新・私の本棚 番外 ブラタモリ 「日本の構造線スペシャル 〜“構造線”が日本にもたらしたものとは?〜」
2022/04/02初回放送 初稿 2022/04/06
◯はじめに
今回の題材は、NHKGの名物番組「ブラタモリ」の後段で「中央構造線」について述べられた際に特に言及はなかったようだが、当ブログの倭人伝道里行程記事番外で、筑紫からの経路で、現代の日田、湯布院から大分を経て三崎半島に「渡海」、「水行」する、多分珍しい解釈と整合すると見えたので、本稿をまとめたのである。
例によって、当記事に確たる証拠はなく格別の効用を期待されても困る。
*宇摩「邪馬台国」説~後漢書頼り
古代ロマンの試み 伊豫国宇摩郡 邪馬台国説 こと始め 序章 1/5 追記
ぱっと見、当ブログの倭人伝解釈に整合しないので、宇摩「投馬国」説と言うべきところを、俗受け狙いで粉飾して、五回連載となったものである。いきなり悪評を買って、「フィクション」に逼塞しているが、一応、それなりの根拠がある推定である。
堅実な議論に戻ると、「投馬国」は「大海」燧灘に面し、西から来た「伊豫路」の終点で、東の峠越えで吉野川沿いに撫養に至る「阿波路」と東北に備讃瀬戸を吉備に渡る「讃岐路」と四国山地鞍部を南に越える「土佐路」の四路が「一に都(すべ)て会」した「一都會」(漢書地理志)と思える。
もともと、古典中国語で言うと、「都」は、ものと人の往来が集まる要所(扇のかなめ)に王の住まう「王城」の地であるから、陳寿「魏志」倭人伝ならぬ范曄「後漢書」の大倭王居処「邪馬臺国」を比定できるはずである。後漢書に、投馬国などが出てこないのは、かなり苦しいが….。
付随論で『伊都国から投馬国へ南水行二十日』は、倭人伝記事の読み方に慣れがいるので、現代人が普通に読むと迷走する。と言うことで、倭人伝談義に迷い込むので、無関心なら飛ばしていただいても結構である。
*「倭人伝」投馬国行程の話
本行程の「従郡至倭」で郡倭途中の渡海を「水行」と呼ぶ新規用語「定義」に続いて行程記事である。范曄「後漢書」郡国志は、洛陽~遼東郡~楽浪郡が街道五千里であり、楽浪郡/帯方郡は端数で無視し、以降、狗邪韓国までは、無論街道行決まっていて「水行」は論外・無法である。
大海中山島への行程であるから、渡海、「水行」を予告しているから、狗邪韓国で海岸に出て、計三度の「渡海」の後、末羅国で上陸し、「陸行」するのは、倭街道が本筋であり、後に、脇道の投馬国行程を加筆したので、誤解を避けるため、倭地の女王国に至る島伝いの区間道里を「周旋」五千里と回顧・総括している。皇帝閲読の際に、巻子は巻戻せないので、工夫しているのである。
投馬国まで途中で渡海があるから、本来『「水行」を含む陸行』を所要日数二十日の「水行」としている。伊都国道標には「南投馬国」と明記されていて、倭街道は、伊都国から南に進み、日田で東に転じて大分の海岸に出たが、投馬国は、脇道であって「至倭」道里には関係無いので、日数表示を略載したのである。
大分から目前の三崎半島は、お馴染みの千里渡海である。渡海に日数はかからないが、行程全体を、総じて「水行」(が特徴である行程)二十日としたのである。と言っても、郡から投馬国に文書で指示を出して、文書による復唱の期限を厳命することはありえないので、ゆるやかなのである。
以下、三崎半島を東に向かい、ひたすら、ここで言う「山一道」を進むという説である。繰り返すが、この行程は脇道なので細かく示さないのである。
何しろ、「水行」が定義外の船舶航行なら、食料、水を積み込んだ長旅で、渡船では耐えられないが、提案の渡海なら、手漕ぎで乗りきれるのである。
と言うことで、言わば、状況証拠で固めたので、脇道論としたのである。
*「山一道」の話
太古、瀬戸内海の海上連絡が通じてない頃、四国中部山中を中央構造線沿いに東西に通じた「山一道」が本稿主旨であり、他に東西交通経路が一切無かったという主張ではないので、一考していただければ幸いである。
今回のブラタモリ「構造線」談義で失望したのは、「中央構造線」が、「フォッサマグナ」の付けたりで終わった点である。今後の「ブラタモリ」で、「このみち」が、「いつか来た道」として追求されるかどうか不明である。
以上
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