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2022年6月21日 (火)

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「鉄」で解ける  7/11 改訂版

 『前方後円墳や「倭国大乱」の実像』 PHP新書 2015/10/30
私の見立て ★★☆☆☆ 傷だらけの野心作   2017/12/15 追記公開 2020/07/09 2022/06/21

◯掉尾の観察 承前
陳寿が間違えて卑弥呼を女王と呼称したのです。松本清張もそう語っています。
 陳寿が何をどう間違えたのか不明です。性別の誤認なのでしょうか。
 陳寿は、三国志全体の編者であり、倭人伝だけを著述したわけではないのです。清張氏はどう語ったのか趣旨不明ですが、ここでの引き合いは、当人に不本意でしょう。気の毒なことです。

前作で「陳寿が、宗教家か対馬海峡横断の航海安全を祈禱する巫女を、倭国の『女王』と書いてしまった」と書いたところ、「卑弥呼を冒瀆している」という厳しい非難を受けた。
 氏の『前著』で、陳寿の誤解を受け売りした氏の形容が非難されたとしたら、非難者は単に考えが足りないのです。厳しい非難は、貧しい品性を露呈しています。これは、匿名とは言え、いきなり呼び捨てで公開処刑です。

この人は卑弥呼が祭祀を今も守っているというのでしょうか。天照大神などと同一視しているのでしょうか?歴史と神話は分けて考える必要があります。
 反論は的外れです。卑弥呼は故人であり、現に「祭祀を今も守」る訳はないのです。
 古代人卑弥呼は、鬼道に事えた実在の普通人で、神などではないから、「冒瀆」は的外れと言うべきでしょう。非難者が、史書の意味もわからず、自己の信奉する神に対する冒瀆と判断したら、当人の勝手でありとがめ立てはできないのですが、それがもとに、同時多発テロなど起こされたら、善良な研究者はたまらないと思うのです。と言うことで、ほぼ否定表現づくしです。

第二の理由も、陳寿の間違いに関連します。前作でも触れたことで、『魏志』「倭人伝」に「陸行一月、水行十日」とあるが、九州から近畿まで、当時は歩いては行ける状態ではないのです。
 ここは、「第二に」ではないのでしょうか。(児戯です)
 陳寿の間違いと言いますが、しは、倭人伝道里/行程記事を、大きく誤解しています。同じ穴の狢と兄弟げんかと見えます。
⑴陳寿は、倭人伝を著述したのではなく、現地検証したのでもないのです。
⑵倭人伝の誤記か、著者の誤解か、趣旨不明です。
⑶倭人伝を正確に引用すると、「都(すべて)水行一日陸行一月」であり、所要期間の対象は、帯方郡以来の全日数と自然に読むべきです。
 「九州から近畿まで」歩いては行けないと断言でも、空は飛べないので、寝泊まりして移動したでしょう。と言っても、当行程に賛同してはいないのですが。

山陽道は山ばかりの道なき森林地帯。
 三世紀に「山陽道」は時代錯誤です。一般論として、官道成立のはるか以前とは言え、尾根道か沢道は常にできます。「街道」は未確立としてもです。もちろん、三世紀とは言え、海岸沿いに平地は多々あるはずです。ついでに言うと、山陰道はどうだったか、中央構造線沿いの四国中央道は、どうだったか。要するに、氏は、何も知らないのです。
 それにしても、ここで体言止めとは、乱文です。短気は損気です。

                               未完

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