漢書」で「一都會」を目にしていたが、「倭人伝は新語をもてあそぶ場ではない」ので、却下したものと見える。
 それは、黄海を越えた山東半島領有とか、半島中部に帯方郡を新設して、南の韓を強力に支配し、半島東南端「狗邪韓国」海港に至る官道の半島中部「竹嶺」の峠越えの険路を整備させ、難所を隘路にとどめて、片手業で海を渡った倭の取り込みをも図っていたのである。
 ここで、「峠」は、中国語にない「国字」であり時代錯誤であるが、適当な言い換えがなく「峠」の字義に誤解はないと思うのでこのように書いた。

*公孫氏勢力の再確認
 後漢末期、九州勢力には強い支持があったと見るべきである。但し、公孫氏は、「倭人」の洛陽伺候を許さないどころか、その存在を報告もせず、小天子の権勢を振るったのである。
 何しろ、「公孫」氏は、その名の通り周王族の高貴な出自を誇っていたのであり、宦官養子上がりの「曹」など身分違いと見ていたのである。
 ということで、寺沢氏は、ご自身の従属する陣営の物語の筋書きに合うように、一路邁進の後漢衰退を読み込んでいるが、それは、素人の聞きかじりによる浅慮であり、端的に言うと、単なる勘違いである。つまり、冒頭の「九州勢力退勢」風説は、根拠に欠けるお仕着せに過ぎない。

〇まとめ
 産経新聞の担当記者としては、貴重なニュースソースから持ち込まれた玉稿を「提灯持ち」するしかないのだろうが、それでも、素人目にも明らかな言い逃れは、じんわり指摘すべきだと思うのである。報道機関としての矜持は、失って欲しくないものである。

 ちなみに、当ブログ記事は、文献考証の本道を行くと見せて、結構『古代浪漫』にのめり込んでいるのだが、無官無職で、一切収益を得ていないので、少々の法螺はご容赦頂きたいのである。

                                以上

2022年1月 4日 (火)

新・私の本棚 安本 美典 「倭人語」の解読 1/3 改2 国名論~倭人伝論

 卑弥呼が使った言葉を推理する 勉誠出版 2003(平成一五)年刊
 私の見立て ★★★★☆ 絶妙の好著、但し、極めて専門的  2020/01/21 補充再公開 2020/06/30, 2022/01/04

〇はじめに
 本書は、倭人伝語が七~八世紀の「万葉仮名」に反映されたとの作業仮説に関して、第二章、第三章の厖大な考察(専門的につき書評回避)を経て構築した「解読」の原則に従い、倭人伝解釈に挑んでいるものです。

 総じて、安本氏の諸著作で目障りだった好敵古田武彦氏に対する攻撃を抑制し、学術書の境地に到ったと見るのです。また、本書で追及している原則の性質上、多くの場合、断定表現を避けているのは賢明です。
 
〇第一章 邪馬壹国 幻の国名論
 探し求めたのは、『「邪馬壹国」なる国名に含まれる「ヤマイチ」或いは「ヤマイイ」の後半部の母音続きが、七~八世紀の古代日本語で厳重に避けられていて、自称国名たり得ないから、「邪馬壹国」はなかった』とする託宣ですが、遂に、本書の結論部には見つかりませんでした。

 最初に提示された大野晋氏見解は、「放言」と見える座談紹介の失言が誤解か、明らかな誤りを放置した粗相の事態ですから、安本氏が、自説の根拠にしたとは考えられません。真剣に取り組むなら、大野氏の論文等を発掘して、史料批判した上で利用したと見るからです。

 森博達氏見解は、一般紙記事断片で、佚文である御覧所引魏志引用と並べて「倭語の法則性に反する」と根拠不明の見解で断言していますから、森氏ほどの学究の徒の説としては、粗雑です。つまり、文献批判に耐えず、安本氏の論拠として、不適格なのです。
 ただし、それで終わると、事のついでに森氏の顔に泥を塗ったままになってしまうので、以下、論文に準ずる論考を引用します。

*森博達氏の考察
 森氏は、日本の古代 1「倭人の登場」 5「倭人伝」の地名と人名(中央公論社)において、本書の安本論考に先立つ着実な展開で、古代日本語と三世紀中古中国語の音韻関係を論じています。

 ただし、両語は、時代、地理が隔絶している上、事例は、多数の中の一例でなく、乏しい資料用例のほぼ全部であり、とにかく資料が乏しいことから、森氏は、断定的な見解を述べていません。当然のことと思います。

 また、制約として、「倭人伝語は中国中古語に忠実に基づいていない可能性があり、その場合は適用できない」と明記されていますが、安本氏の紹介にはありません。本書の参照引用は、かくのごとく不確かです。資料批判は、原典、特に出版された論考に対して行うべきものです。

*安本氏の見解
 安本氏は、森氏の論議を踏まえて、『「邪馬壹(壱)国と表記されていたとしても、必ずしも、母音が二つつながっている原音をうつしたことにはならない」と言う考え方もできそうである』と、言葉を選んだ上で限定付きで明言しています。森氏が、「自然」などと、根拠不明の非学術的情緒表現としているのと好対照です。

 ただし、同業者論文引用の際の儀礼ですから、森氏の論考の行き届かない点をあげつらうことはできないのです。この点、同業者ならぬ素人である当ブログ筆者が、時として、諸兄の書斎に土足で踏み込むような乱暴、無礼をしてのけるのとは、大違いです。

 なお、以下では、学術的な見識として、両氏の「厳重に避けられていた」なる断言が、絶対のものではないとする用例を述べています。

〇第四章 浮かびあがる「邪馬台国」
 章冒頭で『「大和」をなぜ「やまと」と読むか』の小見出しでそそくさと駆け抜けますが、素人目にも引っかかる所が多いのです。
 「やまと」が、はじめ「倭」だった根拠は示されないし、そもそも「はじめ」とは、いつのことなのか曖昧です。

*根拠なき誹謗
 また、「倭」が、「背が曲がった丈の低い小人」と解するのは、白川静氏に代表される漢字学上に根拠が見当たらず、また、安本氏による見解も示されず、根拠薄弱に見えます。 あるいは、藤堂明保史編の「漢字源」などの辞書によるものかとも思われますが、所詮、風評に近い不確かなものであり、国号を改変する動機にはならないと推察します。

 さらに、「倭」を「やまと」と読む伝統と共に「倭」は「邪馬台」との伝統もあったろうと付記しますが、そのような「伝統」が実在していたという根拠は示されていません。「伝統」とは、本来、血統が継続維持されるという意味であり、一国の国号は、正当に継承されずに時の風評で変遷するものではないのです。

 復習になりますが、三世紀にそのような発音があったとする文字資料は、一切ないのです。ない資料が、7~8世紀まで伝承されたとする資料も、また存在しないと見るしかないのです。

 安本氏は、そのような限界を承知しているので、ここでは、単に、一つの意見を述べているものと見られます。

*お門違いの枕詞
 また、「枕詞」説ですが、「倭」「やまと」では逆縁で語調も合いません。
安本氏にしては、論理の筋も口調も整わない不思議な乱調です。

                                未完

新・私の本棚 安本 美典 「倭人語」の解読 2/3 改2 倭人伝論

卑弥呼が使った言葉を推理する 勉誠出版 2003(平成一五)年刊
私の見立て ★★★★☆ 絶妙の好著、但し、極めて専門的  2020/01/21 補充再公開 2020/06/30, 2022/01/04

〇第五章 地名と人口から見た倭人の国々
 本章では、倭人語解読を踏まえて、倭人伝道里記事による戸数推定などが始まります。

 安本氏は、邪馬臺国は、小国連合の「大国」であって七万戸を有したと解釈していて、世に蔓延る百花斉放の新説提唱者と同様に、一説である先入観を、読者に押しつけていると見えます。
 また、行程道里も、背景不明の概数を、一律に多桁計算処理する時代錯誤をたどっていて痛々しいものがあります。

*原点からの再出発の提案
 倭人伝を、倭人語解読により正解するのなら、この際、倭人伝解釈の旧弊を深い穴に打ち棄てて、一から虚心に読みなおすべきではないでしょうか。
 纏向派などの俗説派の諸兄は、多年の学究で壮大な理論体系を構築し、起点部分から考え直すことはできないでしょうが、安本氏も、いたずらに旧説に固執するのでしょうか。
 いえ、無礼にも、素人考えで質問しているだけです。定めしご不快でしょうが、素人論者は、率直を旨としているので、そうなるのです。

〇第七章 新釈「倭人伝」
 本章の諸見解は、安本氏の絶大な知識、学識を背景とした倭人伝新釈であり、これを偉として、大いに傾聴すべきであると思います。

*長大論
 「長大」論では、奈良時代文書の用例を主たる根拠として、俗説となっている老齢説を一蹴しているのは、痛快であり、大いに賛成です。
 俗説遵守の諸兄は、卑弥呼が老婆に決まっているとの牢固たる先入観に支配されて、柔軟、適確な用例評価ができないのです。当方は、無用の先入観を有しない安本氏が、頑迷な俗説を打破したことに、この上なく感謝しているのです。

 僭越ながら、当ブログ筆者は、中国史書の用例を参照して、同様の結論が導き出せるものと信じて、かねて、成果を発表しているものです。ここで種明かしされている結論は、新入生の如く先入見のない眼で中国史料用例を斟酌すれば、むしろ難なく到達できる「正解」と思うのです。

 勝手ながら、私見では、氏は、別の山路を登坂して、同一のいただきに至ったのであり、いただきの正しさを二重に確証している、大変ありがたい論説なのです。逆に、世にはびこる感染症である長大老齢説は、一体、何を根拠としているのでしょうか。不思議です。

 因みに、「長大」呉書用例から三十代男性の形容との考察は古田武彦氏の提言です。
 私見では、古田氏に、安本氏の慎重さがあれば、「長大」論で、魏書ならぬ呉書に依拠する愚は避けられたはずです。

*都督論
 「都督」論で、安本氏は中国側用例を軽視して好ましくないと思うのです。「都督」は、歴代中国王朝で、古来しばしば起用された地方官名であり、倭人伝も、古典用例を踏まえているとみられるのであり、奈良時代国内文書も、本来、中国用例から発しているはずですから、前後関係を度外視した起用は好ましくないと思われます。
 ただし、「都」を、平城京などの「みやこ」の意味に固定したために、以後の「都」の解釈は、中国とずれて行くように思います。
 また、「都督」に表れている「すべて」の意味が、それによって、国内文書から姿を消したように見受けます。
 中国史料の読解に、大いに影響している国内「用語」の変遷です。

*大夫論
 中腰書を参照すると、「大夫」は、周制の最高官でしたが、秦で、爵位の最低位から数えた第五位の「低位」、塵芥のごとき一般人階層となり、錦衣が雑巾の感じです。秦が、周制高官を意識的に雑巾扱いしたように見えます。
 因みに、漢は秦の爵位を継承しましたが、新朝の皇帝として君臨した王莽は、周制を復活させ、「大夫」を周制同様の至高の官位としましたが、束の間の晋が滅び、漢を回復した光武帝劉秀は、漢の官制を復興したので、「大夫」の高揚は、束の間だったのです。

 案ずるに、諸兄は、中国では「大夫」は地に墜ちたが、倭人は、古(いにしえ)の周制を踏まえて、その高官としているように見えるという史官陳寿、魚豢の示した機微を見損ねています。

 安本氏の「大夫論」「は、奈良時代文書の同様の誤解の影響でしょう。してみると、安本氏は、ここでは安直な「俗説」に追従して、随分不用意です。

*劈頭句から始まる別の道
 「倭人在帯方東南大海中依山島依国邑」は、倭人伝劈頭句ですが、この句は、史官たる陳寿が、想定読者である皇帝等の教養人に対して提言するものであり、厳格に史書としての行文、用語に従ったと見るものです。

 安本氏は、七~八世紀の奈良時代文書から古代人の解釈を察することを、「勉強」と勧めますが、こと「倭人伝」解釈では、少なからぬ傍路、道草と思量します。いや、念のため付け足すと、勉強は、道草から思わぬ収穫を得るものです。時には、道草をついぱんで、ツメクサの滋味を知ることもあるのです。

 口幅ったいようですが、古代史書の解釈には、文書著作者の「辞書」を想到する努力を、もっと大事にしてほしいものです。

                                未完

新・私の本棚 安本 美典 「倭人語」の解読 3/3 改2 倭人伝論 世界観談義

卑弥呼が使った言葉を推理する 勉誠出版 2003(平成一五)年刊
私の見立て ★★★★☆ 絶妙の好著、但し、極めて専門的  2020/01/21 補充再公開 2020/06/30, 2022/01/04

*大海談義 隔世の世界観~余談
 以下、安本氏初め先学諸兄には、常識のことばかりでしょうが、当ブログの読者には未知の領域の方もあると思うので、ご容赦ください。

 隔世の世界観というのは、三世紀の中原人、倭人、後世奈良人は、それぞれの世界、天下を持ち、従って、それぞれの「世界」の認識は大きく異なるから、同じ文字、同じ言葉で書いた史料も、そこに表現された意義は、それぞれで随分異なるということなのです。

 それに気づかず、その記事の著者の深意を推定する当然の努力を怠り、現代日本人のそれも「無学な」素人の「常識」で字面だけを判読したのでは、「誤解」も避けられないでしょう。もっとも、「誤解」は、自分自身が気づかないと是正されないのですが。「付ける薬がない」のですが。

 例えば、同時代の夷蕃伝「魏略西戎伝」で、西域万里の「大海」はカスビ海であり、総じて,当時の中原人にとって、「大海」は、英語でPond, Lake、つまり「内陸水面」、但し、塩水湖とわかります。三世紀時点の中国の世界観は、そうなっていたのですが、この点の論議は、先人の説くところなので省略します。

 いや、現代の英米人は、両国間の大洋Atlantisを、しばしば、Pond、水たまりと呼ぶのです(もちろん冗談半分でしょうが)。「古池」をジェット機で飛び越す感覚なのでしょう。それ以前、英語では、伝統的にブリテン島の周囲の海をSeaと呼ぶものの、米語では、東部人は、目前の海を、まずはOceanと呼んだのです。後に、西海岸の向こうの大洋を知ってAtlantis, Pacificと呼び分けたのです。認識の水平線は、時代で変わっているのです。

 ざっと走り読みしただけでも、土地と時代で、世界観が大きく異なり、それに従って「海」の意義が大きく異なるのです。

*認識の限界 地平線/水平線効果~余談
 もちろん、倭人伝の「海」、「大海」の認識は不明ですが、例えば、帯方人や倭人が南方の太平洋、南シナ海を認識していた証拠はないと思われます。認識の「地平」が異なるのです。

 例えば、倭人伝の「大海」は、当時の中原人世界観に従うと、韓国の南を大河の如く滔々と流れているのであって、これまた大河のように中州(山島、洲島)があって、対海国、一大国、そして、末羅国が、それぞれの中州の上にある諸国を、渡し舟で伝っていくという感じなのです。

 従郡至倭、つまり、郡から「倭人」、つまり、倭人王の治所、居城まで、普通里で萬二千里であるとの解釈が出回っていますが、東夷が、それほど広大な世界観を持っていた証拠は、何所にも無いのです。後世人が色々推定して、勝手に言い立てるだけで、資料には、何も何も書いていないのです。繰り返しばかりですが、世界観、地理認識が異なれば、言葉の意味は異なるのです。

 七~八世紀以前の奈良人が、内海から隔絶した、地平線/水平線のない奈良盆地で、見たこととも聞いたこともない「大海」をどう認識していたか、知ることはできません。「まほろば」は、住民の先祖が流亡の果てに安着した桃源郷、陸封安住の境地と見えるからです。
 隋帝を海西の天子と呼んだ俀国天子は、半島経由で黄海を軽々と渉る行程を知らず、漠然と、両者を隔てる「海」を言い立てたのかも知れませんが、隋帝にとって、海西とは、西域の果ての大海「裏海」の西岸であり、つまり、途方もない辺境を指定されたと感じたのでしょう。

 いや、時代人の本心は、当人に訊かねば分かりません。「グローバル」な視野に囚われた後世人が、倭人の世界観に同化するには、精緻広範な地球儀(グローブ Globe)を棄て、同じ「井戸」に入ることです。まずは、「ローカル」が、万事の基礎です。

 古代奈良平野は、立派な湖水を有していたそうですから、『対岸は見通せても、そこは「海」』と見立てた海洋観が存在した「かも知れない」。そうした時代地理環境も影響するのです。

*魚豢の慨嘆~余談
 倭人伝最後に付注された魏略西戎伝には「議」が記され、魚豢は、自分を含め万人は自身の井戸の時空に囚われた「蛙」との趣旨で、洛陽世界に囚われている自身を慨嘆しています。西域万里を実見できず、前世の他人の見聞録に頼るもどかしさを感じたのでしょう。

〇総評

 誤解を避けるために付言しますが、安本氏は、古代史学界にまれな資料読解力と理数系合理的世界観の持ち主であり、本書は、氏の最善の論考と思います。その一端として、本書の随所で安本氏の優れた大局観が確認できます。

 なお、当ブログの手口として、しばしば安本氏の著書書評から脱線して、持論の手前味噌に迷走していますが、具体的に根拠を示して反論していない議論は、書評外です。諸兄の関心を引くための手口であり、ご容赦ください。

 当方は、安本氏の論に、時に軽率な決めつけが散見されると指摘しますが、それは難詰ではありません。
 広範な考察範囲を述べていけば、誰でも間違いはあるのです。大事なのは、基本的な論考姿勢です。

*参考文献の偏り
 安本氏の限界とも思いますが、当分野における古田氏の意見について、ほぼ印象批評、人格批判しか公開されていないのは、氏ほどの学究にしては、大変偏ったものと言わざるを得ません。

 また、白川静氏は、漢字学の碩学ですが、万葉集に深い見識を示されているので、是非、氏の遺した著書、辞書を、安本氏の参考文献に取り入れていただきたいものです。白川氏は、七十代半ばで教職を辞し、以後二十年掛けて、三大辞典と多数の漢字学書を公刊し、その中には、潤沢な教養を生かした、万葉論もあるのです。

                                完

新・私の本棚 安本 美典 「倭人語」の解読  補足編 改

 「卑弥呼が使った言葉を推理する」勉誠出版 2003年刊
私の見立て ★★★★☆ 絶妙の好著、但し、極めて専門的 2020/07/01 補足 2022/01/04

◯はじめに
 本書書評としては、既に三回連載形式の記事公開の上で、随時補充していますが、検証不十分と判断されたのか賛同が聞こえないので、少し丁寧に掘り下げて追い打ちするものです。自己記事を自由に引用できるのに、補充した際に文意から繋ぎ損ねていたら、ご愛敬としてください。

◯三世紀の日本語考
 安本氏は、単行本33ページの「三世紀の日本語の特徴」条に言語学論考を並べていますが、無解説に近いので、素人は、自力で踏み石を配置して理解の助けとするしかありません。

*森博達氏 上代八世紀日本語の音韻法則
 森氏は、引用出所の単行本30ページに及ぶ学術的論考の労作を見ても、八世紀奈良時代の豊富な日本語文書資料から得た知見を根拠に、「上代日本語」は、四世紀余前世の筑紫地域語らしい「倭人語」と共通の音韻法則を有すると主張するものの、有効な推定と断定しているものではないのです。

 また、語中の母音連続禁則も、「決して」と断定せず、「原則として」と限定しています。当禁則には、既知の例外があるのでしょう。

 素人考えでは、括弧内に例示されたように「青し」(awoshi)が禁則でないなら、「邪馬壹」も、yamawi(邪馬委)のように、w音が間に入れば、禁則除外となると見て良いかと愚考されます。ただし、手元の森氏単行本では、例示出典は不明です。文庫本で補充されたのでしょうか。

*長田博樹氏 倒錯した方言観
 長田氏は、「倭人語」音韻は、「上代日本語」のそれと明らかに異なるとしますが、「筑紫方言」は本末転倒でしょう。馬関係かが逆転していて、「上代日本語」は「倭人語」の、後世奈良方言かとも思われます。いかがでしょうか。

*大野晋氏 場違いな勘違い放言
 大野氏対談で、鈴木武樹氏が、丁寧に古田氏の馬委(yamawi)説を紹介したのに対して、粗忽に「上代日本語で成り立たない」と言うものの、何がどう成り立たないのか、全くもって根拠不明で引用が打ち切られていて、これでは、単なる「ジャンク」情報と見えます。
 このようなお粗末な発言が、なぜ延々と掲示されているのか、安本氏の意図が不明です。

*安本氏の訂正と総括
 追いかけて、安本氏から、「倭人語」は、奈良時代の「上代日本語」ではないとの訂正があり、大野氏のうろ覚えの断言を是正した後、「倭人語」にも、母音が重なるのを避ける傾向があると、森、長田両氏の論考を承継しています。大野氏の暴言は、どう補正しても、両氏の精緻な論考と席を連ねられるものではないと愚考します。

 安本氏は、慎重に言語学権威の発言を引用しつつ、賢明にも加減、毒消しして総括し、そのような傾向が認められるとしても断言できないとの口調です。誠に、妥当な対応です。

*「邪馬臺国」か「邪馬壹国」か(単行本181ページ)~未解決の課題
 氏は、第4章で、以上の論議を回顧し、「馬壹がyamaiと発音されていたと限らない」可能性も考慮した上で、「言語学的に、邪馬壹国が、倭人語発音上で許容されたかどうかは、判じがたい」としています。

 続いて、地名論などの多角的視点から、両国名のいずれが妥当であるか論議を加え、当然「邪馬台国」有利の方向に重きを置いて論じても、両論には、「それぞれ異なった視点から根拠あり」としています。むしろ、一時の「邪馬壹国排斥論」でなくなっているように見えます。

 勿論、本書は、国名論の最終回答として物されたのではないので、この際、断定しなければならないということは無いのです。

 当ブログ筆者は、安本氏のかかる慎重な筆法は、学術的に極めて公正かつ妥当なものと見るのです。

 これ程周到に進めた議論の結論を、断定的結論を示したと解されると、安本氏も、大いに困惑するでしょう。

 本記事の愚見に関して、安本氏に問い質すつもりはありませんが、もし、とんでもない勘違いを書いているとしたら、しかるべき筋からご指摘があるでしょうから、お待ちしています。

◯まとめ
 本書は、全体として、誠に堅実な論考の宝庫であり、安本氏の明晰な論理の冴えを示すものです。

 ただし、本書が対象読者としていない古代語学初級者が早合点するのが完全に防止されていないのは、やや残念です。ただし、それは、本書の学術書としての意義をいささかも損なうものではないのです。

                                 完

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