新・私の本棚 古代史検証4 飛鳥の覇者 推古朝と斉明朝の時代 追記 1/2
監修 上田正昭 著者 千田 稔 文英堂 2011/4 第一刷
私の見立て ★★★★☆ 考察が潤沢な好著。 2022/04/09 追記 2022/04/11
◯はじめに~圏外介入の弁
本書は、全五巻の名著、日本古代史通史(出版社がそう呼んでいるわけではない)の二巻目で、時代的にも当ブログの範囲を外れるが、「遣隋使推定航路」図に異議があり、「細瑾」批判記事を立てた。と言うものの、随分深刻な「細瑾」なので、手痛い批判になってしまったことをお詫びする。
*遣隋使行程図批判~名著の細瑾
下図は、本書掲載の「概念図」であるが、批判するのに不可欠なので、千田稔氏著作物として、謹んで複製引用した。「日本書紀」に推古朝遣隋使の航路記録はないので、氏の著作物として作図、公表したと見て批判したのである。
*憶測の堆積~現代地図の弊害
本図は、一見、正確な図示であるが、実は、実現性/正確性に欠けたものであり、大いに誤解を招く。
まず、遣隋使船が、海船で飛鳥を発し、瀬戸内海航行するのは、「画に描いた餅」もいいところで、実行不可能である。確実なのは、「北九州」発であり、古代の多方面に通じていた船路の要であった一大國、壱岐を通過しないのが、意味不明である。
百済沿岸と称する南岸西岸航路も、沖合を通り抜ける意図が不明である。「沿岸」は、百済の陸地であるから上陸しなければならない。とても、百済沿岸を経ている図とは見えない。
図によれば、七世紀当時、抗争中の百済「領海」、次いで新羅「領海」を通り、さらには、高句麗「領海」へ通過し、転進して渤海の河水河口に直行したと見える。また、新羅海港と登州海港を連絡する航路は、新羅の管制下であり、横切るにしろ、新羅の通行許可を必要としたはずである。また、遼東半島先端の高句麗海港は、専ら登州と往来するものであり、当時、隋と紛争を繰り返していた高句麗が、遣隋使の通過を認めるはずがない。
そこから、わざわざ海船で河水河口に取り付いて、そこから河流に乗り入れ遡行する航路など、あるはずがない。素人目にも、つじつまの合わない絵解きである。
そもそも、遣隋使船を発するとき、見通しの立たない海を、不案内なまま、できたての船、新米の船員で行くことはあり得ないと見えるのである。
本図は、現代科学の手を借りて、きれいな絵解きに見えるが、当時にそのような結構な技術はなく、それこそ、一寸先は闇の手探りの旅であり、以上のように、どうにも解けない「疑問」、ここでは「重大な難点」がある。図示されたようなつぎはぎの船旅は無茶である。百済と提携して、一貫して案内して貰うのか、どこかで、百済船に乗り込むのか、いずれにしても、手慣れた百済に任せるのであれば、旅路が不案内でも、国使を送り出せるのである。
なお、どう経由するかは別として、中国上陸は、半島交易船が往来していて、高麗館、新羅館と言った専用設備のある山東半島登州であろう。高麗館、新羅館は、それぞれの商館であり、隔壁で守られ、駐在武官を擁していた、言わば、治外法権なのである。
この海域の海上往来に、裏道、抜け道はあり得ない。
未完
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