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2022年1月15日 (土)

新・私の本棚 前田 晴人 纒向学研究第7号『「大市」の首長会盟と…』1/4

『「大市」の首長会盟と女王卑弥呼の「共立」』 纒向学研究 第7号 2019年3月刊
私の見立て ★★☆☆☆  墜ちた達人         2022/01/15

〇はじめに
 文献史学の達人が、達人芸で「墜ちる」という図式なのだろうか。
 深刻な問題は、登用史料の由来がばらばらで、用語、構文の素性が不揃いでは、考証どころか読解すら大変困難(実質上、不可能)ということである。文献解読の肝は、それを書いた人物の真意を察することであり、そのためには、その人物の語彙を知らねばならないのである。当ブログ筆者は、なんとか、陳寿の真意を知ろうとして模索するのが精一杯であり、引きこもらざるを得ないのである。
 特に、国内史料は、倭人伝から見て数世紀後世の東夷作文であり、また、漢文として、文法、用語共に破格なはず、至難な世界と思うのである。氏が、自力で読み解いて日本文で書くのは、凡人の及ばぬ神業である。言うまでもないが、中国史書の編者は、国内史料を見ていないので、統一がないのである。

*第一歩の誤訳~取っつきの「躓き石」
 たとえば、「女王卑弥呼が景初3(239)年に初めて魏王朝に使節を派遣した」と書くが、原文が景初二年であるのは衆知であるから、これは、端から誤訳である。氏が、中国史料を文献考証しようとするなら、官人なのは、揺るぎない原典の選定である。検証無しに、世上の文書を引用するべきではない。
 以下、大量の史料引用と考察であるが、大半が倭人伝論「圏外」史料であり、中国古代史史料以外に「三国史記」と共に、大量の国内史料が論じられ、つづいて、纏向史蹟出土物の考古学所見、「纏向所見」が述べられている。当ブログで論じることのできる文献は少ないが、できる範囲で苦言を呈する。
 一般論であるが、用例確認は、小数の価値あるものを精査するべきである。用例が増えるにつれ、誤解、誤伝の可能性が高くなり、それにつれ信頼性は低下するのである。つまり、通りすがりの冷やかしの野次馬に、重要性の低い資料の揚げ足を取られて、氏が、ご不快な思いをするのである。

*パズルに挑戦
 要は、「纏向所見」の壮大な世界観と確実な文献である「倭人伝」の堅実な世界観の懸隔を、諸史料の考察で賢明に埋める努力が見えるが、倭人伝の遥か後世の国内史料を押しつけておいて、後段で敷衍するのは迷惑と言わざるを得ない。

 倭人伝の世界観は、諸説ある中で、当然、纏向説に偏した広域国家にされている。
 倭国の「乱」は、列島の広域、長期間に亘るとされている。
 倭人伝に明記の三十余国は、主要「列国」に過ぎず、他に群小国があったとされている。しかし、国名列記で、戸数も所在地も不明の諸国が「列国」とは思えない。まして、それら諸国が、『畿内に及ぶ各地に散在して東方は「荒れ地」だった』とは思えない。
 パズルの確実なピースが、全体構図の中で希薄な上に、一々、伸縮、歪曲させていては、何が原資料の示していた世界像なのか、わからなくなるのではないか。他人事ながら、いたましいと思うのである。

*「邪馬台国」の漂流
 私見では、倭人伝行程道里記事に必須なのは、対海国、一大国、末羅国、伊都国の四カ国である。
 余白に、つまり、事のついでに、奴国、不弥国、そして、遠絶の投馬国を載せたと見る。枯れ木も山の賑わいである。
 「行程四カ国」は、「従郡至倭」の直線行程上の近隣諸国であるから、万事承知であるが、他は、詳細記事がないから圏外であり、必須ではないから、地図詮索して、比定するのは不要である。そう、当ブログ筆者は、直線最短行程説であるから、投馬国行程は、論じない。

 氏は、次の如く分類し、c群を「乱」の原因と断罪するが、倭人伝に書かれていない推測なので、意味不明である。氏の論議の大半は、倭人伝原文から遊離した憶測が多いので、ついて行けないのである。
a群 対馬国・一支国・末盧国・伊都国・奴国・不弥国
b群 投馬国
c群 邪馬台国・斯馬国・己百支国・伊邪国・都支国・弥奴国・好古都国・不呼国・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・奴国

 「邪馬台国」を、「従郡至倭」行程のa群最終と見なさず、異界c群の先頭とみているのは、不可解と言うより異様である。いろいろな行きがかりから、行程記事の読み方を「誤った」ためと思われる。
 以下、氏は、滔々と、後漢状勢と半島情勢を関連させて、滔々と古代浪漫を説くが、どう見ても、時代感覚と地理感覚が錯綜していると見える。いや、氏の憶測だから、氏なりに辻褄は合っているのだろうが、第三者は、氏の心象を見ていないから、単なる混沌しか見えない。

*混沌から飛び出す「会盟」の不思議
 氏は、乱後の混沌をかき混ぜ、結果として、纏向中心の「首長会同」が創成されたと言うが、なぜ、経済活動中心の筑紫から、忽然と遠東の纏向中心の政治的活動に走ったのか、何も語っていない。本冊子で、遺跡/遺物に関する考古学論考が、現物の観察に、手堅く立脚しているのと好対照の空論である。

 ここでは、基礎に不安定な構想を抱えて拡張するのは、理論体系として大きな弱点である、若木の傷は木と共に成長するという寓話に従っているようであると言い置くことにする。

                                未完

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コメント

>ここでは、基礎に不安定な構想を抱えて拡張するのは、理論体系として大きな弱点である、若木の傷は木と共に成長するという寓話に従っているようであると言い置くことにする。

なるほど、「若木の傷は木と共に成長するという寓話」、邪馬台国=纏向説は、こうなってしまったという感じでしょうか。いい例えです。

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