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2022年1月27日 (木)

新・私の本棚 サイト記事批判 宝賀 寿男 「邪馬台国論争は必要なかった」

 -邪馬台国所在地問題の解決へのアプローチ-   2022/01/27

〇サイト記事批判の弁~前言限定
 宝賀氏のサイト記事については、以前、懇切丁寧な批判記事を5ページ作成したが、どうも、無用の長物だったようなので、1ページに凝縮して再公開したものである。
 宝賀氏は、記事引用がお嫌いのようであるが、客観的批判は(著作権法で許容の)原文引用無しにできないのでご勘弁戴きたい。素人の印象批判は思い付きがめだって不公平である。極力客観的な批判を試みたのである。 

*救われない俗人
 いきなり、『俗に「信じる者は救われる」』とあるが、凡人には、なんで、誰に「救われる」のかわからない。凡人に通じない「枕」で滑るのは勿体ないことである。

*信念無き者達
 「信念はかえって合理的解決の妨げ」とのご託宣であるが、「不適当な信念は、かえって合理的な解決を妨げる」なら主旨明解で異論は無い。私見では、信念なしに研究するのは子供である。なぜ、あらぬ方に筆を撓ませるのか。滑り続けている。

*古田史観の誤解、宝賀史学の提唱
 宝賀氏の誤解はともかく、古田氏は「倭人伝」研究は、史学の基本に忠実に「原点」を一定に保つべきであると言っているに過ぎない。「頭から、倭人伝が間違っていると思い込んでは、研究にならない」のである。むしろ、宝賀氏と同志と見える。

 言い方を変えてみる。古田氏は、現存、最良の倭人伝史料を原点にするという学問的に当然の手順を確認しているのである。宝賀氏は、「原点」に対して、はるか後世のものが改竄を加えた新「倭人伝」を自己流の「原点」として主張しているのであるが、それは、後世著作物である新「倭人伝」を論じるのであり、それは、古典的な史学で無く、「宝賀史学」と呼ぶべきものである。まことに勿体ない行き違いである。

*的外れな「倭人伝」批判
 因みに、かっこ内の陳寿批判は、宝賀氏の不勉強を示しているに過ぎない。
 古代に於いて、許可無くして機密公文書を渉猟して史書を書くのは、重罪(死刑)であるから、陳寿の編纂行為は公認されていたのである。三国志編纂は、西晋朝公認、むしろ、使命と見るべきである。「私撰」とは思い過ごしでは無いか。
 「倭人伝」が雑然とか、陳寿が全知で無いとは、まるで、素人の勝手な思い込みである。一度、ご自身の「信念」を自評して頂くと良いのでは無いか。
 いずれにしろ、「倭人伝」の史料としての評価は、「原点」確認の後に行うことであり、言うならば、勘違いの手番違い、手順前後である。また、おっしゃるような「悪態」は、「倭人伝」の史料批判には、何の役にも立たないのである。却って、発言者の資格を疑わせることになる。随分、損してますよと言うことである。

*「魚豢批判」批判
 白崎氏批判は置くとして、『文典で基本となるのは、魚豢「魏略」残簡しかない』というのは極度の思い込みである。魚豢は魏朝官人であり史官に近い立場と思われるが、私撰かどうか、現代人の知ったことでない。(「正史」でもなんでもないのである)

 「魏略」論が混入しているが、「手放しで」同時代史料とは意味不明である。「魏略」佚文に誤写が多いのは、低級な佚文書写故で、「倭人伝」基準で「桁外れ」に誤写が多いのは必然である。史記基準なら、可愛いものかも知れないが、ここでは、三国志の基準を適用するしかない。三国志は、陳寿没後、程なくして、陳寿が用意していた完成稿の複製が上申され、皇帝の嘉納を得て帝室書庫に収納されたから、以後、王室継承の際などの動揺はあっても、大局的には、初稿が健全に維持されたのである。改竄など、できようはずがない「痴人の白日夢」である。
 後世、特に現代の文献学者に言わせると、「三国志」には、あげつらうべき異本が無く、まことに、飯のタネにならん、と慨嘆しているのである。「三国志」を写本錯誤の教材にしようというのは、銭湯の湯船に自慢の釣り竿の釣り糸を垂れるようなものであり、見当違いなのである。河岸を変えることをお勧めする。

*「倭人伝」批判再び
 「倭人伝」批判が続くが、「それだけで完全で」は、「完全」の基準なしで氏の先入観と見るしかない。二千字の史料が、完全無欠なはずはない。当たり前の話である。
 「トータル」で整合性がないとの印象評価だが、「トータル」は古代史用例が無く意味不明である。氏の先入観、印象は、第三者の知ったことでないので恐れ入るしか無い。学術的に意義のあるご意見を承りたいものである。

*「混ぜご飯」嫌い
 素人考えながら、持論としての古田、白崎両氏の批判だけで切りを付けて、史料批判は別稿とした方がいいのである。具の多い混ぜご飯は、好き嫌いがある。論考の強靱さは、論理の鎖のもっとも弱いところで評価されるのである。

*魏略再考
 因みに、魏略の文献評価は、「倭人伝」後に補追の著名な魏略『西戎伝』に尽きるのでは無いか。倭人伝並のほぼ完全な写本継承がされているから、批判の価値がある。魏略『西戎伝』 は、権威ある百衲本の一部である。 字数も、「倭人伝」を大きく上回っている。批判しがいがあろうというものである。
 結論を言うと、魚豢は、史書編纂の筆の強靱さに於いて、陳寿に遠く及ばないのである。しかし、魚豢を踏まえて編纂したはずの范曄「後漢書」西域伝は、随分杜撰である。「下には下がある」のである。

〇頓首死罪
 以上、大変失礼な批判記事になったと思うが、率直な批判こそ、最大の讃辞と思う次第である。氏が追従を求めて記事公開したとは思わないのである。

                                以上

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