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2022年4月22日 (金)

新・私の本棚 青松 光晴 「日本古代史の謎~神話の世界から邪馬台国へ」補 1/2

 図でわかりやすく解き明かす 日本古代史の謎. Kindle 版
私の見立て ★★★☆☆ 凡庸 アマゾンKINDLE電子ブック   2020/05/17  補足 2022/04/22

〇はじめに
 今ひとつの古代史KINDLE本ですが、出版社の編集を経ていないブログ記事集成とあって、散漫な構成が目立ちます。

*路線の謬り
 本書は、国内史書を正当化するために、倭人伝を自陣に引き寄せる展開で、こじつけが入り、歯切れが悪く、言い訳も出て来ます。素人目にも、長老層の好む時代錯誤表現が目に付くので、言わずもがなの警告を流したのです。
 本書のタイトルは、著者の固執を示しているので、そうした「偏見」を掻き立てられたのかも知れません。「邪馬台国」は、笵曄「後漢書」(だけ)に登場する国名ですが、後漢書も、関係する三国志「魏志」も、同国にまつわる「神話」は、一切記録していません。つながりの無い概念を繋いでいるのは、氏の紡ぎ出すロマンであり、それは、史学と呼べるものとは、本来無縁の筈です。
 倭人伝物語は、真っ直ぐに語りたいものです。いや、願望なのですが。

*古田説追従の過誤
 氏も自認しているように、古田氏論説の追従が多いのですが、むしろ、古田氏の軽率さを安易に流用して痛々しいのです。
 その原因の一つは、氏の語彙の中途半端さです。たとえば、古田氏の著書から「奇想天外」の感をえたと言っても、そのような語感は歴史的に不確定で戸惑います。この際、肯定的に捉えるとして、地上のものとは思えない破天荒な新発想と見ても、揶揄に近い語感も考えられます。

 続いて、「理工系の感性」ではついていけないと評しているのは、「出任せで感情的」との酷評でもないでしょうが、熟した言葉で応用するのでなく、初心者の未熟な言葉のまま述べて、その解釈を読者に委ねるのはもったいない話です。ことによると「理工系」きっての英才と自任する著者の自嘲なのかも知れません。
 日本語の語義解釈が甘くては、中国語解釈どころではありません。
 と言う事で、氏の理解が不出来なのに、図示しても意味ないと思います。

〇道里記事の目的
 郡治からの道里と日程を、魏使派遣に先立って報告する理由ですが、要は、帝国統治の根幹である文書通信の所要日数および物資の送付日程を規定するためのものです。文書行政の国家構成では、定期報告の到着は日程厳守ですし、緊急交信は、最速かつ確実でなければなりません。

 帝国中核部の混乱に乗じて各地諸侯が自立して、二世紀を経た大帝国が一気に解体した後漢の国家崩壊を体験した「魏武」曹操は、傘下の諸将、諸侯に、通信日数の制度化と厳守を命じたのです。「厳守」は、厳罰、つまり、馘首に繋がるものです。「馘首」は、単なる、降格、更迭にとどまらず、時として、文字通り断首されるので、命がけなのです。
 従って、新規服属の東夷は、何よりも、最寄りの帝国拠点帯方郡からの連絡日数を申告しなければならないのです。帝国は、倭人領分のような、極めつきの辺境では、道里の測量が不確実な上に、騎馬文書使が、行程を確実に駆け抜けられるかどうかはっきりしないので、文書交信に要する日数を申告させたのです。この点、倭人伝は、倭人は、牛馬を採用していないと明記して、道里から所要日数を求めることができないのを明記しているのです。
 言うまでもないと思うのですが、そのような重大な所要日数を明記しない理由は、思い当たらないのです。総日数である「都水行十日、陸行一月」の区は、そのように受け取るべきです。

*帆船論~未熟な知識と論義
 氏は、帆船の可能性について述べていますが、太古以来、中国東部沿岸に帆船が普及していたのは間違いありません。漕ぎ船だけの交易では、移動できる質量の限界があり、宝貝、珊瑚、玉や貴石などの軽量の貴重品が大半となります。
 また、三国志に登場する千人規模の兵船は、帆船以外あり得ません。
 時代背景を丁寧に調べずに、風評や憶測で語るのは、史書筆者として半人前です。

 韓や倭で帆船を言わないのは、一つには、半島西岸から九州北岸に至る経路の急流や岩礁での操船が、帆船では行き届かず難船必至だからです。外洋帆船は、甲板、船室が伴い、大型化しますから、「鋼鉄製」造船器具が普及していなかったと思われる、当時の韓、倭で造船できなかったと思われます。
 また、丈夫な帆布、帆綱が無ければ、帆が張れません。更に言うなら、小型手漕ぎ船で往来できるような多島海も、数世紀後まで、操船の不自由な大型の帆船は、危険で立ち入れなかったと見えます。帆布、帆綱を含め、破損時の修復ができなければ、難船したその場で死を待つしかありませんから、航行は困難であったのです。(つまり、不可能という意味です。誤解しないように)

 その程度の学習は、先賢諸氏がよほど怠慢でない限り、この一世紀の間に検討済みではありませんか。

                                未完

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