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2022年5月 8日 (日)

私の意見 御覧「所引」出典の考察 東夷伝探し 補充

                           2022/01/25 補充 2022/05/08
〇はじめに
 別記事で、散佚した謝承「後漢書」を論じたとき、同書には「東夷伝」がないと断じたところ、根拠を持って断じたのにも拘わらず、「御覧」に謝承「後漢書」所引に続き「東夷列伝」所引があるのだから、謝承「後漢書」「東夷列伝」と見ることができるとの指摘があり、一旦、引例の史料批判が不適格で、端から棄却すべきと指摘したが、不適格とする参考例をここに追加する。
 いや、自明事項を念押しするのは自信が無いためと曲解され、言い逃れ、言いつくろいが見苦しいなどと、いわれのない非難を浴びた忌まわしい経験があるのだが、懲りずに、以下、念押ししたのである。

*探索の動機
 「太平御覧」で、引用元書名無しに、「東夷伝」/「東夷列伝」と書くのは、どういう事情か知りたかったのである。

《太平御覽》 [北宋] 977年-984年 全千巻 中國哲學書電子化計劃
【壱】《兵部八十六》《甲上》
 又《東夷傳》曰:漢時扶夫王葬用玉甲,常以付玄莬音免郡王死則迎取。公孫淵誅,得之玄莬庫。 [注:扶夫は、扶余の誤記か]

*コメント
 「甲上」では、「玄莬」の「莬」は珍しいので、「発音は「免」(べん)と付注」しているが、実は誤字である。もっとも、肉眼で区別がつくかどうか、視力検査である。往時は、異体字で「菟」「莬」を区別したはずである。
 いや、世の中には、「臺」と「壹」が紛らわしいと主張している方がいるのだが、素人が一見して区別できる、はっきり異なった字を区別できないとしたら、不勉強、不注意としかいいようがない。中国で、教養人、つまり、一人前の文化人と認められるには、数万ある「漢字」は、ほぼ全て、学習済みであり、易々と区別できるものである。
 いや、一部の論者が主張している草書類似の略字体は、判別不能な例も、多数あるようだが、ここで論じているのは、楷書系の正字である。一部、繁体字と称しているが、その本質は、中国文化の根底となっている「正字」であり、簡体字なる略字を論じているのでない。当今、安直な誤解の方が、俗耳に馴染んで、広く通用する傾向にあるので、敢えて、事を荒立てたのである。

 「玄莬」 ならぬ「玄菟」は、漢武帝が朝鮮旧地に設けた漢制「郡」である。日本では「ゲント」としている。混同している例は皆無では無いが、文字の誤解はしていないはずである。
 白川勝師の字典「字通」では、「菟」は、黒いつる草らしい。これまで、素人の軽率で、「黒兎」の意味と速断していたが、よく考えれば、草冠は植物である。加えて、黒ウサギは、大変、大変稀少である。いや、時に勘違いも面白いのである。

 「御覧」編者は、「玄菟郡」を関知せず「述べて作らず」として、所引(メモ書き)のまま書いたようである。もちろん、山成す原本を実際に、逐一確認していたら、こうした誤解は生じないのだが、いくら大広間で作業しても、手の届く範囲における原本は、ごく限られるのである。

 後漢書「東夷列伝」「扶余伝」によると「夫餘國,在玄菟北千里。南與高句驪,東與挹婁,西與鮮卑接,北有弱水。地方二千里,本濊地也。(中略)其王葬用玉匣,漢朝常豫以玉匣付玄菟郡,王死則迎取以葬焉。(中略)永康元年,王夫台將二萬餘人寇玄菟,玄菟太守公孫域擊破之,斬首千餘級。至靈帝熹平三年,復奉章貢獻。夫餘本屬玄菟,獻帝時,其王求屬遼東云。」とある。
 所引は、随分縮約しているものの、結局、范曄「後漢書」が出典と見える。ただし、「玄菟」を書き損なったのか、走り書きにして、区別が付かなくなったか、「玄莬」に変身しているのである。

 当所引は献帝時に及ぶが、遼東公孫氏が、東夷を遮断する前だろう。事務的、機能的な列伝調で、「倭伝」が范曄風随想記事なのと好対照である。後漢公文書に基づいているという事であろう。 つまり「倭伝」は史料の出典が異なるのである。

【貳】《四夷部十一·南蠻六》《黑齒國》
 《山海經》曰:黑齒國,為人黑齒。《東夷傳》曰:倭國東四千餘里有裸國,東南有黑齒國,船行一年始可至也。《異物志》云:西屠染齒,亦以放此也。

*コメント
 本例は、「東夷伝」だから、後漢書でなく魏志が出典だろうか。
 いずれにしろ、「御覧所引」は、しばしば不正確な縮約があり、検証しようにも、原文対応が不明確である。なにしろ、「御覧」は、一気に編纂された物でなく、北斉(六世紀)、唐(七世紀)の三大類書を基礎に、北宋(十世紀)で大成したから、個別の編集経過は不明である。「御覧」千巻の人海戦術による編集の際、所引簡(メモ書き)は大量に発生するので、不備、誤解、錯簡が、発生しても不思議でない。
 このような編纂経過の成果である類書の一条、断片に表れる記事を根拠に、厳密に検討された正史を校勘するのは、無理も良いところで、あくまで、参考の参考にとどめるべきである。

〇まとめ
 本件用例探索の成果は、漠然としているが、冒頭に「東夷列伝」とある用例条は、前条後継でなく別項と見てよいようである。本来、このように不確かな史料は、史料審査で「証拠不十分」として却下すべきものだろう。どうしても、主張したければ、佚文漁りをやめて、信頼できる裏付け史料を用意すべきである。

                               以上

追記:「立証義務」の不履行という怠慢
 本件に関しては、ついつい、謝承「後漢書」に関する大家の論議の「粗相」を「尻拭い」してしまって、手過ぎた失敗と感じている次第である。大体、史書として厳密に編纂されていない、つまり、校閲を重ねていない「太平御覧」であるから、別系列の独立した史料による裏付けなしに、所論の根拠にしてはならない、と言うのが、当然、自明だと信じているのだが、同感していない方もあるようで、謝承「後漢書」所引に続いて書かれている「東夷列伝」が、謝承後漢書の所引だという可能性は、完全に否定はできないのではないかというご意見のようである。
 論議の起点に変えると、そのような断片的で、当てにならない史料を、端から正確な引用と決め付けた大家が、論証義務を怠っていたのであり、その一点で却下すれば良かったのである。つまり、他ならぬ大家が、当該「東夷列伝」記事が、謝承「後漢書」の所引であると立証する重大な義務を怠っているのだから、一介の素人の異議が聞こえたら、それこそ、「太平御覧」を全文検索して、同様な事例全てで、氏の主張を裏付けていると立証する義務があるのである。立証義務は、勝手に放棄してはならないのである。

 以上、丁寧に説明すると、丁寧さがあだになって、揚げ足取りめいた無作法な放言を呼ぶという例であり、本件は、深入りしないで幕とする。
 従って、「コメント」対応は、黙殺とする。

以上

 

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