新・私の本棚 古代史検証4 飛鳥の覇者 推古朝と斉明朝の時代 追記 2/2
監修 上田正昭 著者 千田 稔 文英堂 2011/4 第一刷
私の見立て ★★★★☆ 考察が潤沢な好著。 2022/04/09 追記 2022/04/11
河水河口部は毎年春先の氾濫で茫々たる泥濘で、海船乗り入れは無謀である。河口部を大きく避けて上陸したとしても、以後、現地川船で河水に乗り入れと見るにしても、なぜ、京師である長安/大興でなく、東都/洛陽に入ったのか。一部に新説が流布しているようだが、一般読者に対して説明不足である。
*合理的な推定~国使の行くべき「道」
以上の難点を見た上で、九州北岸からを旅路を見なおすと、倭人伝以来周知の壱岐、対馬経由の半島への渡海/水行は、便船豊富で「銭」で雇えるし、上陸後は、古来内陸街道が常道、既知であったので、ここも何の迷いもない。方や、壱岐から転じて南岸西岸沖合航路は、以上説いたように、にわか作りに違いない倭船にとって、不案内で、とても行き着けるものではない。
どちらを行くべきか、明白ではないだろうか。特に、出発点が、本当に内陸の飛鳥であれば、海の長旅には、恐怖しか感じなかったと思うのである。
*「新羅道」提言~安全、確実、迅速、低廉な経路
復唱すると、新羅街道「新羅道」は、古来整備されていた官道であり、半島の嶺東を北上して竹嶺で小白山地を越え、下山して西に向かい、西岸海港に出て、以下、渡船で登州に至る長丁場だが、新羅にお任せである。登州上陸以降、内陸街道は、人馬を要する移動も宿泊も「銭」で賄える。但し、このような安全、確実、迅速、低廉な経路も、倭と新羅の関係が険悪になれば、倭遣隋使の新羅国内街道通行が許されなくなる。もちろん、後年の遣唐使の大使節団も、同様に通行できないと思われる。
以上が、本図航路に対する異議であり、反論があればお受けする。
*隋書無視に疑問~台所事情の苦渋か
氏の論議は、信頼すべき隋書を無視しているが、国書交換など、世上の遣隋使論に整合しない「隋書」俀国伝を無視したと思われる。「『日本書紀』の記事が事実とすれば」と書く氏の苦渋を察して、これ以上は深入りしない。
舊唐書、新唐書どころか、古田武彦氏著作も参照していないが、以下同文。
以上
追記:「隋王朝(7世紀)」の無残 (2022/04/11)
ついつい、地図の疎漏の指摘で、精力と注意を削がれて、肝心なことを取りこぼし、書き漏らしたので、仕方なくここに追記するが、実は、一番無残なのは、この表現である。
隋は、一般に581~618年の期間存続したとされていて、別に、七世紀べったりではない。むしろ、七世紀の主要部は、唐にとって代わられているのである。正直に書くなら、七世紀初頭と言うべきだろう。それにしても、隋代、グレゴリオ暦による世紀の数え方が、隋に届いていたと思えないので、「七世紀」の当否を煬帝の霊魂に問い質そうにも、飜訳/通訳の仕様がないのである。史学会には、当時の教養人に理解できない言葉や概念は避けよ、と言う箴言があると聞いている。それにしても、この失態は、一言で言えば、杜撰を越えて無残な誤記である。
さらに言うなら、六百六十年代には、唐の征討軍により百済、高句麗が、相次いで撲滅され、この図は、全く無意味になっている。氏が、どういうつもりで掲載したのかというと、単に、裴世清来訪時の諸国形勢を書きたかっただけではないのだろうか。と言わないと、何も言い訳ができないことになる。不確かな推定を、立派な地図にしてしまったために、アラが目立つのである。
と言うことで、折角、国内古代史について、造詣を深めているのに、同時代の中国、朝鮮方面については、全く素人だと露呈している。それにしても、氏の周囲に、誰も「助言と支持」を与える知恵袋はいなかったのだろうか。出版社の編集担当からの助言もなかったのだろうか。いかに「細瑾」とは言え、重大な「躓き石」があからさまで、勿体ないことである。
この項完
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