新・私の本棚 青松 光晴 「日本古代史の謎~神話の世界から邪馬台国へ」補 2/2
図でわかりやすく解き明かす 日本古代史の謎. Kindle 版
私の見立て ★★★☆☆ 凡庸 アマゾンKINDLE電子ブック 2020/05/17 補足 2022/04/22
*渡海派兵の愚
そういうことで、この時代の「インフラストラクチャー」(古代ローマ起源の概念であり、時代錯誤ではない)の不備、つまり、渡海輸送の隘路を知れば、古田氏紛いの「渡海派兵」発言はないのです。
よって、帯方郡は、倭人救援は勿論、徴兵も考えてなかったし、大量の米の貢納も意図していなかったのです。
*古代算術の叡知
最近話題になる古代の算術教科書「九章算術」では、管内に複数の供給拠点がある時は、輸送距離が短く、人馬を多く要しない拠点から多くを求め、遠隔で人馬を多く要する拠点からは、極力求めないようにする算法問題と解法が示されています。
徴兵問題も同様です。援軍募兵は大量の軍糧が必要な上に、海峡越えの大軍移動は相当な期間を要する上に、移動中の食糧が往復二倍必要です。まして、倭人には、軍馬がないので、渡海徴兵は論外も良いところです。
知らないことは手を尽くして調べるべきです。余談に近い感想に無批判に追従されると、古田氏も浅慮を拡大投影されて不本意でしょう。先賢の論法は無批判に踏襲せず、掘り下げるべきです。
古田流半島内行程図は、子供の落書きのような階段状行程ですが、古田氏ほどの取材力があれば、関係史料と現地地形とに照らして、合理的に具体化できたはずです。
*登頂断念の弁
当ブログ筆者の得意とする道里行程論で意欲を蕩尽しましたが、「倭人伝」ほど誠実に調整された文書を、真っ直ぐに解釈できないようでは、混沌と言いたくなるような国内史料の解釈、考証など、満足に行くはずがないのです。相当の勉強不足と見えます。
本書を埋めていると見える広範な議論も、希薄な受け売りで埋められて見えます。はったり半分でも良いから、自分自身で丁寧に検証した、きっぱりした主張が必要です。
いや、本書のあるいは中核かも知れない国内史料、考古学所見、現地地理などは、当記事筆者の倭人伝専攻宣言の圏外と敬遠した次第です。
*業界の現状 余談
本書著者にご迷惑でしょうが、本書の評価が順当にされないのには、理由があるのです。世の中は、国内史料解釈で「目が点」の諸氏が、「倭人伝」二千字の解釈に失敗して、史料が間違っている、「フェイク」だと声を上げているのです。
また、読者自身の持つ所在地論に反するものは、はなから間違っているという横着な判断が横行して、そうした不動の信念に従わない倭人伝は、「フェイク」視されているのです。いや、釈迦に説法でしょうか。
普遍/不変の法則として、どんな分野でも、新説、新作の九十九㌫は「ジャンク」ですが、全体として実直な著作が、目立ちたがりで、トンデモ主張展開の「ジャンク」記事、「ジャンク」本の紙屑の山に埋もれてしまうのは、もったいない話です。
*まとめ
折角の新刊ですが、「基本資料である倭人伝と従来の解釈を把握し、課題となっている諸事項を取り出し、それぞれに解を与える」と言う大事で、不可欠な手順が見て取れないので、既存諸説の追従としか見えないように見えてしまいます。
また、著者が整然と理解してなければ、図示に意味がないと理解いただきたいのです。もっとも、著者の構想を図示した図がほとんど見当たりません。
(概念)図は、読者の知識、学識次第で解釈が大きく異なるので、学術的主張に於いて論拠とすべきではないのです。図やイメージは、あくまで文書化された論理の図示という補助手段に止めるべきです。古代史分野では、読者の誤解を誘う、いい加減な図(イリュージョン)が多いので、そのように釘を刺しておきます。
追記 基礎の基礎なので、本書が依拠した無法な巷説を明記します。
三国志の「蜀志七、裴松之注所引「張勃呉録」」に、「鴑牛(どぎゅう、*人のあだな)一日三百里を行く」とあり、三国志の時代の標準的な陸行速度は、「1日あたり三百里」だった。
同「史料」は、そもそも、慣用句、風評であり、「三国志」本文でなければ、考証を経た史書記事でなく、まして、魏志でなく別系統の蜀志への付注に過ぎません。裴松之が補充したとされていますが、厳密に史料批判されたものではないので、もともと、陳寿が、一読の上、排除した史料かも知れないし、裴松之も、本件は、陳寿の不備を是正する意図で、補追したものではないと見えるのです。この点、世上、裴注の深意についてね不合理で勝手な憶測が出回っているので、苦言を呈しておきます。
里制は、万人衆知の上で普遍的に施行されていた国の基幹制度であり、周代以来一貫して施行された確固たる制度なので、一片の噂話で証されるべきではありません。つまり、「三国志」の時代の国家「標準」を示すものではないのです。
ついでに言うと、蜀は、公式に漢を名乗っていたように、劉備は、高祖劉邦以来続いていた漢の天子であり、当然、 後漢諸制度を忠実に受け継いだのであり、不法にも後漢を簒奪した逆賊「曹魏」の不法な制度に追従することなど、天にかけて、断じてあり得ないのです。
この種の論考は、無意味であり、さっさと棄却すべきです。
以上
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