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2022年6月

2022年6月26日 (日)

新・私の本棚 ネット記事「現代人でも至難の業! 卑弥呼の船はなぜ大陸から帰れたのか」 1/4

 「逆転の発想」から見えてくる邪馬台国  播田 安弘
日本史サイエンス〈弐〉邪馬台国、秀吉の朝鮮出兵、日本海海戦の謎を解く 講談社 ブルーバックス

◯はじめに 
 本稿は、ネット記事の紹介であり、このように、堂々と販売促進されている以上、記事自体の批判も許されると考えて率直に批判しました。抜粋の文責はサイト編集部でしょうが、著者了解済みと見て書いています。
 因みに、「なぜ卑弥呼の船は戻れたのか?」は、意味不明の大滑りです。

*不吉な展開~トンデモ本の系譜継承か
 なぜ卑弥呼の船は戻れたのか? 船舶設計のプロフェッショナルであり、このほど『日本史サイエンス〈弐〉』を上梓した播田安弘氏の仮説から、邪馬台国への意外なルートが見えてきました。

 ここで、著者紹介は「船舶設計のプロフェッショナル」と認定していますが、本書で問われる古代木造船設計建造に、どんな知識、経験を保有していることか。
 要するに、現代の大型鉄鋼船舶は強力な推進機関と航海情報を有していて、造船所は、巨大な鉄鋼構造物の力業で蠢いています。そのような「現代人」の古代船「初心者」の「素人考え」が無造作に開陳されていると見えます。

*不吉な課題呈示
「卑弥呼の船」を考える
 弥生時代の日本で邪馬台国が最大の国として発展したのは、女王・卑弥呼が中国大陸と活発に交流し、先進的な文化や技術を導入した……

 氏は、古代史に関して素人と見え、無造作に始めますが、三世紀、「日本」は存在せず、筑紫に限定しても「最大の国」など時代錯誤です。「女王が「中国大陸」と交流」とは、大変お粗末で、人が「大陸」とは交流できません。魏が中原を確保しても、南に漢帝国の継承者と自認の漢(蜀漢)が健在で子供だましです。

 倭から「大陸」に至るには、半島上陸後、街道で帯方郡に至り、郡官吏の同伴で山東半島から洛陽に赴きます。当時、遼東は関係ありません。
 洛陽に到着すると、まず、鴻臚の典客担当は、蕃人を「客」と煽(おだて)てつつ、人前に出られるよう行儀を躾けます。最後、手土産、印綬を与えて、送り返すのですが、辺境で厄介事を起こされて始末するよりは、随分安上がりなのです。
 こうして見ると、「大陸と交流」は安易な思い過ごしと見え、まことに不勉強です。

 「先進」文化を採り入れようにも、まずは、漢字習得と言っても、万に及ぶ文字の発音と字義の記憶で、。文字文書がうっすら理解できるというだけでなく、中国文明の根幹である、四書五経の暗唱、解釈を身につけることが、「文化」の大前提であり、また、幾何(算術計算)習熟も必須です。「技術」は、言葉が通じるのが、実務/徒弟修行を通じて、伝授/習得/技術移管できるものであり、手軽に「導入」などできません。
 また、女王が如何に意欲を持っていても、当時の情勢を眺めると、文化/技術指導者が、先進国での栄達を捨てて、生存も覚束ない倭に移住し、途方も無い労苦を厭わずに指導にあたったとは思えません。
 古代に何か想定しても、時代考証を重ねないと、単なる夢想に終わります。

*関係不明な遺跡紹介
 以下の遺跡に、参考になる出土品が4例あります。(略)
 卑弥呼の時代の船は、基本的には木をくり抜いた丸木舟の両側や前後を覆っただけの構造で、帆はなく、櫂やオールを漕いで進んでいました。海に出るにはかなりの危険をともないましたが、それでも船首と船尾を高くするなどの工夫をして、大陸へと漕ぎ出していったのです。

 「卑弥呼の時代」と出土物の時代比定は、大変不確実と見えます。全て、後世産物でしょう。
 埴輪の土器造形と線刻画は、制作者の主観、再現精度が不明で、担当研究者の推定の確かさも不明です。無根拠に等しい憶測です。
 現代の工業化社会で確定している「機械製図」の規則に従っている「図面」以外の図形情報「イメージ」は、芸術的表現であって、一切、工学的な史料と解釈してはならないというのが、「サイエンス」の大原則と思いますが、考古學のHistorical Scienceは、図形の見かけの印象を絶対視するらしく、困ったものです。まして、孤証を孤証として限定的に評価することもないのです。まことに、非科学的です。

                               未完

新・私の本棚 ネット記事「現代人でも至難の業! 卑弥呼の船はなぜ大陸から帰れたのか」 2/4

 「逆転の発想」から見えてくる邪馬台国  播田 安弘
日本史サイエンス〈弐〉邪馬台国、秀吉の朝鮮出兵、日本海海戦の謎を解く 講談社 ブルーバックス

*承前
 「海に出るにはかなりの危険」と乱調で、一見して不出来な船が濫造される筈はありません。近畿地方遺物の船が玄界灘に居たとは思えません。瀬戸内の船は海峡を越えないのが氏の所見のようですが、乱文です。

現代人による実験航海
(1)野性号プロジェクト
 実験航海と方向が逆です。筑紫を発して対馬海峡を乗り越えた後、半島南岸を西に行き、西岸を北に上って、実験航海としたのです。
 冒険としての評価が、的外れではないでしょうか。先駆者の偉業に対しては、部分的な失敗は失敗として、全体的な「総括」を贈るべきでしょう。
(2)なみはやプロジェクト
 大阪から韓国の釜山まで約700kmの航海実験を計画。
 単なる「計画」倒れだったのでしょうか。意味不明の参照です。
(3)山陰の丸木舟プロジェクト
 釜山から対馬海峡横断に挑戦。
 対馬海峡北岸の韓国に、丸木刳舟しかなかったとは、独善です。
(4)「海王」実験航海
 しかし技術面から評価すると、船の知識があまりない人がほとんどで、埴輪や線刻画を見たままで……建造した例も多いようです。
 「冒険」の目的は経常的経路の検証であり、無理矢理押し通す冒険ではありません。先人が、熱意だけで、無謀無知と決め付けるのは、失礼です。
 本件は、明らかに瀬戸内海の各地寄港であり、対馬海峡越えでなく日本海漂流でもありません。見当違いです。

 四例を「多い」とは不審です。これは「サイエンス」ではありません。

 綿密な検証……を行わなかったために、……問題が山積してしまいました。現代人がつくった船でさえ、そうだったのです。

 無知な現代人は失敗できても、当時、失敗即難破沈没です。不勉強な後世人に古代人を貶める権利はありません。現代に木造船船大工は存在しません。それにしても、先人の偉業を貶めて、何がうれしいのでしょうか。

航海には「生贄」を乗せていた
 卑弥呼の時代にも、成功と失敗が……積み重ねられていき、ついには大陸への航海が可能になったのでしょう……「持衰(じさい)」とする習慣があったことが『魏志倭人伝』に記されています。

 意味不明です。「持衰」は、航海に先立って血祭りで献げられる「生贄」ではありません。

 持衰は航海のあいだ……謹慎させられ……航海が無事に終われば、褒美を与えられます。……失敗すれば、……生贄として殺されるのです。

 どうも、深刻な誤解があるようですが、持衰は、強制的に謹慎させられているのではなく、聖職者として、身を慎んでいるのです。
 それにしても、話題は、卑近な半島渡海でなく、正体不明の中国直行の話です。要は、風聞ですらなく、信ずるに足りないホラ話の可能性が濃厚です。対馬から半島は、ほんの半日の渡し舟であり大層な神頼みはいりません。渡し舟に持衰の小屋を乗せたら、客の乗る場所がありません。つじつまが合わないことばかりですが、この記事は、そういう位置付けで書かれているのです。

 毎度の訂正ですが、当時「航海」という言葉はありません。ちゃんと、史料原文に密着した解釈から出発すべきです。もっとも、難破すれば命を落とすのは、別に、古代だけではありません。

 それでも卑弥呼は大陸に船を出しつづけました。リスクを冒してもやらなければならないという強い意志を感じざるをえません。

 新造船して養成した乗員を乗せ、それが、次々海のモズク、ならぬ藻屑になっても、平然とチャレンジを続けるとは、あり得ないことです。神がかりの君主が失態を重ねれば、更迭、馘首が鉄則です。もっとも、卑弥呼は、そうした独裁君主などではなかったのですから。話全体が見当違いです。そんな途方もないホラ話は、倭人伝のどこにも書かれていません。史料無視も、ほどほどにしてほしいものです。

 現代人が、神がかりも無しに、二千年前のレジェンドの「意志」を感じ取るとは不可解です。もちろん、当時「リスク」などという言葉はありませんでした。全体として、まことに時代錯誤です。
 但し、いくらとんでもないことを書いても、馘首、生贄にはならないので、卑弥呼ボラ話著者稼業は、気楽なものでしょう。
                                未完

新・私の本棚 ネット記事「現代人でも至難の業! 卑弥呼の船はなぜ大陸から帰れたのか」 3/4

 新刊書紹介「逆転の発想」から見えてくる邪馬台国  播田 安弘
日本史サイエンス〈弐〉邪馬台国、秀吉の朝鮮出兵、日本海海戦の謎を解く 講談社 ブルーバックス

*承前
 半島の鉄は、制約無しに入手できたと、魏志東夷伝に書かれています。

 当時、糸魚川(現在の新潟県)では宝石の翡翠(ひすい)が豊富に産出し、これを加工した「勾玉」(まがたま)は、装飾品として権力者に珍重されていました。……卑弥呼は日本の特産品である翡翠を朝鮮半島に輸出し、かわりに鉄を輸入して国づくりを進めたのです。

 翡翠は、普通言う「宝石」ではありません。「豊富」に産出した証拠もありません。翡翠加工は技術の問題でなく、工具と労力の問題です。翡翠加工の文化と言いますが、文字のないところに文化はありません。単に、工人集団の確立した加工技術です。

 「日本人」と、時代錯誤の失言です。当時、「日本」は無いから「日本人」もありません。半島南半の三韓諸国には、統一国家がありませんから、「輸出」は不可能で、当然、鉄の「輸入」も不可能です。カネで買えないのだから、そういうしかないのです。ホラは出放題でしょうか。

 中国では、秦始皇帝の制定した統一通貨、銅銭が豊富に流通していたから、銭を運べば距離を隔てた代金決済は可能でした。耕作を許可された農地から得られた収穫の「納税」は、穀物を納めるのではなく、銭で収めていたので、広大な全土から厖大な銭が集まっていたのです。
 銭がない倭では、穀物現物の納入ですから、牛馬の荷役ができないのと相俟って、広域の収税は絶対に不可能だったのです。
 そうした状勢は、倭人伝に適確に記録されていて、魏帝どころか、帯方郡太守も、倭から大量の収税はできないと教育されていたのです。
 ところが、後世人は、それらの情報を全て無視して巨大な国家を想定し、まことに病膏肓の感じです。

対馬海峡の横断は至難の業
 対馬海流の速さです。筆者は、前著『日本史サイエンス』において、……、対馬海峡の横断をシミュレートしています。図略
 対馬海流は1.5~2ノットの速さで北上しています。……対馬海峡を横断するには、海流の約2倍の船速が必要……です。……実験航海が失敗したのは、こうしたことが計画に十分には組み込まれていなかったからです。
 古代の船で……、対馬海峡を横断……至難の業で……す。

 先人の海流無知は氏の思い込みで、要するに、根拠の無い言いがかりです。
 野性号の「敗因」は、船体過重と見えます。船体の大事を取って船板を厚くしたのでしょう。古代、難所は難所向け構造とし、それ以外は身軽のはずですが、現代人は無思慮です。「半島半周航」という見当違いの行路設定も、敗因に寄与しています。
 三世紀当時、帯方郡から狗邪までは街道/官道が整っていて、道中、道の「駅」が完備し、公的な用途では街道/官道を、騎馬や車輌で往き来する「規則」だったのです。
 遠回りで延着必至、まして、確実な危険が待ち構えているとわかっている違法な経路を、なぜ通ると信じ込んでいるのか、まことに不可解です。公的な往来は、冒険などしないのに決まっているのです。

出雲大社が絶好の目印に
 卑弥呼の船が……釜山を出航して、……対馬海峡を横断し、……対馬海流の流れにまかせる……と船は、山陰に着きます。……天気がよければ……三瓶山が見え、浜田沖では……大山が見えます。

 天気が良くても、雲がなくても水平線付近が霞めば、悪い天気です。
 さらに、そのまま陸伝いに海路を行けば、出雲の方向に高い塔が見えてきます。……海からは絶好の目印となり、出雲まで容易にたどりつく……でしょう。……海からの目印として建てられた可能性もあります。

 「陸伝い」とは陸上を行くことであるから、「海路」は、そういう陸上の「路」なのでしょう。色々。誤解が蔓延っていて、一々訂正もできないのです。
 賑々しく書かれている「塔」は、氏の白日夢にすぎず、何の根拠にもなりません。「確実」「絶好」「容易」と子供じみた言葉と相俟って、「サイエンス」とは言えない夢物語です。一度、顔を洗って出直すべきでしょう。

カルマン渦が導いてくれる
 流れの中に円筒形の障害物を置くと、下流に「カルマン渦」ができ……ます。……対馬からブイを流して、その軌跡を見ると、朝鮮半島東側から下っているリマン海流が、朝鮮半島突端の半円形に影響されて、大きな渦が生じ……この渦に巻き込まれ……れば、約50日でブイは山陰沖に漂着します。
 対馬から流したブイの軌跡(『日本史サイエンス〈弍〉』より)  図略

                                未完

新・私の本棚 ネット記事「現代人でも至難の業! 卑弥呼の船はなぜ大陸から帰れたのか」 4/4

 新刊書紹介「逆転の発想」から見えてくる邪馬台国  播田 安弘
日本史サイエンス〈弐〉邪馬台国、秀吉の朝鮮出兵、日本海海戦の謎を解く 講談社 ブルーバックス

*承前
 海流が激しいのに、霞の果てに向けて漕ぐなど無謀の極みです。図示海流が三世紀に存在した保証はないというのが、「サイエンス」です。
 それにしても、五十日経て漂着すらなら、餓死者の山です。

*不思議な「視点」幻想
邪馬台国の場所を考えるためにも欠かせない視点
 すなわち朝鮮半島から日本に帰るには、……山陰をめざすほうがはるかに楽で、自然に到着することができるのです。……実際に、古代にはこうした山陰沖から日本海を通る「翡翠の道」「鉄の道」というべき交易路があったと考えられています(図「交易路[翡翠の道][鉄の道]」)。図略

 「邪馬台国の場所を考えるためにも欠かせない」の断言ですが、他にどう活用するのか、不思議です。どこが楽で自然か、意味不明です。
 当時、誰も地域全貌を知らず、遠めがねも羅針盤もなく、水や食料もなく、風雨を読めず、どこから、このような仕掛けを見出したか不明です。試行錯誤の果てと言うが、「錯誤」で関係者が死に絶えれば航法確立はありません。
 丹後半島への旅も絶対否定はしませんが、早晩、徒死でしょう。家長が旅で死ねば家族は餓死し船主は破産します。古代人も命は惜しかったのです。
 氏が一顧だにしない九州狗邪往復は、目視可能な対岸との渡海往来で手軽で確実であり、滅多に難破しません。快適で楽な経路が、健全で自然です。
 中国地方北岸の沖合を、寄港しながら、北九州、そして、壱岐、対馬、狗邪に至る交易は「あり得た」ろうが、交易の要諦は、仕入れした物を手早く、仕入れより高く売ることであり、産地は、買い叩かれる定めなのです。
 壱岐は、一大國として、海上交易の中心でしたが、半島交易成長で対馬に権益を奪われたと見えます。対馬は、狗邪に倭館倉庫と船溜まりを有し、飛び地の周辺農地で食料と水を得た倭地としたのは、自然の成り行きです。

*迷走の果て、続く瞑想
交易路[翡翠の道][鉄の道](『日本史サイエンス〈弐〉』より
 つまり、対馬海流は古代の航海にとって、……利用価値の高い海流だったと思われ……邪馬台国……を考えるうえでも、……重要……と思うのです。

 「非常に利用価値の高い海流」とは、意味不明です。「この海流が果たしていた役割はかなり大きかった」と言っても、何が「かなり」なのか。毎度、非科学的で不明史料な言い回しでのらくらしていて、回答のしようがありません。凡人に理解できる平易・明解な言葉で書いて欲しいものです。
 海流は、両方向の下り坂ではありませんから、順行時に尻押しされても、遡行時に莫大な労力を伴うのが自然の理、ただ乗りはできないのです。皇帝は、往還して、ようやく総評できるのです。

◯まとめ~率直な苦言
 粗製される今どきの「新書」ならともかく、伝統と権威のある老舗、講談社ブルーブックスに求められる基準は、相応に高いのです。
 折角のご紹介ですが、本稿で呈示されたホラ話は、仮説論証を必須とする「サイエンス」原則に背いていて、氏の新奇な「視点」による夢想談に過ぎず、編集段階で是正されて然るべきです。

 因みに、純粋史学の「視点」からすると、所詮、「邪馬臺国」は、范曄「後漢書」東夷列伝倭条独自の名付けであり、その原史料で、正体が不明なのに、肝心の史料を放念して、トンデモ本ばりに憶測を重ねて、大倭王居処の所在地を推定するのは、率直なところ時間の無駄です。
 この難詰は、つけるクスリがない類いのものなので、言いっぱなしの捨て台詞にしておきます。
 
                                以上

2022年6月23日 (木)

今日の躓き石 MLBのなれ合い体質反映か NHKBS1の「友好的」発言

                     2022/06/23

 本日の題材は、NHK BS1のメジャーリーグ中継である。現地からの勝利投手インタビューで、「友好的」という発言が、NHK側からあって、ぎょっとした。

 周知のように、先日、本日の勝利投手が、9回に、相手チーム投手のノーヒットノーランを、偉業達成目前にぶち壊した打撃に対して、ネット上で、「思いやりに欠けた、非友好的な行為」と非難が出ていたのと関連しているように聞こえたのである。

 言うまでもなく、私情で手心を加えて、プレーに最善を尽くさないのは、「八百長」につながる敗退行為として厳重に禁止されているし、そのようななれ合いを、スポーツマンとして、プロフェッショナルとして、最も恥ずべき行為として排斥することは、メジャーリーグを含めたプロ競技の接待的、いや絶対的な規範である。(カナ入力誤変換ごめん)
 それが、現地メディアの一部では無視されているのかと、古手のファンは、しろうと、野次馬の無責任な無神経さを歎いているのである。

 まさか、正しかるべき公共放送が、忌まわしい「敗退主義」風潮に汚染されているとは思わなかった。

 今回のような失言は、希に、MLBだけでなく、NPB中継放送の一部解説者の口から漏れることはあるが、NHKの専門職(現地プロデューサーか)から、そのような途方も無い失言が出るとは、まことに情けないと思う。当人は、気軽に言い飛ばしているつもりでも、みんな、ちゃんと聞き取っているのである。

以上

追記:同日夜の「ワース?XMLB」で、キャスターが「友好的」と怒鳴るのを聞いて、げっそりしたのである。
 キャスターは、NHKの言葉を守る「規律」はないのか、NHK自体に「規律」がないのか、いずれにしても、「受信料返せ」である。

 大体、番組タイトルにけったいな名付けをしているのに、視聴者が聞き取れないように末尾を端折る/呑み込む「芸風」にも疑問がある。普通の視聴者にとっては、「ワース?」の有力候補は、「ワースト」である。そうでなく、不出来で耳慣れない「ワースポ」を押しつけたいなら、ちゃんと「ポ」が聞き取れるように発音すべきである。発音の明瞭さは、しゃべくり一本で喰っていくこの稼業の基礎の基礎ではないのだろうか。
 いや、キャスターは、アナウンサーでないので、発音不明瞭でもやっていけるのだろうか。「友好的」事件も、このあたりの子供じみた態度の一環かと思うのである。

 NHKは、正しい言葉の護り人であって欲しいと願って、受信料を払っているのである。

以上

2022年6月21日 (火)

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「鉄」で解ける  1/11 改訂版

 『前方後円墳や「倭国大乱」の実像』 PHP新書 2015/10/30
私の見立て ★★☆☆☆ 傷だらけの野心作   2017/12/15 追記公開 2020/07/09 2022/06/21

*はじめに
 前書で、先頭からのダメ出しで力尽きたので、今回は冒頭と末尾で、集中的にダメ出しすることにしました。先ずは、冒頭部分で、著者の書きぶりと言葉遣いになじもうとしましたが、期待を裏切られて困りました。

*飛躍した進行
 通常、まずは、不吉にもタイトルで提示された『前方後円墳や「倭国大乱」』の解釈に触れて、読者自身の言葉遣いや歴史観になじませるものですが、それは端折られ、もやの中を引き回されている感じです。
 ついでながら、「実像」は誰かが見た外面であり、特に珍重すべきものでないと思います。「実像」を検証しようにも、墳墓の外観は見ることができても抽象概念である「倭国大乱」の外観は、「実像」も「虚像」も、どのようにしたら見ることができるのか不明です。空疎な大言壮語は控えたいものです。

*考古学の悪用
 また、これも珍しくありませんが、考古学上の編年を、自己流で西暦年代に結びつけ、以後、暦年で書くということのようです。それは、著者の都合であって学界の本意ではないのですが、考古学成果は、一部を援用するだけで、背景の考察不足にお構いなしです。かくして、不確定な根拠を読者に知らせずして、延々と独演会が展開されます。
 全書の方針を明示しているという点ではいさぎよいかも知れありませんが、自分の所見を押しつけると宣言されては、読者も困惑するのです。

*行方不明
 漢武帝の朝鮮侵攻談義で、自身の言葉で事態を語りつつ、司馬遷「史記」を援用しますが、語られている根拠が不明です。前提として、「西方の匈奴」と言いきっていますが、普通は北方です。九十度方位感覚がずれている乱文です。

*帆船綺譚
 西域から匈奴排除の結果、西方交易が通じ、帆船技術が入ったと言うために方位を曲げたようです。実際は、どこからの新技術なのか。通常、帆船は南海起源と見えますが、なぜ、頭から否定するのか不明です。また、中原には、海がなく、河水の水運は頻発する氾濫の影響で限られていた時代に、なぜ、帆船技術が珍重されたか、意図不明です。「南船北馬」と言い慣わされているように、帆船が必要なのは、長江、漢水の話です。
 また、中国文明が、西域からの文物の恩恵を受けていたのは、商(殷)代の戦車車輪車幅の技術導入の例もあって、別に目新しいものではありません。ついでに言うと、漢代の匈奴の猛威は、結構新しい現象で、秦代以前、北方は、後に月氏と呼ばれた部族が栄えていて、匈奴は、下っ端にすぎなかったのです。

 これほど異質な技術が、帆船を必要としない漢都長安に届いて、それが、瞬く間に伝達し、山東に帆船造船が起こったと言うようですが、せいぜい数名と思われる異国の技術者が多少の資料を持参したとは言え、言葉も働きぶりも異なる異境の地に、斬新な造船業を確立するのに、どれほどの期間がかかるのか、考慮していないようです。漢都長安は、海を遠く離れた陸封の池で、海船など想像もしたことのない人々の世界なのです。
 そして、山東半島は、春秋戦国の大国齊の故地であり、経済力から見て、齊の勢力が、自力で造船技術を導入したと見る方が、随分合理的です。あるいは、西域から到来した技術者は、長江流域で成長して流下し、後年の広東に花開いた造船技術が、北上したのかも知れません。
 そう考える方が、自然な成り行きと見えます。

 正直、帆船の造船技術が導入され、最初の一隻が進水するのに十五年、船台を並べて複数の帆船を並行して造船できるようになるのに、更に十五年と見て、最初の一隻で操船を修行したとしても、大挙水軍を進められるのには、大概三十年はかかると見られるのです。途中で、技術者も、治世者も代替わりしていることでしょう。そして、戦国時代、南海で帆船は、既に繁栄していたと見えるのです。そんな悠長なことではなく、とうに、定着していた技術と見えるのです。

 大規模な技術の移管/習得には、大変な時間/年数がかかるので、ずいぶん太古から、帆船は到来していたはずです。

                               未完

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「鉄」で解ける  2/11 改訂版

 『前方後円墳や「倭国大乱」の実像』 PHP新書 2015/10/30
私の見立て ★★☆☆☆ 傷だらけの野心作   2017/12/15 追記公開 2020/07/09 2022/06/21

*時間要素
 時間要素は、当方の推定ですが複雑高度な新技術の定着には、人の育成が必須なので大変な人数、年数がかかると見ます。造船業確立は、多様な材料をどこに求めるかに始まり安全航行までの技術を全て確立し、初めて、帆船艦隊で兵士、馬匹、物資を運搬できるのです。
 端的に言って、氏の提言は、不出来な画餅と思います。そのような画期的事項が、何の記録も遺さずに消え失せるものではないのです。

*武帝の心奥
 この部分で驚くのは、『「武帝は鉄を得るため侵攻した」と司馬遷は書いていない』なる発言です。司馬遷は知っていたが書かなかったとは、とんでもない言いがかりです。書いたことを論評されるのならともかく、武帝の実力行使で、意に反して削除された「武帝紀」を、サカナにこき下ろされては、たまったものではないのです。

*異例の人物描写
 事のついでに、著者の渾身の武帝像が描かれます。武帝は、前に机を置いて、はかりごとを巡らしたと言いますが、戦略参謀はいなかったのでしょうか。架空人格「武帝」の意見や欲望が描かれますが、根拠史料はあるのでしょうか。
 武帝が、「勝っても領土も資源も得られない」匈奴との対決で、北方から西北方に広がる長大な戦線に大兵力と巨額の財を投じたことや匈奴に勝つために西方に駿馬を求めたことは、正史で確認できますが、ここで著者の説くような趣旨で朝鮮侵攻を画策・実行したことは、示唆すらないように思います。まことに乱文の極みです。
 ちなみに、武帝以前、国家は、全国からの税収が巨額で、税として納入された大量の銅銭の保管に苦労していたほどですが、武帝知性の途中でも税収が枯渇し、本来、皇帝の私財であった塩鉄専売の国庫移管などの財政改革を余儀なくされたのです。つまり、匈奴討伐のかなりの部分は、武帝の私財で賄われたと見えます。

*鉄資源の幻想
 著者は、半島鉄資源を絶大と武帝が判断したと見ているようですが、朝鮮産鉄は、小規模にすぎず、武帝の関心外だったのです。実際、朝鮮各地に郡を置いたとの記事を真に受けるとして、各郡は、所領から必要な税収を得ることができず、太守の高額の粟(給与)を賄うのに苦しみ、まして、軍兵を維持することもできず、早々に撤収したのです。
 はるか後世の魏志韓伝は、当時、弁辰で「鉄が取れたので、周辺の民族集団がやって来て、鉄を持ち帰っていた。楽浪、帯方郡にも、鉄は届けられていた」と簡単に書くだけで、そのような物々しい状態は一切窺うことができないのです。つまり、帯方郡の財政を支えるのに、遥かに及ばないものだったの、郡は手を出さなかったのです。
 帯方郡は、当然の貢納として産鉄を受け取っていただけであり、郡の鉱山として管理はしていても、所詮は小事として、各集団の取り分は、放置していたのです。早い話が、所定の産鉄を送り届けていれば、お下がりで、鉄を持ち帰るのは、黙認していたのです。規制しようと思えば、軍兵と官吏を常駐させる必要があり、それは、とても賄いきれなかったのです。言うまでもないのですが、郡は、魏制で銅銭を流通していたので、鉄材を通貨扱いする必要はなかったのです。

*脳内世界の成り行き
 以上、著者の脳内には、物々しい歴史ドラマが創作され、独自の世界が、堅固に構築され、脳内では脳内なりに、主観的に辻褄が合っているのでしょうが、史料にその根拠を求めても無駄でしょう。
 かくて、読者は、著者の口説に翻弄されて、話の筋道を捉えられないまま、物語終章に倒れ込むのです。

                               未完

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「鉄」で解ける  3/11  改訂版

 『前方後円墳や「倭国大乱」の実像』 PHP新書 2015/10/30
私の見立て ★★☆☆☆ 傷だらけの野心作   2017/12/15 追記公開 2020/07/09 2022/06/21

*夢幻の余言
 事のついでに、「この戦争以降、中国は周辺諸国にとって常に侵略を行う恐ろしい国となり、それは現在のウイグルや南沙諸島でも続いています。」と書き飛ばしていますが、本書の論考と関係ないゴミで乱文です。中国にしたら、「日本」から言われたくないことでしょう。少なくとも、中国の大局観からすると、それぞれ、実績のある所領の確保/回復であり、他国を侵略攻撃しているものではいと言うはずです。それが正しいかどうかと、押し問答するのは、圏外としたいものです。

 以来二千年間の「中国」は、時に統一王朝に支配され、時に、諸国分立し、時には、異民族が異なった世界観を持ち込み、一息に語れるものでなく、その時々の支配者がどう考えたか、著者の知ったことではないと思うのです。
 おそらく、巨大な超時代知性体と化した著者の脳内には、「中国」という一つの人格を持った「鬼」が棲息し、「恐ろしい」怪物と見えているのでしょうが、それは、読者の知ったことではないのです。

 この手のゴミ見解は、著者だけでなく、多くの「古代史」論者に共通の宿痾ですが、くれぐれも、世間に蔓延させないで欲しいものです。

*無法な紹介
 最後に、とどめを刺すように、「東アジアの古代鉄研究の第一人者である愛媛大学」の研究者が、肩書きも、学位も、参照先も示さないまま引き合いに出されていますが、これは、愛媛大学に対して非礼、非常識で、この部分の論考の締めとして無効です。とにかく、お粗末な乱文です。(注記はないし、巻末参照文献にも見当たらないように見えます)
 国立大学である愛媛大学に対して、「東アジアの古代鉄研究の第一人者」などと勝手に権威付けして、勝手に同意を求めていますが、そのような第一人者は、著者の幻想の産物です。

*陥穽連鎖
 以上のように、冒頭に近いこの部分に、著者の論考の問題点が軒並み露呈しています。これらは、躓き石などとしゃれのめせる程度ではなく、底なしの陥穽となっているようです。人によっては、取り返しの付かない、地雷並みの破壊力となるかも知れないのです。怖れるべきは、乱文です。

*一旦の結論
 本書は、新書であるからには、読者に罠を仕掛けるのではなく、地ならしした王道を用意して欲しいものです。
 特に、出版社で内容を吟味されて、信用のおけるはずの商用出版物に、史料に根拠のない憶測・所見が横行しているのは、独学の参考資料として、まことに剣呑です。

 このような多数の問題点を持つ書籍であることを知った上で、以下読み進むかどうかは、読者の自由です。ここに書いているから、正統な論考とは言い切れない、との理解と言うか覚悟が必要です。

                               未完

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「鉄」で解ける  4/11 改訂版

 『前方後円墳や「倭国大乱」の実像』 PHP新書 2015/10/30
私の見立て ★★☆☆☆ 傷だらけの野心作   2017/12/15 追記公開 2020/07/09

*読み飛ばしの弁
 途中の膨大な論述は、ここまでの「味見」からして、大勢として信頼できないものと見られるし、一々批判しては、諸兄姉の読書の楽しみを盗むので、路なき地帯は端折って末尾に飛びます。

◯掉尾の観察
 ここからは、原文と当方の意見を並記するので、どこがどうだめと見られたか見て取って頂ければ幸いです。

 言うまでもないでしょうが、以下のダメ出しの視点に権威がある訳でないし、商用出版物を排斥する論議でもないので、軽いものと考えていただければ幸いです。要は、当方のひけらかしのダシにしているのです。

八•九「邪馬臺国論争」――もう神学論争はやめよう
 小見出しが、意味不明です。「神学論争」の比喩の典拠が何であって、どうして、真剣な史学「論争」が、そこまで揶揄されるのか解き明かされないのです。これは、文章作法のイロハを知らない、ド素人の書き方です。乱文は、文章を書いて金を獲るものの業ではないのです。

「邪馬臺国はどこか?」。『日本書紀』には、卑弥呼を神功皇后に比定する記述が存在します。『日本書紀』の神功皇后摂政三九年の条に「是年、魏志にいわく、明帝の景初二年の六月、倭の女王、大夫難升米等を遣わして、郡に詣りて、天子に詣らむ……」とあります。

 衆知の書紀記事を「誤引用」するのはどういう意味か、理解困難です。信じられないという言葉通りです。書紀の記事は、「明帝景初三年」と書いていて、それは、中国史書の原則を外れているので、原史料「倭人伝」の正確な引用ではない。と言うのが、学術的な判定なのです。著者は、それを知らないとしても、書紀を確認すれば、容易にわかることです。

 私見ですが、倭国遣使の帯方郡参上が、景初二年六月では、畿内説の根底が崩れるので、この不確かな後世資料を根拠に、倭人伝原記事は景初三年であった証拠と言い立てているのです。
 いわば命がけの必争論点で誤引用とは、著者の権威も何もかも喪失です。

*盗まれた批判
 引き続く書紀記事の背景として、景初三年元旦に、皇帝曹叡が夭逝して明帝と諡され、少帝曹芳(斉王)が当日直ちに即位し、但し、改元はその翌年年頭であり、景初四年となるはずだった年が、新帝の正始元年となったのです。そのため、景初三年は、皇帝の冠の付けられないただの「景初三年」と表記されるのです。

 よって、「明帝景初三年」は、先帝に対しても新帝に対しても、不敬極まりないので、(中国)史官は、絶対書かないし、従って、陳寿も、三国志魏書に、絶対に書かないのです。従って、魏志引用で「明帝景初三年」とは、空耳ならぬ錯視です。
 つまり、書紀が「魏志云」と書いても、「明帝景初三年」記事は、疑問の余地なく魏志の正当な引用でなくて今日風フェイク記事であり、史料としての書紀不信の否定しがたい根拠です。
 それが、氏によって、「明帝景初二年」と改訂/改竄されていては、ダメ出しができず、不満たらたらなのです。

                               未完

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「鉄」で解ける  5/11 改訂版

 『前方後円墳や「倭国大乱」の実像』 PHP新書 2015/10/30
私の見立て ★★☆☆☆ 傷だらけの野心作   2017/12/15 追記公開 2020/07/09 2022/06/21

◯掉尾の観察 承前
 この文章は明らかにトリックです。ここでわざわざ卑弥呼と書かないで「倭の女王」とし、「卑弥呼は神功皇后である」と宣言しています。
 いや、ここで壹與遣使も「倭の女王」なので、単純に女王「宣言」できず、仕方なく改竄演出したのでしょう。書紀編纂者の苦肉策を察すべきです。
 「この文章」=「トリック」とは、時代・概念錯誤のダブルトリックです。カタカナ言葉では「フェイク」ですが、時代錯誤で意味の定着していないカタカナ語は、真剣な議論には避けたいものです。総じて乱文です。

 舎人親王の邪馬臺国をヤマトにしたいという意図が見え透いています。
 書いたご当人には、目前に赤々と輝くイメージが見え透いているとしても、読者には何のことか理解できないのです。この語順では、舎人親王が邪馬臺国の男王と取れます。明解に書く努力は怠るべきではないのです。また、一個人が、実在しなかった「邪馬臺国」を湯的に変身させるなど、とても、できないでしょう。かくなくとも、後世人が見透かせる「意図」とは、不可解です。

 卑弥呼は日本海ならば航海安全のシャーマン、ヤマトならば鏡の祈禱師でしょう。ですが、ヤマトの鏡の時代は一〇〇年ほどでブームは終わっています。
 古代に「ブーム」とは、時代錯誤で場違いで滑稽です。ヤマト(ここまでは、維持されている)の鏡の時代が、いつまでなのか、なぜ年代固定できるのか不明です。それにしても、卑弥呼=日本海とは、とんでもない乱文です。卑弥呼が化体すべき聖職も、根拠不明の妄想図と見えます。

 そうしたことから見ても卑弥呼は、西日本の海洋都市国家の共通の利益である「鉄の安全輸送」に貢献した巫女(シャーマン)であると考えています。
 「そうしたこと」とは、対象不明であり、安易な括りです。「西日本の海洋都市国家の共通の利益である「鉄の安全輸送」に貢献」とは、ひと息で言えない巨大概念ですが、どうしてそう言わないと気が済まないのでしょうか。

 巫女(シャーマン)と、ここで言い換えたのは文意錯乱のもとで、不適切でしょう。卑弥呼は、「シャーマン」など知らなかったから、勝手な枠はめで迷惑だし、輸送安全に「貢献」とは、供物を差し出した意味か、とにかく用語が混乱しています。先ほど、シャーマン=祈禱師と明記しているのを、コトンと失念されたようです。

 天気と航海安全の祈禱、働いている場所は渡海すべき対馬海峡付近の日本海だったでしょう。その時代、航海安全の祈禱は国家事業です。
 卑弥呼は、現在形で、日本海の海の中で働く巫女なのでしょうか。(玄界灘や対馬海峡は、日本海と言い切れないのですが、付近はどのあたりまでか)それにしても、「祈禱、働いている」場所とは、意味の錯乱です。

 毎度のダメ出しですが、当時、「国家」はなかったのです。「渡海すべき」と言い切っていますが、なぜ、卑弥呼が渡海しなければならないのか不審です。総じて、結論部にしては、大いに乱文です。

                               未完

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 『前方後円墳や「倭国大乱」の実像』 PHP新書 2015/10/30
私の見立て ★★☆☆☆ 傷だらけの野心作   2017/12/15 追記公開 2020/07/09 2022/06/21

◯掉尾の観察 承前
卑弥呼の時代の倭国の祈禱の広がりは、卜骨遺構、港湾遺跡を繫げることで説明できます。
 一人芝居の自己陶酔でなく、素人にも明快な説明をいただきたいのです。このあたりの主張を裏付け、時代を特定でき、明確な文字資料は皆無です。

朝鮮半島の伽耶、釜山から壱岐の原の辻遺跡、妻木晩田あたりまで卜骨があります。
 文型から、壱岐の原の妻木晩田と読めますが、意味不明、初耳です。妻木晩田「遺跡」でないのはなぜか。妻木晩田遺跡は米子であり壱岐でないのです。「卜骨がある」とは、出土の意味か。意図不明です。そりゃの遺物として出土したのは事実でしょうが。

丹後あたりまでの日本海沿岸の小さな都市国家の船が集まり、彼女の采配で対馬海峡を団体で安全航海をおこない、鉄を得たと考えます。
 なぜ、団体航海したのか不思議です。卑弥呼が、どうやって広範囲に采配を揮えたのか、物理的にも精神的にも不審です。結局、安全保証などないのです。
 そして、衆知の如く、對海~狗邪の渡海は、当時の船と漕ぎ手では、生やさしいものではないです。
 せめて、各国が集まりやすい壱岐の島で集合したとは言えないのでしょうか。

まず、卑弥呼の倭国は九州から日本海です。決して大和ではないのです。
 九州全島と日本海全体とは、法外な大国です。そして、なぜか大和にこだわるのが、不審です。

私がそう考える理由をさらに三つ述べます。第一に当時のアジアの世界情勢や『倭人伝』の内容を考えても、いわゆる「国家」はありませんでした。
 「アジア」と言って「東アジア」と言わない趣旨が不明ですですが、「東アジア」すら時代錯誤です。単に、
 ここに来て、「いわゆる「国家」」も意味不明で誤読と思うだけです。集落の集合は「国家」といえないのです。ムラと国家の違いは何か、都市国家、集落は国家か。「大きな国」の要件は何か。趣旨不明です。

点である弥生集落が全国に拡がっていますが、朝貢している卑弥呼の国は一握りに過ぎないのです。
国家を代表しているともいえないのです。
 「卑弥呼の国」は、卑弥呼の私物として、倭人伝の三十国でしょうか。「一握り」は五国程度でしょうか、国は国連のように数で数えて、大小は考慮しないのでしょうか。「点である」集落とは、何戸までを指して言うのでしょうか。「全国」は、どんな範囲なのでしょうか。

 自説の論拠展開で、否定表現連発は、焦点が定まらず、論考として大変、大変、大変拙劣です

                               未完

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私の見立て ★★☆☆☆ 傷だらけの野心作   2017/12/15 追記公開 2020/07/09 2022/06/21

◯掉尾の観察 承前
陳寿が間違えて卑弥呼を女王と呼称したのです。松本清張もそう語っています。
 陳寿が何をどう間違えたのか不明です。性別の誤認なのでしょうか。
 陳寿は、三国志全体の編者であり、倭人伝だけを著述したわけではないのです。清張氏はどう語ったのか趣旨不明ですが、ここでの引き合いは、当人に不本意でしょう。気の毒なことです。

前作で「陳寿が、宗教家か対馬海峡横断の航海安全を祈禱する巫女を、倭国の『女王』と書いてしまった」と書いたところ、「卑弥呼を冒瀆している」という厳しい非難を受けた。
 氏の『前著』で、陳寿の誤解を受け売りした氏の形容が非難されたとしたら、非難者は単に考えが足りないのです。厳しい非難は、貧しい品性を露呈しています。これは、匿名とは言え、いきなり呼び捨てで公開処刑です。

この人は卑弥呼が祭祀を今も守っているというのでしょうか。天照大神などと同一視しているのでしょうか?歴史と神話は分けて考える必要があります。
 反論は的外れです。卑弥呼は故人であり、現に「祭祀を今も守」る訳はないのです。
 古代人卑弥呼は、鬼道に事えた実在の普通人で、神などではないから、「冒瀆」は的外れと言うべきでしょう。非難者が、史書の意味もわからず、自己の信奉する神に対する冒瀆と判断したら、当人の勝手でありとがめ立てはできないのですが、それがもとに、同時多発テロなど起こされたら、善良な研究者はたまらないと思うのです。と言うことで、ほぼ否定表現づくしです。

第二の理由も、陳寿の間違いに関連します。前作でも触れたことで、『魏志』「倭人伝」に「陸行一月、水行十日」とあるが、九州から近畿まで、当時は歩いては行ける状態ではないのです。
 ここは、「第二に」ではないのでしょうか。(児戯です)
 陳寿の間違いと言いますが、しは、倭人伝道里/行程記事を、大きく誤解しています。同じ穴の狢と兄弟げんかと見えます。
⑴陳寿は、倭人伝を著述したのではなく、現地検証したのでもないのです。
⑵倭人伝の誤記か、著者の誤解か、趣旨不明です。
⑶倭人伝を正確に引用すると、「都(すべて)水行一日陸行一月」であり、所要期間の対象は、帯方郡以来の全日数と自然に読むべきです。
 「九州から近畿まで」歩いては行けないと断言でも、空は飛べないので、寝泊まりして移動したでしょう。と言っても、当行程に賛同してはいないのですが。

山陽道は山ばかりの道なき森林地帯。
 三世紀に「山陽道」は時代錯誤です。一般論として、官道成立のはるか以前とは言え、尾根道か沢道は常にできます。「街道」は未確立としてもです。もちろん、三世紀とは言え、海岸沿いに平地は多々あるはずです。ついでに言うと、山陰道はどうだったか、中央構造線沿いの四国中央道は、どうだったか。要するに、氏は、何も知らないのです。
 それにしても、ここで体言止めとは、乱文です。短気は損気です。

                               未完

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◯掉尾の観察 承前
宿や馬を準備した駅制がないとそれだけの距離の旅はできないのです。
 全くお説の通り。滅多に聞けない賢察であり、絶賛です。と褒めましたが、それだけがどれだけなのか。宿舎なしに数日以上移動できないのは自明です。
 馬は、三世紀に輸送手段として普及していなかったようだし、どのみち蹄鉄(Horse shoe)なしの裸足では、駄馬は荷駄を背負って移動できないし、乗り馬も長旅できないから、馬がいてもいなくても大勢に影響ないのです。それとも、江戸時代のように、駅ごとに、馬に草鞋を履かせていたというのでしょうか。

しかし、山陰道は、沿岸を船で移動するので「水行一月、陸行十日」です。
 根拠不明の妄想と見えます。なぜ、山陰側は沿岸(すなわち陸上部)の道を行けるのに「山陽道」が山中なのは、なぜか。後世、街道ができたのではないのか。何が楽しくて、わざわざ道なき道を行くのか。不可解です。もちろん、山陰道と言っておいて、船に頼るのは、とんでもない勘違いでしょう。
 と言うものの、山陰沿岸の山陰道が、滑らかで通行容易だったはずはないのです。

間違いにすれば、すべて、条件が違ってくる。
 そりゃそうです。これまでの「神学論争」の大半は、これです。誰が何を根拠に間違いというのかです。 自分の意見に合わせて、史料を撓めて、望みの形にするのは、神学論争でもままあるようです。

なお、本書で縷々説明したような理由で卑弥呼の特使難升米は当時の瀬戸内海は通れないし、通っていません。
 論拠の部分を飛ばして読んでいるのは申し訳けありませんが、お言葉通り説明されているとしても、「通れなければ通りようがないから通らない」のは自明です。行数稼ぎの冗語は、ご勘弁いただきたいのです。一貫航行できなかったとしてもそれが全てではないはずです。

つまり、邪馬臺国が近畿に存在すること自体が物理的に無理(不可能)なのです。

 「自体」とは、言っている意味がわからないのです。冗語ですか。
 「物理的に無理」と言いますが、物理法則に違反していない限り、無理に見えても、成せば為るのではないでしょうか。しばしば、「無理」を通して「道理」を克服するのが歴史ではないでしょうか。と言うようなつまらない反論が出ないように、普通の日本語で、「女王国は、近畿/畿内に存在した可能性はない。」とでも言ったら良いのでは無いでしょうか。要するに、北九州の伊都国から、畿内まで、二十日どころか、一ヵ月かけても、到達する手段がないのです。

 ある集団の存在というか生存は、自然の摂理に逆らっても、相当の期間、持続できるのです。つまり、この部分は「負け犬の遠吠え」と見られるだけです。

 と言うことで、この部分も、根拠不明の否定表現づくしです。

                               未完

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◯掉尾の観察 承前
三つ目は、邪馬臺国近畿説の有力な証拠とされる箸墓古墳がある大和古墳群の公設市場に、当時鉄は届いていません。
 この構文では、第三にでしょう。(児戯です)「邪馬臺国近畿説の有力な証拠」とは誰の視点か不明です。近畿説論者には迷惑かも知れませんが、肝心の古墳の学術調査が不備で憶測なので、有力な証拠は、皮肉でしょうか。

 因みに、大和(本書は、ヤマトのはず)古墳群の「公設市場」とは、用語の意味不明、かつ重層した時代錯誤で、困ったものです。古墳のてっぺんに、近畿圏住民には懐かしい、生鮮食品の鮮魚や野菜を近隣住民に売りさばく、賑やかな焼け跡商店街、きれいに言うと、「ストリートショッピングモール」があったのでしょうか。

 考古学の正統的な定見では、三世紀前半当時、先駆とされた箸墓は別儀として、後世のヤマト古墳群は、影も形も無かったはずです。
 「当時届いていない」と断言しても、論証は不可能でしょう。届いたら記録が残るとしても、絶対ではないのです。地上で供用されていたら、すぐさま埋蔵されないのは常識です。

そして、ここ纏向の人々はこの時代、海洋民族の倭人ではなく渡来系の人々で、三世紀の大和と吉備を結ぶ航路も渡来系の人々が運営する航路でした。
 「この時代」の「纏向の人々」の由来を言いますが、根拠不明。いつ、視点がヤマト東端の纏向に移ったのか、急変に眩暈がします。とは言え、山中の『「大和」と「吉備」を結ぶ航路』など、実現不可能な航路は運営しようがないのは、明らかです。

『前方後円墳の世界』で広瀬和雄氏も、「卑弥呼の墓に比定できる条件は考古学的には整っていない」という。
 広瀬氏の発言は、「何を」を欠いていて失礼な引用です。同様に「考古学的に整っていない」は乱文ですが、明らかに不正確な引用なので、文責不明です。「広瀬和雄氏」には失礼でしょうが、著書が適切に参照されていないと見え、学問的には、呼び捨て同然の扱いと見えます。

 いずれにしろ、古代史学の常識、鉄則として、年代明確な文献資料と年代明記のない考古学資料の時代合わせは土台無理と思います。「無理」で「道理」を曲げてはならないという事ではないでしょうか。
 きれいに言えば、それは、永遠の課題(不可能な使命)と思います。

 そして、著者はどちらの視点なのか不明です。

                                未完

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「鉄」で解ける 10/11 改訂版

 『前方後円墳や「倭国大乱」の実像』 PHP新書 2015/10/30
私の見立て ★★☆☆☆ 傷だらけの野心作   2017/12/15 追記公開 2020/07/09 2022/06/21

◯掉尾の観察 承前
そして、海上輸送を考えても、前作で述べたが大和川を下って亀の瀬で船を乗り換え、古市あたりで外洋船に乗り換えるというのは難があり、とても洛陽に船団を送れるレベルではなかったと考えます。
 これは、広瀬氏の意見の引用の続きなのでしょうか。

 「古市あたり」は古墳群界隈の「古市」として、外洋船が浅いはずの大和川を遡上できたとは思えないのです。定説では、柏原辺りに船着き場があり、船荷の積み替えをしていたと確認されていますが、ここで外洋船に乗り換えるのが、洛陽まで一貫航行の必須条件とは、無理な思い込みです。玄界灘や狗邪で乗り換えれば良いのです。大抵は、あり合わせの航路を乗り繋いでいたはずです。

*もったいない蛇足
日本の古代史研究は科学的でないのです。中国や韓国の歴史認識が正しいものとは到底言えありませんが、日本もおかしいのです。国際的にも歴史の客観性がより求められよう。
 貴重な託宣ですがわかっている人は、とうの昔からわかっているし、わかっていない人は聞き流すだけです。わかっていても採用できない人は、無視するので、ここで言ってもしょうがないので、字数、行数の無駄です。
 ちなみに、国内では、史学は、文学部の管轄であり、安直に、自然科学の手法は適用できないことが認識されています。中国や韓国の歴史認識を一刀両断した後、「日本もおかしい」とは、ずっこけます。卑俗な突っ込みで言えば、「おかしけりゃ笑え」です。大事なところですから、「日本の歴史認識も正しいものと言えない。」と字数を費やすべきです。それにしても、「歴史認識」と言い捨てにせず、具体的に述べなければ、誰一人貴見に同意も反対もできないのです。
 いやはや、短気は損気、もったいない話です。そして、そのような壮大な断言が、本書が志した学問的な論証とどう関わるのか、不思議です。

五•五で前述した三島規裕氏は「今、全国の神社の大部分は過疎化の中で浮沈の瀬戸際にあります。今、何とかしないと神々の世界は大変になる。それには古き日本の神社に存在するコミュニティを救うことが活性化につながる」と語った。
私は、そのためには、文化庁や県がしっかりとした歴史観を持ち、中央史観の「ヤマトの古代史の収奪」という偏った現状を見直すとともに、国指定、県指定の文化財をあり方を再検討し、地方の歴史に光を当て予算を配分することが焦眉の急と考えます。古代の遺産が残る地方の神社、寺社仏閣で光るモノが見つかれば、地域のコミュニティの崩壊を食い止めるだけでなく、良い環境ができ、やがては観光振興にも役立つし、地元の日本型の伝統産業を支えることにもなろう。
 ご立派な大演説ですが、意気込みはともかく、言葉がよくわからないし、だからどうした、というのが典型的な受け止めではないでしょうか。
 国の統一性を重視すれば、「中央史観」の維持が至当であり、もちろん、信奉者は、自身の諸説を偏った史観、邪道とは、全然思っていないはずです。国を担う重責を負う官僚に対して、ここで著者の述べ立てる意見に説得力はないのです。相手を見て議論を組み立てるべきです。

 「焦眉の急」は、伝統的に切迫した危機を言うのですが、実際、焚火に近づいて、目に見えない高温の外炎で眉毛を焦がすのは珍しくないのですが、別にやけどするわけでなく、もちろん、命に別状はないのです。古めかしい例え話は、当世人に理解されない上に、的外れになっていては、徒労です。

                                未完

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 『前方後円墳や「倭国大乱」の実像』 PHP新書 2015/10/30
私の見立て ★★☆☆☆ 傷だらけの野心作   2017/12/15 追記公開 2020/07/09 2022/06/21

◯もったいない蛇足 承前
 私見では、著者の言葉に倣うと、あちこちで「光るモノ」造作に励んでいると見えるのです。関係者全てが、「予算を配分」し続けて貰うために、つまり、生きるために、無理を承知で、自然に筆を「曲げて」いるのですから、口先できれい事を言っても、そのような事態は何一つ変わらないのです。

 つまり、これは、「歴史観」の問題ではないのです。関係官庁の官僚をはじめとして、関係者の家族や出入り業者も含めて、多くの人々の生活がかかっているのです。生存権は、奪ってはならないと思うのです。

 趣旨に共鳴して、手弁当のボランティアも多数いるはずであり、その志は、安易に誹れないのです。 

*説得の心構え
 当方の意見の蒸し返しになりますが、著者の新説に対して、意見の近い同志は好意的であっても、論敵は、はなから耳を貸さないので、支持者を増やしたかったら、まだ意見を固めていない人(無党派層)に理解、同意される言い方を工夫しなければならないのではないでしょうか。今のように、呪文を連ねたような乱文では、よほど寛容な人以外は、そもそも受け入れてくれないでしょう。

 理解、同意は、その場のウケでなく、心底考え方を併せてくれることを言うものです。

 手短に言うと、商業出版する著書は、観客と想定した読者に訴える場であって、仮想敵をなじったり揶揄したりしては、観客が興ざめしてぞろぞろと引いてしまいます。もったいない話です。
 一部にウケたとしても、本書のような粗雑な論拠提示と意見表明は、適正な批判を受ければ吹き飛んでしまい、後に残るのは著者に対する不信です。

◯最後に
 読み飛ばした中間部は、著者の渾身の労作と思いますが、冒頭と末尾を抜き読みして、著者の筆力が拙いもので不正確な点が多く、虚勢に終始していると見抜かれては、結局、敬遠されて、核心を読んでもらえないのです。
 著者の今後のために、是非とも、未熟な論議をむき出しにばらまくのを避けるように、自戒いただきたいものです。

*「鉄」の正体
 蛇足ですが、「鉄」と簡単に言っても、鋳鉄と鋼の「鉄」は別物であり、掲題は、やや無造作なので、早々に解題すべきでしょう。

*素人書評の弁
 蒸し返しになりますが、以上の批判記事は、論拠を明らかにするために、あえて自明の事情まで言い募ったものですが、何の権威にも基づかない私見であり、この私見は、著者を含めた論者の意見を排斥しようとしている排他的なものではないことを、ご了解頂きたいのです。

                                以上

2022年6月20日 (月)

新・私の本棚 番外 サイト記事検討 刮目天一 【驚愕!】卑弥呼の奴婢は埋葬されたのか?(@_@) 1/1

【驚愕!】卑弥呼の奴婢は埋葬されたのか?(@_@) 2022-06-16     2022/06/20

◯はじめに
 本件は、兄事する刮目天氏のブログを題材にしているが、氏のご高説に異を唱えているわけではなのは見て頂いての通りである。
 氏が応接の際に見過ごした躓き石を掘り返しただけである。ここは、第三者の発言内容の批判であり、「倭人伝」解釈で俗説がのさばっている一例を摘発するだけである。こうした勘違いの積み重ねが、混沌たる状況に繋がっている。

◯発言引用御免
卑彌呼以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人
卑弥呼が死に、多数の冢が作られた、径100歩に殉葬者の奴婢100余人。
とかの意味じゃないかな。
大作は漢文の用法としては大きく作るじゃなくて多数作るの意味みたい
墳ではなく冢だから小規模な墓が多数作られたんだ。

◯部外者の番外コメント
 発言者は、「改竄」記事にコメントし、刮目天氏は寛恕で黙過している。
*「徇葬」正解 
 原文は、「徇葬者」であり「殉葬者」と書いていない。改竄記事を論じるは、無意味であり、古代史分野に蔓延る「悪習」である。
 「徇葬」は、「魏志」東夷傳「扶余伝」が初出のようである。正史は、先例の無い言葉の無断使用は許されないが、「倭人伝」は、「扶余伝」で認知された用語の承継と見える。いや、実は、ほぼこれっきりの二例しか見当たらない。
 「殉葬」は、先例が非礼・無法である。とてつもなく「悪い」言葉を、陳寿が大事な「倭人伝」で、深意に反し、採用することはあり得ない。
 対して「徇葬」は、葬礼に伴い進むか、夜を徹して殯するか、あるいは、守墓人に任じられたか。「行人偏」の持つ意味は、そのような活動的なものである。いずれにしろ「徇葬者」は生き続ける。女王は讃えられる。
 「殉」一字に、「命がけで信条を奉じる」=「殉じる」との意義もあるが、「殉葬」者は、恐らく意に沿わずとも、間違いなく命を落とす。女王は、正史に恥を曝す。大違いである。意見は人さまざまで、百人の奴婢が、生きながら埋葬されたと言う見方も悲惨であるが、所定の儀式を歴てとは言え、いずれかの場所で、百人が命を奪われ、遺骸が、土坑まで運ばれたという暗黙の了解強制も悲惨である。

 これほど意味・意義の違う文字と取り違えるのは、目が点で節穴である。但し、この改竄は発言者独創とは思わない。倭人伝名物の改竄解読手法受け売りで、褒められないが非難はできない。誤解が蔓延しているのである。

 因みに、笵曄は、後漢書「東夷列伝」扶余伝で、陳寿の記事と軌を一にしつつ、「徇葬」と宿痾の誤字/誤解症例を残している。もって瞑すべし。(要するに、後漢書「東夷列伝」は、後漢代公文書を着実に参照しているので無く、范曄創作/誤解を、多々含んでいるのである。いや、他にもあるが、圏外なのでここでは論じない)

*「冢」の正解模索
 刮目天氏は、丁寧に辞書に頼るが、まずは、原史料で最前用例を探索すべきと愚考する。
 読者は、自身の語彙で解明できなければ、「魏志」第三十巻の巻子/冊子の最前を遡り、わからないときは座右の「魏志」の山を手繰る。四書五経は元より、「漢書」、「史記」など山々の大著を倉庫から荷車で引き出させるのは、陳寿の手落ちとなり不合理である。そうならないように、陳寿は、その場で確認できる用例を書き込んで、伏線を敷いている。ここで、藤堂明保氏名著「漢字源」はまだ存在しないと戯言する。

 倭人伝の「冢」は、大家の葬礼紹介で、「遺骸を地中に収めた後、冢として封土する」との趣旨で書いてあり、いかにも、身内による埋葬と思われて、近隣を動員した土木工事とは書いていない。発言者は、根拠不明の「漢文用例」を参照して、徑百歩の範囲に、「お一人様」用の「冢」を百基造成したようにも読める、あいまいな言い方で笑い飛ばしているが、土饅頭といえども百基は、途方も無い工事であるが、そのような遺跡は先例があったのだろうか。無責任な放言は、それ以上取り合わずに、ゴミ箱に棄てることにする。

 本論の女王封土の場合は大がかりであるが、奴婢百人では、到底直径百五十㍍の「円墳」は造成できない。円墳は盛り土で済まず、石積みが不可欠で「冢」にならない。もちろん、倭人伝は「墳」と云っていない。径百歩は、「普通の解釈」と合わないが、ここでは論じない。

*まとめ~用語審議の原則提言
 末筆ながら、用語解釈の基本として、原文起点とし、「最前用例 最尊重」の黄金律を提起したい。文脈の斟酌も、粗忽を避けるのに、とてつもなく重要である。倭人伝論では、失敗例が山積しているので、そう思うのである。

                  余言無礼御免 頓首頓首  以上

2022年6月19日 (日)

新・私の本棚 松井 宏員「わが町にも歴史あり・知られざる大阪」 577

 東高野街道 68 柏原~羽曳野市 飛鳥、渡来人の安住地か 2022/06/18

◯はじめに 
 今回の題材は、毎日新聞の連載コラムであるが、古代史に入り込んでから、トンデモ記事連発なので、世間に誤解を広げるのを放置もできず、口を挟んでいるのである。と言っても、何しろ、当ブログは、有料購読者ゼロであるから、影響力は極めて限定されている(皆目無い)。

*指摘
 今回の記事は、以下引用する書き出しで大きく躓くが、ご当人は意に介していないようである。
 1973年発行の「柏原市史」を見ていたら、平城京と中国・唐の長安とを比べて、長安への関門・函谷関を竜田道の難所・亀の瀬に、黄河を大和川の瀑布(ばくふ)と激流になぞらえていた。ちょっと言い過ぎじゃないかと思うが、都へ入るには険阻な場所を越えねばならないという点では、共通するかもしれない。
 さて、羽曳野市の地図を眺めていて、おやっと思った。「飛鳥」という地名があるのだ。市の南端、太子町との境に。飛鳥は奈良の専売特許だと思っていたが……

 いきなり、とんだ偽(にせ)情報(fake news)であるが、「柏原市史」の誤報と言いきれずこのまま指摘する。それにしても、普通のなぞらえ談義と並べ唱える順序が前後逆で、まことに珍妙である。ここは、冗談めかして「言い過ぎ」と褒めている場合ではない。

 唐の長安は、黄河流域と言っても支流の渭水沿いで、有名な壺口瀑布は、本流のかなり上流である。とんだ見当違いである。それにしても、大和川に瀑布も激流も無いと思うのだが、勘違いだろうか。
 こうした混乱した偽情報・風評を、堂々と紙上で公言するのは、全国紙記者の筆と思えない。(編集部は校閲しないのだろうか)

 ちなみに、「専売特許」は、死語の上に当て外れである。「登録商標」と言うべきであるが、それにしても、著名な地名は、商標にできない。記者は、まるで昭和時代の記者言葉の博物館である。
 こうして見ると、随分、全国紙も墜ちたものである。記者は、羽曳野市を特許侵害と誹謗する前に、なぜ安村俊史館長に相談しなかったのだろうか。とんだ茶番で、大滑りである。

 以下の記事は、偽情報の一環と見ざるを得ない。困ったものである。

                                以上

2022年6月18日 (土)

新・私の本棚 サイト記事批判 播田 安弘 「現代人でも至難の業! 卑弥呼の船はなぜ大陸から帰れたのか」 1/1

                                2022/06/18
 「日本史サイエンス〈弐〉邪馬台国 ・中略・ の謎を解く」紹介記事
  「現代人でも至難の業! 卑弥呼の船はなぜ大陸から帰れたのか」 2022/06/17

◯はじめに
 当記事は、サイト記事タイトル批判である。余りにできが悪いので門前払いである。トンデモ本風のしつらえで読者を遠ざけているが、この一章だけで排斥されるわけでもない。

*概評
 タイトルとして、意味不明の言葉が並んでいる。まるで、異星のメッセージである。一応疑問文だが、なぜ、何を問い掛けているのかわからない。ものの役に立っていない。

 「現代人でも至難の業!」と言うが、何しろ、現代人に利用できる移動手段は豊富で、地球上のどこからだって、大抵は生きて還れる。
 そんなとんでもないホラ話でなくて、手漕ぎ船の体力勝負の話しとして、「現代人」を四十五歳程度の成人男性とすると、運動不足、肥満気味で力仕事に不向きであるうえに、夜更かし朝寝坊のアルコール依存症ときたら、この際のものの役に立たない。「現代人でも」と言う意味がわからない。古代の専門的/職業的な漕ぎ手集団と柔弱な「ド素人」がまともに体力勝負できるはずがない。

 「卑弥呼の船」と言うが、女王の船会社経営記録はなく意味不明である。後世、山東半島海港に高句麗館、新羅館の倉庫や船溜まりがあったと思われるが、遥か以前「倭館」があったと思えない。飛んだ夢物語である。いや、対海/対馬から渡海した半島の狗邪には、堂々たる「倭館」があったろうし、そこが、倭の北の国境とされていたと思うが、それは別の話である。

 「大陸」からと物々しいが、帯方郡以遠だけに限っても、遣魏使の便船山東半島往来は楽勝である。
 渡船は、基本的に身軽な渡し舟であり、甲板も船倉もない吹きさらしである。大抵は、朝立ちでひたすら漕ぎ急いで、午後、できるだけ早くに入港して、それで一丁上がりである。漕ぎ手は、船を下りて非番になり、追って母港に折り返す手慣れた往還でうまい飯が食えるから良い稼ぎ場である。かたや、旅人は次に進む。
 北九州から半島南岸の狗邪までは、水平線に見える山影が確かな目標で、また、日常、小船で難なく往来しているから、「きょうも無事」に何の不思議もない。海を渡る以上、何も危険が無いとは言えないが、日常的な渡海を怖れるわけもなく、大抵何の事件もないから、往き来が続いたのである。飛び石状の寄港地を、適宜、その場に応じた便船と漕ぎ手で乗り継いでいくから、当然の日常事であり、曲芸でも冒険でもなかったのである。
 何しろ、漕ぎ手不足で乗り切れないような体制では商売にならないから、ちゃんと確かな人数、技量、体力を確保していたのである。「現代人」には、とても「できない」だろうが、当時は、「できる」人材を募って運行したのである。ダメモトの冒険航海などとは、出来が違うのである。
 東京で言えば、葛飾柴又から出ている「矢切の渡し」は、絶対危険がないとは言い切れないが、大昔から往き来している。言うまでもないと思うが、文明開化以前は、貧乏人が小銭で乗れる格安の船賃であり、まして、手漕ぎだったのである。(因みに、さむらい(士)は、公務扱いで、船賃無料だった)
 言う迄も無いが、難なく生きて還れると信じていたから、大夫なる高官二名が、貴重な手土産を携えて出かけたのである。
 世間には、帯方郡まで延々と漕ぎ船で赴いたと信じ込んでいる(いや、遥か河水(黄河)河口部の泥の海に乗りつけると称する) トンデモ本があって、それに追従しているのかも知れないが、古代人には、深い知恵があって、安全、確実(迅速)な陸路が確立されているのに、それこそ、海難必至(そして、必死)の長期の船旅などしないのである。

 と言うことで、なぜ、この場で絶叫するのかわからない。店頭の立ち読みだったら、書棚に戻して、ハイさようならである。同書の他の議題も推して知るべしとなる。随分、自罰的な売り込みである。

 いや、このタイトルを見る限り、氏は、古代史の知識が皆無で、世間にあるトンデモ卑弥呼本を読み囓って、売り物をでっち上げたように見える。でなければ、「邪馬台国の謎」が何であるか、悟っていたはずである。出かけていった船が帰ってきたのが不思議で、世間が騒いでいるのではないのである。
 誰か、古代史に詳しくて、苦言を呈してくれる先輩か友達かがいたら、これほど、無残なタイトル付けはしなかったと思うのである。もったいない話である。

 当記事は、数回連載で、書籍の内容を掻い摘まんでいるように見えるが、タイトルが不出来では、サイト記事すら読んでもらえない。

*まとめ

 新機軸でない陳腐な言い立てを捨て、先行トンデモ本の失敗を踏まえ改善すべきである。思い付きをがなり立てて売れてもゴミ箱を賑わすだけである。

                               以上

2022年6月16日 (木)

新・私の本棚 古賀達也の洛中洛外日記 第2762話 『古田史学会報』170号の紹介

『古田史学会報』170号の紹介 百済祢軍墓誌の「日夲」 ―「本」「夲」、字体の変遷―
                            2022/06/16
◯はじめに
 本項は、私淑する古賀氏のブログ記事の批判でなく、随想であることは、ご理解いただきたいものです。
*引用
 … もう一つの拙稿〝百済祢軍墓誌の「日夲」 ―「本」「夲」、字体の変遷―〟も半年ほど前に投稿したもので、順番待ちのため、ようやく今号での掲載となりました。本稿は、百済祢軍墓誌に記された「日夲」の「夲(とう)」は「本」とは別字であり、「日夲」を国名の「日本」とはできないとする批判に対する反論です。七~八世紀当時の日中両国における使用例を挙げて、「夲」の字は「本」の異体字として通用していたことを実証的に証明しました。 …

*コメント

 勉強不足の初心者が見当違いの新発見を提言するのは手ぶらで書いてすむのですが、古賀氏が、丁寧に調べて実証的に反論するのは、不公平と見えます。バリバリの私見で恐縮ですが、率直に発言させていただくと、本件は、同時代の中国史料について論考を展開する程度の教養を有した人物にとっても当然、自明の事項であり、当然「不成立」なのですが、そのような当然、自明の事項を個人的に知らないからと言って、未審査の思い付きを公然と提言すべきではないと思われるのです。

 いや、このような思い付き発言は、古代史学分野では、ありふれているので、「言ったもん勝ち」だと思っている方も多いでしょうが、まずは、とこことん自己検証すべきなのです。

 素人なりに調べても、「本」の字は、十の縦横書画の交点から、左下、右下への書画が始まるので、紙面で言うと、墨がうまく流れないと、四本の書画の交わるところに墨が溜まって、にじみやすいのです。あるいは、交点の一点から、二本の書画が始まるので、書き出し位置の狂いが目立ちやすいのです。

 公文書の清書などの改まった場は、名人が時間をかけて書き進めるので、そのような不始末は出ませんが、公文書の下書きや日常の信書では、余計な心配がいらない「夲」が通用/常用されていたのです。(実証は、端から不可能ですが)

 ご参考までに言うと、知る限り、現代でも日常文書では「日夲」が、むしろ普通と見えるのです。字体は「変遷」していないのです。

 本題に還ると、墓誌は石刻であり、刻工は、墓誌全体を「ボツ」にするような手違いの出にくい「夲」と刻んだのです。
 因みに、「百済祢軍墓誌」に「日夲」をみるのは、明らかに、早とちりの勘違いですが、既報なのでここでは論じません。

 思うに、氏ほどの論客が、「七~八世紀当時の日中両国」とは、氏の見識を疑わせかねないので、ご自愛いただきたいものです。

 衆知の如く、「日本」が国号として認知されたのは、八世紀以降であり、また、当時、「中国」が国号であったかどうか、不確かと思うのです。古代史論で「日中」は、不適切と見ます。

 いやはや、言い立てる方は無造作でも、回答は、大変な苦労が伴うのです。

                               以上

2022年6月 6日 (月)

今日の躓き石 毎日新聞が賛美する「屈辱の歴史」 サッカーの対ブラジル対戦 「国辱」ものの見出し

                        2022/06/06
 今回の題材は、毎日新聞大阪朝刊14版のスポーツ面、「サッカー日本代表 きょうブラジル戦」と銘打った下馬評であるが、「屈辱の歴史に終止符を」と檄を飛ばしているが、当の代表にとって、何が「屈辱の歴史」か、選手達は、過去12戦全部に出場したわけでもないので、感じ取れないのではないか。「終止符を」撃てと言われても、誰がそんなに偉そうなことを言うのか、不思議に思っているはずである。
 要は、見当違いの「ボケ見出し」である。天下の毎日新聞にしては、随分不出来な見出しである。

 と言うと、記事本体も、時代物の屈辱、雪辱ものかと思うのだが、実際は、対戦経験者の談話も含めて、勝って当然のつまらない相手に負け続けている、とでも云うような時代錯誤の発言はないのである。もちろん、強い相手と闘って負けるのは、恥でもなんでもない。まして、「国辱」ではない。いわば、「カナリア軍団」にとって、日本チームは周回遅れであり、別に、立つはだかっていたわけでもないのである。
 自尊心は、場違いなところで示すべきではない。

 読み進めていくと、担当記者は、適確に記事をまとめていると見える。これまで強化してきた、「攻守の切り替えの速さ」とこれまで以上の頑強な守りを組み合わせて闘えば、十分勝機はあるという主旨であり、大人の姿勢であり安心できると一旦納得させる。

 いや、記事末に、署名記者が、どんでん返しで、突如、つまらない総括を付け足していて、そこで、気分が地に墜ち、泥にまみれるのだが、読者が感じる感慨と無関係な「ごみコメント」を感じるのが、記者の感性だとしたら、つけるクスリは無いのかも知れない。躓き石ならぬ、落とし穴である。金返せである。まして、見出しに取り出すのは、自爆である。このように、自国代表チームを侮辱して、勝つためには手段を選ばない状態に追い込むのは、全国紙のスポーツ面担当記者の「報道」の姿勢として、大変な愚策ではないだろうか。

 見出しは、本文の要約を示して、読者に「食欲」をわかせる「料理見本」の筈なのだが、今回は、記者のお粗末な感性が丸出しのとんだごみ見出しで、心ある読者が引いてしまうのである。天下の毎日新聞にしては、大変な失敗作である。それにしても、編集部門で、誰も、ダメ出ししなかったのが不思議である。担当記者を配置換えした方が良いのでは無いか。

以上 

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