私の意見 倭人伝「之所都」の謎
2022/01/21
〇はじめに
「倭人伝」の「之所都」解釈の通説は、陳寿の真意ではないようである。「之」に続くのは、本来一字であり、二字句を続けている例は希である。「所都」は、「都とする所」と解するかどうかは別として、二字句に見える。勘定が合わない。
つまり、順当な解釈は、「之所都」と続けず、「之所」で区切るのである。ここで、女王の居処が「邪馬壹国」であると明記され。一段落できるのである。
*魏志の権威
但し、後世文筆家は、言わば、早とちりで魏志「倭人伝」に「之所都」用例を見て追従したようである。正史魏志の権威は絶大で、以後、「倭人伝」を典拠としたようである。
世間には、「倭人伝」を独立した「本」(日本語)と誤解することがあるが、あくまで、魏志第三十巻掉尾であり魏志の「権威」を身に纏っているので、二千字といえども「小冊子」と侮ってはならない。「所都」の典拠となったのは、誤解であろうと何であろうと、そのような権威の故である。
用例検索の結果、「之所都」に、精査に耐える有効な前例はなかったのである。また、「所都」の「都」は、漢魏代では、蕃王居処に不適切であり、陳寿に、そのような意図はなかったのである。後世の類書編者は、古典書に不案内で「都」の禁制などなかったから、無造作に「女王之所都」と読んだのである。太平御覧など類書の所引は、倭人伝の深意を探る「掘り下げ」など念頭に無く、ぱっと見の早呑み込みなので、当たり外れが、激しいのである。外すときは、従って、大きく外すのである。
ここでも、倭人伝の適確な解釈は、陳寿の真意を察するのが正解への唯一の道なのである。くれぐれも、裏街道、抜け道、禽鹿の径の類いは、いくら、普通の早道に見えても、よい子は踏み込まないことである。
〇「之所都」用例談義 中国哲学書電子化計劃
「倭人伝」以前に由来すると思われるのは、二例と見える。
*太平御覽 地部二十七 鎬
水經注曰:鎬水上承鎬池於昆明池北,周武王之所都也
「水経注」は、中国世界の全河川を網羅して、水源から河口までの各地の地名由来を古典書から収録している。「鎬水」水源「鎬池」が昆明池の北で「之所都」は、周武王が「都」とした意味としても史実は不明で王城名もない。他用例は「武王所都」(説文解字)で「之」を欠いている。
*太平御覧 四夷部三・東夷三 倭
又南水行十日陸行一月至耶馬臺國戶七萬女王之所都
「御覧所引」魏志は、読み損なって縮約している。「倭人伝」と前後して文意誤伝であり誤字も然り、と「所引」批判できる。
〇鹽鉄論談義
通典 食貨十 鹽鐵 【抜粋】 中国哲学書電子化計劃
又屯田格:「幽州鹽屯,每屯配丁五十人,一年收率滿二千八百石以上,準營田第二等,二千四百石以上準第三等,二千石以上準第四等。(略)蜀道陵、綿等十州鹽井總九十所,每年課鹽都當錢八千五十八貫。(略)榮州井十二所,都當錢四百貫。(略)若閏月,共計加一月課,隨月徵納,任以錢銀兼納。其銀兩別常以二百價為估。其課依都數納官,欠即均徵灶戶。」以下略
「榮州井十二所,都當錢四百貫」は、塩水井戸十二「所」、「都」は、塩水井戸課税「総計」四百貫/十二ヵ月である。(閏月は、一ヵ月分課税)
当史料で「總」(すべて)は、「蜀道陵、綿等十州鹽井總九十所」のように、管内塩井数の総計としているので、課税総計は、「都」(すべて)と字を変えたようである。つまり、「所都」と続けての用例ではない。
塩の専売による財政策は漢武帝代創設であり、以後、後漢、魏の公文書館に順次継承され通典に所引されたと見える。つまり、倭人伝に先行と見える。
因みに、先賢の説に依れば、「塩鉄専売」収入は、この時、無から創設された制度で無く、古来、つまり、遅くとも、秦始皇帝の制度として実在したものであり、それまで帝室の収入、つまり、皇帝の私費であったものが、武帝の大規模な外征や河水治水工事への大盤振る舞いのせいで、国庫が枯渇しかけたので国庫収入に付け替えたようである。それまで、いかに、新刊書期の帝国財政が豊かであり、帝室の私的な財産が厖大であったか、窺い知ることができるのである。
何にしろ、当時の経済活動の規模と成り行きは、現代人の想像を遙かに超えていて、そのくせ、当時の知識人には、当然のことなので、記録に残っていないことが多いのである。くれぐれも、現代人の良識で判断しないことである。
〇「之所都」解釈案
本稿の結論としては、「之所都」と並んでいても、「都」が総計の意味の場合は、連続させない例として有効で、「倭人伝」解釈に有益と考えて本稿を残したのである。
因みに、国内古代史学界は、「都」の大安売りであるが、三世紀時点の用語解釈すら不確かなのに、以後化石化した国内用例の解釈と敷衍には、慎重の上にも慎重であって欲しいものである。中国史料は、中国語で書かれているから、適切な教養をもって、中国語として解釈することが、必須なのである。
以上
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