今日の躓き石 誤解・誤訳の始まり 否定表現の「和英」食い違い
放送 2022/04/20 2022/04/25
*否定的意見の「誤訳」
NHKの番組の「クイーン」ブライアン・メイのインタビューで、インタービューアー(日本人と聞こえた)が、"I don't think you are powerless."と言うべき所を"I think you are not powerless."と言っていて、ちと引っかかった。
要するに、「あなたは無力ではないと思う」が日本語語法であるが、これは、英語の語法と食い違うのである。powerlessなる単語自体の否定的な意味と文章の否定表現が、話者の脳内で入り交じって、「誤訳」したらしい。
当文型は、日本人英語の典型であり、日本人の言葉遣いを(正確に)逐語訳したら、英語として間違いになる一例である。権威ある公共放送が、英語文を英語語法で語らないのは異様に聞こえたが、別に、個人攻撃ではない。随分上級者でも、このあたりは勘違いするようである。
大人の日常会話では、相手は訂正してくれない。日本人と会話を重ねると、共通した「誤訳」と気づくからである。日本人全体に説教もできないから、失礼にならないように、顔色も変えず、調子を合わせるのである。
当方は、晩学の英会話教室で、講師が、同級生に考え違いを指摘したのを聞いた覚えがある。要するに、英語は、否定形の文を伝えるのでなく、自身の意見として否定するのである。もちろん、普通、中高生事項ではないが、遥か昔の中学生時代にNHK第二放送のラジオ英会話で聞いた気がするから、一切説明(教育的指導)がないわけではないのだが、学校の英語の時間に、教わっていない人が大半と思う。
英会話は、互いの意志が通じれば良い、堅苦しい文法談義はいらない、というのは、多分、自分自身理解できていない、不勉強な英語教師の逃げではないだろうか。生徒達には、日本語と英語の文法と背景文化の違いを知らせるべきである。そうで無くても、生徒達は、英語は実社会では「不要」だからテストに出ることだけ囓っているのだから、こうした通訳機にできない、本当に大事なことは、念入りに仕込んでおくべきである、と素人は思う。
*イエスかノウか 「誤訳」の始まり
これと、多少関係があると思えるのが、Yes, Noの誤解である。疑問文に対する応答で、日本語と英語の、「はい」、「いいえ」と"Yes", "No"が逆転するのは、少し注意深い人なら、「躓き石」として自覚しているはずである。
つまり、疑問文が、否定的な内容のときに"Yes"(肯定的)見解は、疑問の否定なので日本語では「いいえ」になる。吹き替えで字幕表示しているときは、食い違いが目に見えるが、大抵の方は聞き流しているだけだと思う。
この齟齬は、アメリカの政治家にはいらだたしいもので、外交論議で「日本人がYesと言っても、実はNoだ」と「日本人英語の怪」なる「ジョーク」の定番になっている。プロの通訳は、当然、こうした齟齬に気づいているが、外交官は、誤解しているかも知れない。いや、日本語で「はい」と答えるべく時は、つい、頷いてしまうから、首を縦に振りつつ、Noと否定する器用な回答になってしまうのである。
因みに、そのような齟齬を避けるために、まず、見解を平叙文で述べてから、「肯定的(positive)か否定的(negative)か」問い掛けて、誤解を避けることがある。但し、そのような背景を知らない素人は、状況にお構いなしに「ポジティブ」、「ネガティブ」を一人歩きさせて、混乱を招くのである。「壁」を越えた意思疎通は、難しいのである。
*古代史の躓き石~目に見える勘違い
古代史論者古田武彦氏は、議論の盛り上がったところで、断定的否定を「否(ノウ)」のカタカナ書きで念押ししたが、議論に混乱を呼び込んで、否定のダメ押しになっていないのであった。
当ブログの定番は、古代史論の主張の正確な理解には、対象時代、文明にない「ことば」、自明な代表例としてはカタカナ語、を一切使わないというせめてものお願いである。古田氏は、際だって著名な論客なので、あえて名指ししたが、単に一例に過ぎない。適確な文意理解には、文字、単語の解釈では不十分で、文脈、前後関係の理解が不可欠なのである。
いや、ここは、個人批判の場ではない。要するに、古代史論議で、中国史書解釈が迷走するのは、文字、単語の解釈への時代錯誤の介入から始まって、用例解釈が的外れの場合が、多々あるという事である。勘違いの不朽の系譜である。
いや、指摘されて気づくようなら、とうに、自覚しているだろうから、言うだけ徒労の感が強いのである。山火事に柄杓で水をかけるようなものなのだが、せめて、一人でも、誰かが気づいてくれれば、ささやかな改善になって欲しいと思い、コツコツ書き残しているのである。
以上