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2022年1月 4日 (火)

新・私の本棚 安本 美典 「倭人語」の解読 2/3 改2 倭人伝論

卑弥呼が使った言葉を推理する 勉誠出版 2003(平成一五)年刊
私の見立て ★★★★☆ 絶妙の好著、但し、極めて専門的  2020/01/21 補充再公開 2020/06/30, 2022/01/04

〇第五章 地名と人口から見た倭人の国々
 本章では、倭人語解読を踏まえて、倭人伝道里記事による戸数推定などが始まります。

 安本氏は、邪馬臺国は、小国連合の「大国」であって七万戸を有したと解釈していて、世に蔓延る百花斉放の新説提唱者と同様に、一説である先入観を、読者に押しつけていると見えます。
 また、行程道里も、背景不明の概数を、一律に多桁計算処理する時代錯誤をたどっていて痛々しいものがあります。

*原点からの再出発の提案
 倭人伝を、倭人語解読により正解するのなら、この際、倭人伝解釈の旧弊を深い穴に打ち棄てて、一から虚心に読みなおすべきではないでしょうか。
 纏向派などの俗説派の諸兄は、多年の学究で壮大な理論体系を構築し、起点部分から考え直すことはできないでしょうが、安本氏も、いたずらに旧説に固執するのでしょうか。
 いえ、無礼にも、素人考えで質問しているだけです。定めしご不快でしょうが、素人論者は、率直を旨としているので、そうなるのです。

〇第七章 新釈「倭人伝」
 本章の諸見解は、安本氏の絶大な知識、学識を背景とした倭人伝新釈であり、これを偉として、大いに傾聴すべきであると思います。

*長大論
 「長大」論では、奈良時代文書の用例を主たる根拠として、俗説となっている老齢説を一蹴しているのは、痛快であり、大いに賛成です。
 俗説遵守の諸兄は、卑弥呼が老婆に決まっているとの牢固たる先入観に支配されて、柔軟、適確な用例評価ができないのです。当方は、無用の先入観を有しない安本氏が、頑迷な俗説を打破したことに、この上なく感謝しているのです。

 僭越ながら、当ブログ筆者は、中国史書の用例を参照して、同様の結論が導き出せるものと信じて、かねて、成果を発表しているものです。ここで種明かしされている結論は、新入生の如く先入見のない眼で中国史料用例を斟酌すれば、むしろ難なく到達できる「正解」と思うのです。

 勝手ながら、私見では、氏は、別の山路を登坂して、同一のいただきに至ったのであり、いただきの正しさを二重に確証している、大変ありがたい論説なのです。逆に、世にはびこる感染症である長大老齢説は、一体、何を根拠としているのでしょうか。不思議です。

 因みに、「長大」呉書用例から三十代男性の形容との考察は古田武彦氏の提言です。
 私見では、古田氏に、安本氏の慎重さがあれば、「長大」論で、魏書ならぬ呉書に依拠する愚は避けられたはずです。

*都督論
 「都督」論で、安本氏は中国側用例を軽視して好ましくないと思うのです。「都督」は、歴代中国王朝で、古来しばしば起用された地方官名であり、倭人伝も、古典用例を踏まえているとみられるのであり、奈良時代国内文書も、本来、中国用例から発しているはずですから、前後関係を度外視した起用は好ましくないと思われます。
 ただし、「都」を、平城京などの「みやこ」の意味に固定したために、以後の「都」の解釈は、中国とずれて行くように思います。
 また、「都督」に表れている「すべて」の意味が、それによって、国内文書から姿を消したように見受けます。
 中国史料の読解に、大いに影響している国内「用語」の変遷です。

*大夫論
 中腰書を参照すると、「大夫」は、周制の最高官でしたが、秦で、爵位の最低位から数えた第五位の「低位」、塵芥のごとき一般人階層となり、錦衣が雑巾の感じです。秦が、周制高官を意識的に雑巾扱いしたように見えます。
 因みに、漢は秦の爵位を継承しましたが、新朝の皇帝として君臨した王莽は、周制を復活させ、「大夫」を周制同様の至高の官位としましたが、束の間の晋が滅び、漢を回復した光武帝劉秀は、漢の官制を復興したので、「大夫」の高揚は、束の間だったのです。

 案ずるに、諸兄は、中国では「大夫」は地に墜ちたが、倭人は、古(いにしえ)の周制を踏まえて、その高官としているように見えるという史官陳寿、魚豢の示した機微を見損ねています。

 安本氏の「大夫論」「は、奈良時代文書の同様の誤解の影響でしょう。してみると、安本氏は、ここでは安直な「俗説」に追従して、随分不用意です。

*劈頭句から始まる別の道
 「倭人在帯方東南大海中依山島依国邑」は、倭人伝劈頭句ですが、この句は、史官たる陳寿が、想定読者である皇帝等の教養人に対して提言するものであり、厳格に史書としての行文、用語に従ったと見るものです。

 安本氏は、七~八世紀の奈良時代文書から古代人の解釈を察することを、「勉強」と勧めますが、こと「倭人伝」解釈では、少なからぬ傍路、道草と思量します。いや、念のため付け足すと、勉強は、道草から思わぬ収穫を得るものです。時には、道草をついぱんで、ツメクサの滋味を知ることもあるのです。

 口幅ったいようですが、古代史書の解釈には、文書著作者の「辞書」を想到する努力を、もっと大事にしてほしいものです。

                                未完

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