新・私の本棚 サイト記事批判 播田 安弘 「現代人でも至難の業! 卑弥呼の船はなぜ大陸から帰れたのか」 1/1
2022/06/18
「日本史サイエンス〈弐〉邪馬台国 ・中略・ の謎を解く」紹介記事
「現代人でも至難の業! 卑弥呼の船はなぜ大陸から帰れたのか」 2022/06/17
◯はじめに
当記事は、サイト記事タイトル批判である。余りにできが悪いので門前払いである。トンデモ本風のしつらえで読者を遠ざけているが、この一章だけで排斥されるわけでもない。
*概評
タイトルとして、意味不明の言葉が並んでいる。まるで、異星のメッセージである。一応疑問文だが、なぜ、何を問い掛けているのかわからない。ものの役に立っていない。
「現代人でも至難の業!」と言うが、何しろ、現代人に利用できる移動手段は豊富で、地球上のどこからだって、大抵は生きて還れる。
そんなとんでもないホラ話でなくて、手漕ぎ船の体力勝負の話しとして、「現代人」を四十五歳程度の成人男性とすると、運動不足、肥満気味で力仕事に不向きであるうえに、夜更かし朝寝坊のアルコール依存症ときたら、この際のものの役に立たない。「現代人でも」と言う意味がわからない。古代の専門的/職業的な漕ぎ手集団と柔弱な「ド素人」がまともに体力勝負できるはずがない。
「卑弥呼の船」と言うが、女王の船会社経営記録はなく意味不明である。後世、山東半島海港に高句麗館、新羅館の倉庫や船溜まりがあったと思われるが、遥か以前「倭館」があったと思えない。飛んだ夢物語である。いや、対海/対馬から渡海した半島の狗邪には、堂々たる「倭館」があったろうし、そこが、倭の北の国境とされていたと思うが、それは別の話である。
「大陸」からと物々しいが、帯方郡以遠だけに限っても、遣魏使の便船山東半島往来は楽勝である。
渡船は、基本的に身軽な渡し舟であり、甲板も船倉もない吹きさらしである。大抵は、朝立ちでひたすら漕ぎ急いで、午後、できるだけ早くに入港して、それで一丁上がりである。漕ぎ手は、船を下りて非番になり、追って母港に折り返す手慣れた往還でうまい飯が食えるから良い稼ぎ場である。かたや、旅人は次に進む。
北九州から半島南岸の狗邪までは、水平線に見える山影が確かな目標で、また、日常、小船で難なく往来しているから、「きょうも無事」に何の不思議もない。海を渡る以上、何も危険が無いとは言えないが、日常的な渡海を怖れるわけもなく、大抵何の事件もないから、往き来が続いたのである。飛び石状の寄港地を、適宜、その場に応じた便船と漕ぎ手で乗り継いでいくから、当然の日常事であり、曲芸でも冒険でもなかったのである。
何しろ、漕ぎ手不足で乗り切れないような体制では商売にならないから、ちゃんと確かな人数、技量、体力を確保していたのである。「現代人」には、とても「できない」だろうが、当時は、「できる」人材を募って運行したのである。ダメモトの冒険航海などとは、出来が違うのである。
東京で言えば、葛飾柴又から出ている「矢切の渡し」は、絶対危険がないとは言い切れないが、大昔から往き来している。言うまでもないと思うが、文明開化以前は、貧乏人が小銭で乗れる格安の船賃であり、まして、手漕ぎだったのである。(因みに、さむらい(士)は、公務扱いで、船賃無料だった)
言う迄も無いが、難なく生きて還れると信じていたから、大夫なる高官二名が、貴重な手土産を携えて出かけたのである。
世間には、帯方郡まで延々と漕ぎ船で赴いたと信じ込んでいる(いや、遥か河水(黄河)河口部の泥の海に乗りつけると称する) トンデモ本があって、それに追従しているのかも知れないが、古代人には、深い知恵があって、安全、確実(迅速)な陸路が確立されているのに、それこそ、海難必至(そして、必死)の長期の船旅などしないのである。
と言うことで、なぜ、この場で絶叫するのかわからない。店頭の立ち読みだったら、書棚に戻して、ハイさようならである。同書の他の議題も推して知るべしとなる。随分、自罰的な売り込みである。
いや、このタイトルを見る限り、氏は、古代史の知識が皆無で、世間にあるトンデモ卑弥呼本を読み囓って、売り物をでっち上げたように見える。でなければ、「邪馬台国の謎」が何であるか、悟っていたはずである。出かけていった船が帰ってきたのが不思議で、世間が騒いでいるのではないのである。
誰か、古代史に詳しくて、苦言を呈してくれる先輩か友達かがいたら、これほど、無残なタイトル付けはしなかったと思うのである。もったいない話である。
当記事は、数回連載で、書籍の内容を掻い摘まんでいるように見えるが、タイトルが不出来では、サイト記事すら読んでもらえない。
*まとめ
新機軸でない陳腐な言い立てを捨て、先行トンデモ本の失敗を踏まえ改善すべきである。思い付きをがなり立てて売れてもゴミ箱を賑わすだけである。
以上
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