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2022年1月 4日 (火)

新・私の本棚 安本 美典 「倭人語」の解読 3/3 改2 倭人伝論 世界観談義

卑弥呼が使った言葉を推理する 勉誠出版 2003(平成一五)年刊
私の見立て ★★★★☆ 絶妙の好著、但し、極めて専門的  2020/01/21 補充再公開 2020/06/30, 2022/01/04

*大海談義 隔世の世界観~余談
 以下、安本氏初め先学諸兄には、常識のことばかりでしょうが、当ブログの読者には未知の領域の方もあると思うので、ご容赦ください。

 隔世の世界観というのは、三世紀の中原人、倭人、後世奈良人は、それぞれの世界、天下を持ち、従って、それぞれの「世界」の認識は大きく異なるから、同じ文字、同じ言葉で書いた史料も、そこに表現された意義は、それぞれで随分異なるということなのです。

 それに気づかず、その記事の著者の深意を推定する当然の努力を怠り、現代日本人のそれも「無学な」素人の「常識」で字面だけを判読したのでは、「誤解」も避けられないでしょう。もっとも、「誤解」は、自分自身が気づかないと是正されないのですが。「付ける薬がない」のですが。

 例えば、同時代の夷蕃伝「魏略西戎伝」で、西域万里の「大海」はカスビ海であり、総じて,当時の中原人にとって、「大海」は、英語でPond, Lake、つまり「内陸水面」、但し、塩水湖とわかります。三世紀時点の中国の世界観は、そうなっていたのですが、この点の論議は、先人の説くところなので省略します。

 いや、現代の英米人は、両国間の大洋Atlantisを、しばしば、Pond、水たまりと呼ぶのです(もちろん冗談半分でしょうが)。「古池」をジェット機で飛び越す感覚なのでしょう。それ以前、英語では、伝統的にブリテン島の周囲の海をSeaと呼ぶものの、米語では、東部人は、目前の海を、まずはOceanと呼んだのです。後に、西海岸の向こうの大洋を知ってAtlantis, Pacificと呼び分けたのです。認識の水平線は、時代で変わっているのです。

 ざっと走り読みしただけでも、土地と時代で、世界観が大きく異なり、それに従って「海」の意義が大きく異なるのです。

*認識の限界 地平線/水平線効果~余談
 もちろん、倭人伝の「海」、「大海」の認識は不明ですが、例えば、帯方人や倭人が南方の太平洋、南シナ海を認識していた証拠はないと思われます。認識の「地平」が異なるのです。

 例えば、倭人伝の「大海」は、当時の中原人世界観に従うと、韓国の南を大河の如く滔々と流れているのであって、これまた大河のように中州(山島、洲島)があって、対海国、一大国、そして、末羅国が、それぞれの中州の上にある諸国を、渡し舟で伝っていくという感じなのです。

 従郡至倭、つまり、郡から「倭人」、つまり、倭人王の治所、居城まで、普通里で萬二千里であるとの解釈が出回っていますが、東夷が、それほど広大な世界観を持っていた証拠は、何所にも無いのです。後世人が色々推定して、勝手に言い立てるだけで、資料には、何も何も書いていないのです。繰り返しばかりですが、世界観、地理認識が異なれば、言葉の意味は異なるのです。

 七~八世紀以前の奈良人が、内海から隔絶した、地平線/水平線のない奈良盆地で、見たこととも聞いたこともない「大海」をどう認識していたか、知ることはできません。「まほろば」は、住民の先祖が流亡の果てに安着した桃源郷、陸封安住の境地と見えるからです。
 隋帝を海西の天子と呼んだ俀国天子は、半島経由で黄海を軽々と渉る行程を知らず、漠然と、両者を隔てる「海」を言い立てたのかも知れませんが、隋帝にとって、海西とは、西域の果ての大海「裏海」の西岸であり、つまり、途方もない辺境を指定されたと感じたのでしょう。

 いや、時代人の本心は、当人に訊かねば分かりません。「グローバル」な視野に囚われた後世人が、倭人の世界観に同化するには、精緻広範な地球儀(グローブ Globe)を棄て、同じ「井戸」に入ることです。まずは、「ローカル」が、万事の基礎です。

 古代奈良平野は、立派な湖水を有していたそうですから、『対岸は見通せても、そこは「海」』と見立てた海洋観が存在した「かも知れない」。そうした時代地理環境も影響するのです。

*魚豢の慨嘆~余談
 倭人伝最後に付注された魏略西戎伝には「議」が記され、魚豢は、自分を含め万人は自身の井戸の時空に囚われた「蛙」との趣旨で、洛陽世界に囚われている自身を慨嘆しています。西域万里を実見できず、前世の他人の見聞録に頼るもどかしさを感じたのでしょう。

〇総評

 誤解を避けるために付言しますが、安本氏は、古代史学界にまれな資料読解力と理数系合理的世界観の持ち主であり、本書は、氏の最善の論考と思います。その一端として、本書の随所で安本氏の優れた大局観が確認できます。

 なお、当ブログの手口として、しばしば安本氏の著書書評から脱線して、持論の手前味噌に迷走していますが、具体的に根拠を示して反論していない議論は、書評外です。諸兄の関心を引くための手口であり、ご容赦ください。

 当方は、安本氏の論に、時に軽率な決めつけが散見されると指摘しますが、それは難詰ではありません。
 広範な考察範囲を述べていけば、誰でも間違いはあるのです。大事なのは、基本的な論考姿勢です。

*参考文献の偏り
 安本氏の限界とも思いますが、当分野における古田氏の意見について、ほぼ印象批評、人格批判しか公開されていないのは、氏ほどの学究にしては、大変偏ったものと言わざるを得ません。

 また、白川静氏は、漢字学の碩学ですが、万葉集に深い見識を示されているので、是非、氏の遺した著書、辞書を、安本氏の参考文献に取り入れていただきたいものです。白川氏は、七十代半ばで教職を辞し、以後二十年掛けて、三大辞典と多数の漢字学書を公刊し、その中には、潤沢な教養を生かした、万葉論もあるのです。

                                完

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