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2022年1月

2022年1月21日 (金)

新・私の本棚 小畑 三秋 『前方後円墳は卑弥呼の都「纒向」で誕生した』

小畑 三秋 『前方後円墳は卑弥呼の都「纒向」で誕生した
産経新聞 The Sankei News 「倭の国誕生」2022/1/20 07:00
私の見立て ★☆☆☆☆ 不勉強な提灯担ぎ 2022/01/20 2022/11/23

〇はじめに
 当記事は、「産経新聞」ニューズサイトの有料会員向け記事である。

*報道記事としての評価
 当記事は、一流全国紙文化面の署名記事としては、乱調で感心しない。
 先週の見出しは、『卑弥呼の都、纒向に突如出現』であるから、今回の『前方後円墳は卑弥呼の都「纒向」で誕生した』は、纏向に卑弥呼の「都」を造成し、続いて墳丘墓造成となるが、それで合っているのだろうか。
 卑弥呼の没年は、二百五十年前後、三世紀紀央となる。没後造成の「箸墓」墳丘墓に先立って、百㍍程度の先行二墳丘墓という設定のようである。

*ある日突然

 先週は、外部で発達した文化が、突然流入開花したという発表だったのだが、今週は、神がかりか、纏向地区で、100㍍近い規模の墳丘墓が突然開花したとしている。種まきも田植えもなし、いきなり穫り入れという主張である。
 未曾有の墳丘墓は、人海戦術だけではできない。新しい知識や技術を身につけ、大量の道具、今日で言うシャベル、ツルハシがなければ、大量の土砂を採取、輸送し、現場に積み上げられないし、荷車や騾馬が欲しいと言うだろう。生身の人間に駄馬や弩牛の役をさせては、潰してしまうのである。
 小規模な土饅頭なら、近所の住民が造成できるが、度外れた大規模では、河内方面から呼集することになる。それほど大事件があったという裏付け史料は残っているのだろうか。日本書紀には、公式史書でありながら、紀年の120年ずらしという史料改竄の大技が知られていて、信用があるのか、ないのか、素人目には、区別の付かない「二重像」が見えているように思う。記者は、そうして素朴な素人考えとは無関係なのだろうか。当記事のタイトルに示したように、後世には、記者の署名が残るのである。

*終わりの無い話
 中高生向けの説明になるが、「人材」などの資材は、陵墓諸元の規準となる半径の三乗に比例するので、在来の径10㍍の規模を、簡単に10倍して径100㍍にすると、所要量はすべて1000倍となる。労力で言うと、十人で十日の百人・日が、十万人・日となるが、例えば、千人分の宿舎と食料の百日間確保は、それ自体途方もない大事業である。
 いや、ここでは、十万人・日で済むと言っているのでは無い。径の十倍が、人・物では千倍になるということを「絵」(picture)にして見ただけである。
 人数だけ捉えても、それまで気軽に済んでいたのが、大勢の泊まり込みの「選手村」(飯場)を用意して、日々飯を食わさねばならない。留守宅も心配である。加えて、「人材」は消耗品であり酷使できない。農業生産の基幹なので、工事で農民を大量に拘束して、農業生産が低下すれば、現場への食糧供給もできない。基本的に、農閑期を利用するしかないが、纏向界隈は、飛鳥やその南ほどではないにしても、山向こうの河内と比較すると、寒冷地に属するのである。
 代替わりの度に、これ程の大動員、大事業を催すのでは、山中に閑居した纏向界隈では収まらない。

*得られない「調和」のある進歩
 普通、墳丘造営などの事業が、代替わりで、徐々に規模拡大するのなら、各組織も、徐々に収縮し、新参者を訓練して、規模を拡大し、適応できるが、短期間で爆発的な成長は、とても、適応して済む問題ではない
 貨幣がなくても大事業は「ただ」では済まない。千倍の食糧運びは千倍の労力が必要であるし、千倍増税に住民は耐えられない。結局、後代負担になる。
 かくも「超臨界」の大規模プロジェクトは、纏向地域だけでは対応できない。超広域の超大事業の同時代史料は残っているだろうか。
 この程度のことは、考古学者でなくても思いつくはずだが、記者は質問も発していない。もったいない話である。

*所長のぼやき~本当に大丈夫ですか
 纒向学研究センターの寺沢薫所長が「纒向以外に考えられない」と告白したように地位相応の見識と考察力がないなら、この任に堪える人を選ぶべきだろう。不覚の真情吐露で、産経新聞に晒し者になっていては、いたたまれないであろう。

                                以上

2022年1月14日 (金)

新・私の本棚 小畑 三秋 「卑弥呼の都、纒向に突如出現」

産経新聞 The Sankei News 「倭の国誕生」「卑弥呼の都、纒向に突如出現」     2022/1/13 07:00
私の見立て ★☆☆☆☆ 提灯担ぎ                          2022/01/13 2022/11/23

〇はじめに
 当記事は、「産経新聞」ニューズサイトの有料会員向け記事である。以下の引用は、許容範囲と見ている。

*報道記事としての評価
 当記事は、一流全国紙文化面の署名記事としては乱調で感心しない。
「邪馬台国(やまたいこく)に至る。女王の都するところなり」。中国の歴史書、魏志(ぎし)倭人伝は邪馬台国に卑弥呼(ひみこ)がいたとはっきり記す。

 大変な虚報である。中でも、魏志「倭人伝」は、中国史書であり中国語で書かれている。「事実と異なる」報道である。「はっきり」記しているとは、虚報の上塗りとの誹りを免れない。また、記者の自筆を纏向研発表と誤解させるようで感心しない。「フェイクニュース」は、ご勘弁いただきたい。

*纏向研の幻像創造
 寺沢薫所長の発言は、以下の通りと見える。
同遺跡は、卑弥呼の時代と重なる3世紀初めに突然出現した。「過疎地にいきなり大都市が建設されたイメージ」と寺沢さん。卑弥呼について魏志倭人伝は「各地の王が共立した」と記すことから、大和(奈良)をしのぐ一大勢力だった北部九州や吉備勢力が主導して擁立し、纒向に都を置いたとの説をとる。

*君子豹変
 過去の発表で、纏向は、盆地地形で外部世界から隔離され、従って、文物の流入が少なく、また、温和な集団と聞いたが、一方、随分早くから筑紫に至る広域を支配していたとの両面作戦をとっていたように思う。近来、考え直して、女王渡来幻像(イメージ)作戦に「突如」戦略転換したのだろうか。

 「突然」「突如」と言うが、これほどの大事業は、多数の関係者が、構想から建設の大量動員の年月を経て、女王入場まで、大勢が長期に携わって初めて実現できるのである。大変ゆるやかな大事業だったはずである。なぜ、ドッキリの「サブライズ」を催したのだろうか。

 以上は、最有力研究機関の研究者の「総意」で進めていることだろうから、素人がとやかく言うことではないが、「君子豹変」は正当化できるのだろうか。

*倭人伝解釈の変調
 因みに、倭人伝』には、「各地の王が共立した」と中国語で「はっきり」書かれているわけではない。各国王は、限られた一部だけだったはずである。「倭人伝」で、伊都国には、代々王がいたと書かれているが、他の「諸国」が王国であって、王位継承していたとは書いていない。
 念のため言うと、「倭人伝」記事で明記されていない「大倭」ならぬ「大和」の「一大勢力」を書いていないし、ました、「二大」か「三大」か「三十一大」かは知らないが、北部九州や吉備の勢力について、何も書いていないのである。
 総じて、「所長」は、何を見て喋っているのだろうか。是非、後学のために、秘蔵、門外不出と言わずに「秘伝書」を公開頂きたいものである。
 また、担当記者には、権力に迎合しない「報道の真髄」を示して頂きたいものである。

*「所長、大丈夫ですか」
 それにしても、根拠の乏しい強調は、大抵、理論の破綻を覆い隠す常套手段である。所長は、大丈夫だろうか。いや、「大丈夫」というのは、所長のフィジカル、体躯が、三国志の関羽将軍なみにドデカいとか、言っているのではない。単なる冗句である。「過疎地」、「大都市」などと、時代離れした、現代日本語の冗句を飛ばすから、悪乗りしたのである。
 纏向研は、「大家族」なので、武運長久とご自愛を祈るしかない。

                                以上

2022年1月12日 (水)

今日の躓き石 誤解が渦巻く「アナウンサー」否定論 (毎日新聞夕刊コラム)

                       2022/01/12

 本日の題材は、毎日新聞大阪夕刊「放送」面の囲記事であるから、今回は、毎日新聞の姿勢を問うものではない。関係者は、安心して読み飛ばして欲しいものである。

 『「アナウンサー」もうやめない?』と題しているが、一読して感じるように「アナウンサー全体に対して引退を強要している」のではなく、「ナレーター近藤サトのテレビぎらい」とコラム自体に題しているから、筆者が個人的に敵意を感じている旧世界「テレビ」に対して、「言葉狩り」の手法を借りて悪態をついているのだが、それにしても、まことにできの悪い提案である。記事が書かれているのは、どう見ても「正しい」日本語を目指したものであり、真意が伝わらず誤解されるのは、単に、文体の区別が付かない、書き方が下手なというだけである。そうでなければ、筆者の真意が伝わらないから、「アナウンサー」に正しい日本語を確保して貰わなければ、今後とも自己主張ができないのに気づいていないようである。

 切り出しの「もともと正しい日本語はありません」は、筆者の無知を曝しているだけで、知識として、どんな日本語が話されたか知らないし、言葉は、時代、文化によって変わっていくという事を無視した独断なのである。すかさず、「卑弥呼の話した言葉」を持ち出しているが、卑弥呼の時代には、広く通じる「日本語」はなかった、いや、「日本」すらなかったから、読者に何ももたらさない虚辞である。
 少なくとも、「卑弥呼の話した言葉」が、一切記録されていない以上、簡単にも何も、現代人が、いかに現代技術を動員しても、理解もなにもできないのは間違いないのであるが、だからどうだというのだろうか。「切り出し」と書いたが、どうも「滑り出し」のようである。これが、筆者の意図を伝える最善の手口とは思えない。

 当然、当時として、正しい、誰でも誤解無く理解できる言葉を話そうとしたのは間違いないところであり、そのような良識なくして、何を読者に伝えたいのかわからない。乱れた日本語を、堂々と言うものだと呆れるだけである。

 と、大ぼけで滑り出したのに、「言葉は変遷するもの」と聞いた風なことをおっしゃって、読者がついてくると思ったのだろうか。「この人は、言葉が乱れているから、頭の中も乱れている」と思われるだけではないのだろうか。確かに、「美」は、言葉を感じ取った人の内部に発生する感情であるが、それは、言葉を発した人の内部にあった感情が、うまく伝わったものである。筆者の感じ方は、独善を推奨するだけであり、それこそ、長年アナウンサーが言葉の護り人として闘ってきたものである。
 筆者は、幾千万の先人が、長年に亘って形成、継承した資産を踏みにじって、何を、人の世にもたらそうというのだろうか。

 その後、筆者は、勝手な「アナウンサー」論、個人的な理想を振りかざすが、誤解乱発の書きぶりが祟って、またも、滑った感じである。

 筆者は、「アナウンサー」が、時代の変化に取り残された(亡ぼさるべき)化石と言いたいようだが、自身で、書き連ねているように、「アナウンサー」は 広大な分野を包含する言葉として、広い世間に理解されているのだから、ことさら、個人的な恨み辛み(があるとしかおもえない)で、勝手に制約を決め付けて全面的に否定することはないのではないだろうか。

 当ブログでは、しばしば、公共放送の報道アナウンサーが、適当な新語に飛びつくのに警鐘を鳴らしているが、それは、その役割、言葉の護り人としての至上の価値を再確認しているのであって、その他大勢の「アナウンサー」を叱責しようとしているのではない。自ら、「アナウンサー」でないと公言している筆者に対して、何も言いたいことはない。ただ、無知と認識不足を正しているだけである。ついでに、一般読者に、現状認識の謬りを指摘し、改悛を求めるにも、話を聞いて同意してもらえる語り口があるのではないか、「もっと勉強しなさい」と言いたいだけである。

 但し、いくら偉そうに言い立てても、別に何の権力も影響もないから、筆者が耳を貸さず、見識を改めなくても、何もない、ただの市井の人であり、筆者とは、一切無縁の衆生である。

 とどめのように、あいまいな言葉の呪縛と称しているが、あいまいな言葉には、呪文の効力などない。何か勘違いであろう。また、何か言葉狩りをして、「アナウンサー」を廃語にしても、背景となっている概念が生きている限り、根絶やしにはできないのである。自然界では、草を刈る人が亡んで土に帰っても、雑草は滅びないのである。

以上

 

2022年1月 7日 (金)

今日の躓き石 NHK 「時論公論」で唖然とする「リベンジ消費」蔓延活動

                           2022/01/07

 本日の題材は、NHKが、「時論公論」なる看板番組で堂々とぶち上げた「リベンジ消費」である。一日に二度お目にかかるとは、世も末である。しかも、今回は、口頭の言い飛ばしでなく、堂々と画面に書き出しているから、単なる舌が滑ったでは済まない。
 NHKには、番組の品位を審査する部門はないのだろうか。

 これは、NHKが堂々と「リベンジ消費」 の蔓延、普及に乗り出したと言う事であり、 とうに絶滅したはずの汚い言葉が、NHKの手で広く普及されていくという事かと、歎くのである。

 このように、善良な消費者の意志を誹謗/愚弄/侮辱する暴言にNHKが、無批判に追従しただけでも、嘆かわしいと思ったのだが、こんな番組を目にするとは思わなかった。長生きはしたくないものである。

 一視聴者としては、どうか、NHKが、自身の使命に目覚めて、「悪性語」の蔓延防止、根絶に取り組んで欲しいと思うのである。よりによって、このような罰当たりな言葉を使わなくても、「時論公論」の報道番組としての使命は果たせると思うのである。どうか、どうか、目を覚まして欲しいものである。

以上

今日の躓き石 NHK ニュースほっと関西「リベンジ消費」の汚染拡散

                           2022/01/07

 本日の題材は、午後7時前のNHK ニュースほっと関西が、ぼろっと漏らした「リベンジ消費」である。

 とうに絶滅したはずの汚い言葉が、生き残っているのは、NHKとは思えない「放送事故」である。

 もちろん、このような極めつきの悪性語を駆使してまで、消費者を誹謗/侮辱する暴言を堂々と打ち出した某大手銀行系シンクタンクの広報担当が悪いのだが、NHKが、無批判に追従したために、一時は、蔓延するのではないか危惧したものである。
 たちまち姿を消したのは、NHKの統制力と感心したものであるが、当ブログには、悪い言葉が聞けなかったことを顕彰する体制がないので、ご勘弁いただきたいものである。

 どうか、NHKの面目にかけて、「悪性語」の蔓延防止、根絶に取り組んで欲しいものである。

 忙しいので、くどい説明は省略である。

以上

 

 

2022年1月 6日 (木)

新・私の本棚 小畑 三秋 「卑弥呼は北部九州や吉備主導で擁立した」 1/2

産経新聞 The Sankei News 「倭の国」「卑弥呼は北部九州や吉備主導で擁立した」 1/6 07:00
私の見立て ★☆☆☆☆ 安直な提灯担ぎ  (★★★★☆ 堅実な時代考証)        2022/01/06 2022/11/23

〇はじめに
 お断りしておくが、当記事は、「産経新聞」ニューズサイトの有料会員向け記事であり、当ブログ筆者は有料会員でないので、記事末尾は見えていない。但し、新聞記事の伝統に従い、当記事の要点は、冒頭に明示されている思うので、的外れな批判にはなっていないものと信じて、当記事を書き上げた。

*二段評価の説明
 当記事は、持ち込み記事の提灯持ちであり、一流全国紙文化面の署名記事として感心しない。タイトルが文法乱調で混乱しては勿体ない。
 持ち込み記事部分は、考古学の本分として、堅実な時代考証に賛辞を送る。

*適切な著作権処理
 今回の図版は、纏向研寺沢所長著作の持ち込みのようだ。個別の資料写真は、出典が明示されていて、公共研究機関の広報資料としては、まことに堅実である。また、趣旨不明の「卑弥呼」像と図版全体には署名がないが、当然、寺沢所長提供と見るが、明示されていないのは、産経新聞の疎漏である。

*画餅の不備
 一見して、纏向は、「現代の西日本地図」に示された各地勢力から見て「極東辺境」である。しかも、西方勢力から長延の行程の果てとして到達困難な山中の奈良盆地の「壺中天」である。その東端のどん詰まり」、「袋の鼠」の纏向勢力が、どうやって、これら交通至便な有力勢力を屈従させたのか、まことに不可解である。
 いや、この感想は、随分以前に「纏向」と訊いた瞬間に想定されたのだが、かくの如く図示されると、画餅の意義が見えないのである。

*あり得ない広域支配
 当時の交通事情、そして、当時は、騎馬文書使による文書通信が存在しなかったことから、纏向と諸勢力の報告連絡は、遅々たる徒歩交通の伝令の口頭連絡であり、従って、遺物が残っていないのかも知れないが、年々歳々の貢納物は、延々と徒歩搬送であり、極めつきは、互いに闘うと言っても、武装した兵士が、延々と徒歩行軍するときては、往復の行軍中の厖大な食糧の輸送・補給を含めて、消耗が激しく、遠隔地に渡海遠征など、はなっからできないのである。このあたり、肝心の足元が裸足のさまで、到底成り立たない夢想と見られても、仕方ないのである。

*一極集中の破局
 また、氏は、「各勢力貢納物が纏向に集中した」と言うようだが、九州からの貢納物は、ほぼ必然的に吉備勢力圏を通過するが、まさか、素通りできないのである。途中で割り前を取られたら、とても、纏向まで物資は届くまいと見るのである。
 ということで、纏向一極集中の無理を、九州、中国、四国の支持あっての纏向としたかったようであるが、どうも、無理のようである。

*密やかな四国「山のみち」提唱
 図は、四国山地の中央構造線沿いの「山の路」を、弥生時代の大分海港から鳴門に至る交易路としていると見える。我が孤説の支持と思うが、大変うれしいものの、何か根拠があるのだろうか。あれば、是非提示いただきたいものである。四国に古代国家を見る諸兄姉には、大変心強い支持となるのである。
 この経路は、瀬戸内海の交通を難く妨げていた関門海峡から鳴門海峡までの数多い海の難所が無関係となり、また、但馬勢力を飛ばすので、手ひどい収奪は避けられる。但し、この経路に潤沢な交通があれば、ものの理屈として、途上に地方勢力が形成され、結局、とても纏向まで物資は届くまいと見るのである。交易の鎖は、ひ弱いように見えても、その区間を強く支配しているので、手強いのである。

 心地良い絵が描けたら、どのようにして、日々運用し持続するか考えてみることである。それが、伝統的な考古学の本分と思う。

                                未完

新・私の本棚 小畑 三秋 「卑弥呼は北部九州や吉備主導で擁立した」 2/2

産経新聞 The Sankei News 「倭の国」「卑弥呼は北部九州や吉備主導で擁立した」 1/6 07:00
私の見立て ★☆☆☆☆ 提灯担ぎ  (★★★★☆ 堅実な時代考証)          2022/01/06 2022/11/23

*「倭国大乱」の幕引き
 ちなみに、寺沢氏は、考古学の実直な側面を踏まえて2世紀後半~末に大規模な戦乱の痕跡はみられない」と冷静である。
 もともと、魏志「倭人伝」は、九州北部に限定された地域事情を伝えている』のであり、海を遙か遠くに渡った東方については述べていない」(「一切」とは言っていないのに、ご注意いただきたい)その点に早期に気づいていれば、纏向派が、この時代まで早呑み込みの「恥をかき続ける」ことはなかったのである。ここまでくれば、あと一息である。せめて、史料解釈の首尾を取り違えたため存在しない史実を虚報し続けてきた、広域大乱」の創造と継承は、この辺で幕引きいただきたいものである。

*東夷管理の見違い
 因みに、寺沢氏は、一時繁栄を極めていた九州北部勢力の退勢を、中国後漢の東方管理の衰退によると決め込んでいるが、これは、勘違いであろう。後漢洛陽での政争で東夷支配の箍(たが)が外れたが、もともと、東夷支配は皇帝直轄ではなく、遼東郡など地方守護の専権事項だったのである。たとえば、後漢末期の遼東公孫氏は、遼東半島から山東半島に勢力を派遣して、勢力拡大していたが、帯方郡に任せていた南方の濊、漢両勢力の統治はともかく、「荒地」のさらに南の「倭」は、後漢皇帝に報告していないから、「後漢の東方管理」で、「倭人」は、存在していなかったのである。(後漢皇帝に報告されていなかった「倭」が、なぜ、笵曄「後漢書」の東夷列伝に書かれているのか、不可思議そのものである)

*公孫氏「遼東」支配の興隆
 かくして、皇帝支配の箍が緩んだ遼東に興隆した公孫氏は、むしろ、自立に近い形で支配の手を広げたのである。端的に言うと、地域交易経路の要(かなめ)にあって、地域交易の利を一身に集めようとしたのである。

*「一都會」の幻覚~余談
 そのような境地は、漢書では、「一に都(すべて)を會す」として、一種「成句」となっていたが、紙面に「一都會」の三字が連なっていても、「都會」なる言葉が誕生していたわけではない。時代錯誤には注意いただきたい。
 陳寿は、班固「漢書」で「一都會」を目にしていたが、「倭人伝は新語をもてあそぶ場ではない」ので、却下したものと見える。
 それは、黄海を越えた山東半島領有とか、半島中部に帯方郡を新設して、南の韓を強力に支配し、半島東南端「狗邪韓国」海港に至る官道の半島中部「竹嶺」の峠越えの険路を整備させ、難所を隘路にとどめて、片手業で海を渡った倭の取り込みをも図っていたのである。
 ここで、「峠」は、中国語にない「国字」であり時代錯誤であるが、適当な言い換えがなく「峠」の字義に誤解はないと思うのでこのように書いた。

*公孫氏勢力の再確認
 後漢末期、九州勢力には強い支持があったと見るべきである。但し、公孫氏は、「倭人」の洛陽伺候を許さないどころか、その存在を報告もせず、小天子の権勢を振るったのである。
 何しろ、「公孫」氏は、その名の通り周王族の高貴な出自を誇っていたのであり、宦官養子上がりの「曹」など身分違いと見ていたのである。
 ということで、寺沢氏は、ご自身の従属する陣営の物語の筋書きに合うように、一路邁進の後漢衰退を読み込んでいるが、それは、素人の聞きかじりによる浅慮であり、端的に言うと、単なる勘違いである。つまり、冒頭の「九州勢力退勢」風説は、根拠に欠けるお仕着せに過ぎない。

〇まとめ
 産経新聞の担当記者としては、貴重なニュースソースから持ち込まれた玉稿を「提灯持ち」するしかないのだろうが、それでも、素人目にも明らかな言い逃れは、じんわり指摘すべきだと思うのである。報道機関としての矜持は、失って欲しくないものである。

 ちなみに、当ブログ記事は、文献考証の本道を行くと見せて、結構『古代浪漫』にのめり込んでいるのだが、無官無職で、一切収益を得ていないので、少々の法螺はご容赦頂きたいのである。

                                以上

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