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2022年6月21日 (火)

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「鉄」で解ける  9/11 改訂版

 『前方後円墳や「倭国大乱」の実像』 PHP新書 2015/10/30
私の見立て ★★☆☆☆ 傷だらけの野心作   2017/12/15 追記公開 2020/07/09 2022/06/21

◯掉尾の観察 承前
三つ目は、邪馬臺国近畿説の有力な証拠とされる箸墓古墳がある大和古墳群の公設市場に、当時鉄は届いていません。
 この構文では、第三にでしょう。(児戯です)「邪馬臺国近畿説の有力な証拠」とは誰の視点か不明です。近畿説論者には迷惑かも知れませんが、肝心の古墳の学術調査が不備で憶測なので、有力な証拠は、皮肉でしょうか。

 因みに、大和(本書は、ヤマトのはず)古墳群の「公設市場」とは、用語の意味不明、かつ重層した時代錯誤で、困ったものです。古墳のてっぺんに、近畿圏住民には懐かしい、生鮮食品の鮮魚や野菜を近隣住民に売りさばく、賑やかな焼け跡商店街、きれいに言うと、「ストリートショッピングモール」があったのでしょうか。

 考古学の正統的な定見では、三世紀前半当時、先駆とされた箸墓は別儀として、後世のヤマト古墳群は、影も形も無かったはずです。
 「当時届いていない」と断言しても、論証は不可能でしょう。届いたら記録が残るとしても、絶対ではないのです。地上で供用されていたら、すぐさま埋蔵されないのは常識です。

そして、ここ纏向の人々はこの時代、海洋民族の倭人ではなく渡来系の人々で、三世紀の大和と吉備を結ぶ航路も渡来系の人々が運営する航路でした。
 「この時代」の「纏向の人々」の由来を言いますが、根拠不明。いつ、視点がヤマト東端の纏向に移ったのか、急変に眩暈がします。とは言え、山中の『「大和」と「吉備」を結ぶ航路』など、実現不可能な航路は運営しようがないのは、明らかです。

『前方後円墳の世界』で広瀬和雄氏も、「卑弥呼の墓に比定できる条件は考古学的には整っていない」という。
 広瀬氏の発言は、「何を」を欠いていて失礼な引用です。同様に「考古学的に整っていない」は乱文ですが、明らかに不正確な引用なので、文責不明です。「広瀬和雄氏」には失礼でしょうが、著書が適切に参照されていないと見え、学問的には、呼び捨て同然の扱いと見えます。

 いずれにしろ、古代史学の常識、鉄則として、年代明確な文献資料と年代明記のない考古学資料の時代合わせは土台無理と思います。「無理」で「道理」を曲げてはならないという事ではないでしょうか。
 きれいに言えば、それは、永遠の課題(不可能な使命)と思います。

 そして、著者はどちらの視点なのか不明です。

                                未完

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