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2022年6月26日 (日)

新・私の本棚 ネット記事「現代人でも至難の業! 卑弥呼の船はなぜ大陸から帰れたのか」 3/4

 新刊書紹介「逆転の発想」から見えてくる邪馬台国  播田 安弘
日本史サイエンス〈弐〉邪馬台国、秀吉の朝鮮出兵、日本海海戦の謎を解く 講談社 ブルーバックス

*承前
 半島の鉄は、制約無しに入手できたと、魏志東夷伝に書かれています。

 当時、糸魚川(現在の新潟県)では宝石の翡翠(ひすい)が豊富に産出し、これを加工した「勾玉」(まがたま)は、装飾品として権力者に珍重されていました。……卑弥呼は日本の特産品である翡翠を朝鮮半島に輸出し、かわりに鉄を輸入して国づくりを進めたのです。

 翡翠は、普通言う「宝石」ではありません。「豊富」に産出した証拠もありません。翡翠加工は技術の問題でなく、工具と労力の問題です。翡翠加工の文化と言いますが、文字のないところに文化はありません。単に、工人集団の確立した加工技術です。

 「日本人」と、時代錯誤の失言です。当時、「日本」は無いから「日本人」もありません。半島南半の三韓諸国には、統一国家がありませんから、「輸出」は不可能で、当然、鉄の「輸入」も不可能です。カネで買えないのだから、そういうしかないのです。ホラは出放題でしょうか。

 中国では、秦始皇帝の制定した統一通貨、銅銭が豊富に流通していたから、銭を運べば距離を隔てた代金決済は可能でした。耕作を許可された農地から得られた収穫の「納税」は、穀物を納めるのではなく、銭で収めていたので、広大な全土から厖大な銭が集まっていたのです。
 銭がない倭では、穀物現物の納入ですから、牛馬の荷役ができないのと相俟って、広域の収税は絶対に不可能だったのです。
 そうした状勢は、倭人伝に適確に記録されていて、魏帝どころか、帯方郡太守も、倭から大量の収税はできないと教育されていたのです。
 ところが、後世人は、それらの情報を全て無視して巨大な国家を想定し、まことに病膏肓の感じです。

対馬海峡の横断は至難の業
 対馬海流の速さです。筆者は、前著『日本史サイエンス』において、……、対馬海峡の横断をシミュレートしています。図略
 対馬海流は1.5~2ノットの速さで北上しています。……対馬海峡を横断するには、海流の約2倍の船速が必要……です。……実験航海が失敗したのは、こうしたことが計画に十分には組み込まれていなかったからです。
 古代の船で……、対馬海峡を横断……至難の業で……す。

 先人の海流無知は氏の思い込みで、要するに、根拠の無い言いがかりです。
 野性号の「敗因」は、船体過重と見えます。船体の大事を取って船板を厚くしたのでしょう。古代、難所は難所向け構造とし、それ以外は身軽のはずですが、現代人は無思慮です。「半島半周航」という見当違いの行路設定も、敗因に寄与しています。
 三世紀当時、帯方郡から狗邪までは街道/官道が整っていて、道中、道の「駅」が完備し、公的な用途では街道/官道を、騎馬や車輌で往き来する「規則」だったのです。
 遠回りで延着必至、まして、確実な危険が待ち構えているとわかっている違法な経路を、なぜ通ると信じ込んでいるのか、まことに不可解です。公的な往来は、冒険などしないのに決まっているのです。

出雲大社が絶好の目印に
 卑弥呼の船が……釜山を出航して、……対馬海峡を横断し、……対馬海流の流れにまかせる……と船は、山陰に着きます。……天気がよければ……三瓶山が見え、浜田沖では……大山が見えます。

 天気が良くても、雲がなくても水平線付近が霞めば、悪い天気です。
 さらに、そのまま陸伝いに海路を行けば、出雲の方向に高い塔が見えてきます。……海からは絶好の目印となり、出雲まで容易にたどりつく……でしょう。……海からの目印として建てられた可能性もあります。

 「陸伝い」とは陸上を行くことであるから、「海路」は、そういう陸上の「路」なのでしょう。色々。誤解が蔓延っていて、一々訂正もできないのです。
 賑々しく書かれている「塔」は、氏の白日夢にすぎず、何の根拠にもなりません。「確実」「絶好」「容易」と子供じみた言葉と相俟って、「サイエンス」とは言えない夢物語です。一度、顔を洗って出直すべきでしょう。

カルマン渦が導いてくれる
 流れの中に円筒形の障害物を置くと、下流に「カルマン渦」ができ……ます。……対馬からブイを流して、その軌跡を見ると、朝鮮半島東側から下っているリマン海流が、朝鮮半島突端の半円形に影響されて、大きな渦が生じ……この渦に巻き込まれ……れば、約50日でブイは山陰沖に漂着します。
 対馬から流したブイの軌跡(『日本史サイエンス〈弍〉』より)  図略

                                未完

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